2015-05-13 第189回国会 衆議院 農林水産委員会 第8号
「本年は、天明の飢饉以来と言われるほどの未曽有の凶作に日本列島は襲われました。農家は生産意欲の減退が強まり、経営の存続にも深刻な悩みをもたらしております。それに加え、米について、ミニマムアクセスの受け入れで輸入量が年々拡大されることになれば、全国の稲作農家及び畜産・畑作農家すべてが崩壊に向かって進むことになりかねません。」と述べているんです。
「本年は、天明の飢饉以来と言われるほどの未曽有の凶作に日本列島は襲われました。農家は生産意欲の減退が強まり、経営の存続にも深刻な悩みをもたらしております。それに加え、米について、ミニマムアクセスの受け入れで輸入量が年々拡大されることになれば、全国の稲作農家及び畜産・畑作農家すべてが崩壊に向かって進むことになりかねません。」と述べているんです。
また、私ども長野県は浅間山という活火山を抱えておりまして、御存じのとおり浅間山は国内有数の活火山でございまして、一七八三年の天明三年に大噴火をしたことが有名でございますが、近年では昭和五十年代、また平成十六年には中規模爆発を起こしております。また、二十年代に入りましても小規模爆発を繰り返しておりまして、近々大きな噴火があるんではないか、そういう心配が広がっているところでございます。
浅間山は一七八三年、天明三年に大噴火をいたしまして、大量の火山灰、火砕流などを噴出させたわけでございます。再び大噴火したらどうなるか。八ツ場ダムに火山噴出物が大量に流入してくると思われますが、その場合、八ツ場ダムの貯水池は急激に埋まってしまう可能性もある。一方で、このことによって火山噴出物が下流に流れず、下流が安全になることも考えられる。
委員御指摘の浅間山の噴火により、一七八三年、天明三年のいわゆる天明泥流と同規模の泥流が発生した場合のダムの安定性、そして貯水池内の水位の挙動などについて検討を行ったものでございます。具体的には、噴火による火山泥流に対して堤体としての一定の安定性を確認するとともに、適切なダム操作ができるような監視体制の構築、関係町村等に対する警戒、避難の情報伝達の手法についての検討を実施したものでございます。
寛保二年、天明六年、それから明治四十三年ですね。 ですから、先ほども言ったんですけれども、百年前に起こった明治四十三年洪水というのは、非常に関東平野にとって大水害になった、そういう洪水です。その場合、降雨の継続時間が非常に長いんです。降雨の継続時間が非常に長いというのは、非常に長い洪水が、例えば一万トンぐらいの洪水が一週間も十日も続く。
○松浦参考人 家康が関東に入ってきて以降の利根川の出水を見ますと、天明六年に大出水が生じております。江戸を襲ってきた洪水で最も大きな洪水です。そして、この性格がよくわからないところがある。よくわからないんですね。そういう問題があります。 どういうことかといったら、天明三年に浅間山が大噴火をやっています。
天明の飢饉では、藩政府の扶助として、藩士、領民の区別なく、一日当たり、男性は米三合、そして女性は二合五勺の割合で支給して、かゆとして食べることとして、鷹山以下、上杉家の全員も、領民と同様、三度の食事はかゆとして、それを見習って、お金持ちの人も、貧しい方々を競って助けた、こういう史実もあるんですね。 改革の精神に必要な根本姿勢というのは私はここにあると思うんですね。
現在、ハザードマップ作成とかいうことで注目されていますけれども、富士山の宝永の噴火、桜島の安永の噴火、浅間山の天明の噴火、それから雲仙・眉山の大崩壊、これは津波も伴っております。これは十八世紀に起こっていますし、十九世紀には磐梯山の大崩壊というのが起こっています。また、二十世紀には桜島の大正大噴火が起こっていると。
昔の享保の大飢饉とか天明の大飢饉というのは実はこれでありまして、三年くらい続くと娘を売ったり、息子をでっちに出したりというようなことで、非常に東北はひどい目に遭いました。 このやませというもののために阿武隈台地というところは農作物の生産に不適当だったわけであります。したがって、米作はだめで、そういう意味で土地の利用が非常に少なかった。
一点目の新川の洗い堰についてでございますが、この新川と申しますのは、約二百二十年前、天明七年に人工的に開削された川でございまして、その新川の洗い堰は、庄内川と新川の間に設けられた、庄内川の洪水を一部新川に分派するためのものでございます。 今回の出水では、庄内川の水位が上昇しまして、十一日午後十時から約十一時間、新川へ洪水が分派されました。
もみ貯蔵といいますのは、二千有余年の稲作の歴史を持つこの瑞穂の国の我が国においては、地方においては郷倉(ごうそう)あるいは郷倉(ごうぐら)といって、いわゆるもみを貯蔵して、一朝有事、天変地異のときに備えて校倉式の倉をつくって、それぞれの保有米を持ち寄ってもみでもって保管をしておったということが、私どもの国の食料危機から、天保、天明とかそういう大飢饉のときはいざ知らず、そのほかのところの微小の冷災害のときには
