1965-05-11 第48回国会 衆議院 決算委員会 第26号
問題は、従来の加工業者なり従来の販売ルートというものをあまり混乱させないような形でやってもらいたいという考えを持っておりまして、この天洋丸につきましても、関係の会社ではできるだけ自社工場において処理するように努力したい、かように申しておりますので、実際上、われわれが抽象的に想像するほどの混乱は起きない、またできるだけそのように取り計らってまいりたい、かように考えております。
問題は、従来の加工業者なり従来の販売ルートというものをあまり混乱させないような形でやってもらいたいという考えを持っておりまして、この天洋丸につきましても、関係の会社ではできるだけ自社工場において処理するように努力したい、かように申しておりますので、実際上、われわれが抽象的に想像するほどの混乱は起きない、またできるだけそのように取り計らってまいりたい、かように考えております。
ところが漁獲の方の割合は、明晴丸の船団が二四%、海幸丸の船団が二六%、天洋丸の船団が二四%となつておりまして、期日の経過割合に比較しては少いのでありますけれども、これはただいま申し上げました通り、操業当初の成績が非常に悪かつたための影響でありまして、その後非常に成績が上つて参つておりますので、予定の計画通り漁獲も上げ得るものというふうに考えておる次第であります。
それから海幸丸、これは日水でございますが、これは三十七万八千尾、それから第三天洋丸、これは太洋でございますが、これは五十三万程度でございまして、これは計画に対しましては最初の明晴丸は二四%、次の海幸丸は二六%、天洋丸が二四%、こういうことになつているのであります。
従いまして各船団とも大体におきましてアツツそれからキスカ、この中間の漁場を目指しまして進んだのでありますが、母船より数日前に先行いたしました各船団の調査船、特に第三天洋丸の調査船である第二宝幸丸が五十度二十分それから百七十八度、この水域におきまして反当り五尾平均の、他の船団調査船よりもいい漁場を発見したのであります。
本年の母船式さけ、ます漁業は、三つの船団、すなわち第三天洋丸、第一振興丸、天龍丸という三ばいの母船をもちまして、五月一日一斉に函館を出帆いたしたのでございます。大体漁場到着は五月十一日ころでございました。それからそれぞれ操業を開始いたしたのでございます。ところが当初五月から六月の初めごろまで非常にしけが多くございました。
北海道の新聞でちよつと見たのですが、「不法拿捕には対策」という見出しで、第三天洋丸にて矢田共同特派員十一日発として、北洋船団の栃内監督官は、懸念されるソ連監視船による拿捕問題について次のように語つた。「現在ソ連は領域内に数そうの武装監視船を配置している模様だが、もし監視船に一そうでも不法拿捕されれば、全独航船を一時安全海域に引揚げさせ、適当な措置を講ずる。」というような記事が出ております。
ただいままでのところ母船としましては第三天洋丸と、これが中積船として第三六幡州丸を持つて行くほかに、調査船三隻というふうな方針で行つております。第一振興丸、これは中積船で、トロール船四隻、調査船二隻。
りまするし、折角関係者も府県もかなりの期間苦労してその数字を審議してもらつて、最後には農林省で決定したわけでございまするけれども、それを乱すようなことがあつても困りますので、これにつきましては母船を出します三社に厳重にそういうことのないようにこちらのほうからは申しておりますので、今のところそういうふうな便法を特に一、二の県についてとるというふうなことは考えておらない状態でございまして、現在のところは、第三天洋丸
それからその上に第二次の南方まぐろ船団のために特別に配給されましたもの——これはこまかくなりますけれども、南方まぐろは第一次に天洋丸船団が出まして、それから宝幸船団が出たわけでありますが、前の天津丸船団の分は前年度の分に入りますからこれは入りませんで、宝幸船団の場合のみ入りまして、これが千八百キロリットルであります。