宮城県におきましては、昨年はこれは大変いろんなところに御迷惑もかけ、また宮城県の県民も大変苦しんだんですが、これは天明以来の凶作ということで、ことしは集中豪雨ということで、まさにダブルパンチを食らっております。まだつめ跡が残っております。
もう私が何回か言っているから食糧庁はよく御存じだと思うけれども、天明の飢饉は七年間続いたんです。そして、天保の飢饉は九年続いているんです。そういう連続することがあるんです。すると、去年あのような状況だったのが、ことしまた連続しないとはだれも保証はできないです、今の段階で。もし、ことしまた同じことが起こったら、もう生産費調査というのは非常に面倒なことになりますよ。
私は、天明以降のこと重言いましたけれども、それ以前の研究もあります。それについてもやっぱり続いているというのが多いんです。ということを見ていきますと、やはり九五が二カ年というのが適当かどうかということは大きな問題であろうと思うんです。そういう計算を平成三年のころには皆さんの方が堂々とやっていたんです。
私自身の調査をしたものでまいりましても天明以降、随分古いことから引っ張り出しますけれども、天明の大凶作が七年です。それからその後寛政にありますけれども、これは三年。また天保の飢饉というのがありまして、これが九年。それから慶応から明治にかけて、これは三年。それから明治三十五年から三十八年まで、三年ですね。昭和六年から十年までの四年間。
我が国農政の画期的な転換への道しるべとなっておりますいわゆる新政策、この展開に懸命に取り組もうとしているやさき、折しも天明以来の大災害に見舞われ、米の大量緊急輸入の事態と重なった今度の実質包括関税化の受け入れは、まさに我が国農業の存立にとって致命的な打撃でございます。 特に、新農政が着目しております担い手後継者に与えるダメージははかり知れません。
さらに、本年は、天明の飢饉以来と言われるほどの未曾有の凶作に日本列島は襲われました。農家は生産意欲の減退が強まり、経営の存続にも深刻な悩みをもたらしております。それに加え、米について、ミニマムアクセスの受け入れで輸入量が年々拡大されることになれば、全国の稲作農家及び畜産。畑作農家すべてが崩壊に向かって進むことになりかねません。
天明以来のこの凶作であります。不足米が二百万とも言われております。これで、まあそれは緊急避難的に、超法規的に輸入されるのも結構でしょう、これは国民の食糧ですから。だけれども、将来にわたって、六年間にわたってミニマムアクセスを、ウルグアイ・ラウンドを成功させるためにという大義名分のもとでこれを許すというのなら、国会決議は一体どうなるのかということを私は思うわけであります。
私の出身は米どころ宮城でございまして、今年は冷夏、台風、それからいもちとかそういうことによりまして、天明以来の米の不作というものは これはもう言葉を絶する状況でございます。そこで政府は、九月末以来加工用米として二十万トンをタイから緊急輸入ということを決定いたしました。
ことしは天明の飢饉以来の最大の飢饉だ、こう言われていますね。我々は農林部会におきまして、青森、岩手の災害の被災地を回ってまいりました。そこで、例えば青森県の藤坂試験場におきまして画期的な耐冷品種として発明されましたのが昭和二十五年の藤坂五号です。藤坂五号というものをもとにしましてたくさんの奨励品種ができている。
さて、今回の冷害でございますが、天明の飢謹以来の未曾有の大凶作に見舞われました全国の四百万農家、それから激甚な被害をこうむられた被災農家の皆様方に心からお見舞いを申し上げる次第でございます。 大冷害に際しまして、我が党はいち早く十月十五日に冷害緊急対策につきまして決定をいたし、農水省あるいは総理大臣まで緊急対策のお願いをしたところでございます。
それでは、この今回の冷害、災害に伴って生じた米不足の問題、つまり、緊急避難措置として輸入に踏み切らざるを得なかった、このことについて、私ども、いろいろ農業関係者あるいはその他社会のあらゆる分野の方々から、この原因をどのように考えたらよいのか、つまり、これは先ほど来の御説明にありましたように、天明以来の天災あるいは有史以来の天災ということで、全く予期せざる例外的な現象である、したがって、これはこれまでの
○木村(守)政府委員 このたびの災害は天明の飢饉以来とも言われるわけでございまして、委員長初め、二田委員初め諸先生方に大変に御心配、御協力いただいていることを感謝いたします。 ただいまの御質問でございますけれども、極めて全国的な被害面積でもございます。
○二田委員 今回の災害は、先ほどからのお話のとおり、百年に一回じゃないか、もしくは天保の飢饉、天明の飢饉以来の大災害じゃないか、こう言われておるわけでございます。先ほどの報告のとおり、私も東北三県を回ってまいりまして、つぶさにその状況を視察してまいりまして、大変その感を深くしておるわけでございます。