2020-04-07 第201回国会 参議院 文教科学委員会 第5号
皇居、旧江戸城というのは広大な敷地がありまして、その両陛下が住む御所と江戸城の例えば天守閣があった天守台とは六百三十メーター離れているんですよ。 ですから、私は、この際に、やっぱりこの観光の、大きなその文化観光の目玉として、譲位という御慶事もあったので、東御苑、そしてこの本丸跡地を是非とも国民に両陛下から御下賜いただいて、それでここを城址公園として整備すると。
皇居、旧江戸城というのは広大な敷地がありまして、その両陛下が住む御所と江戸城の例えば天守閣があった天守台とは六百三十メーター離れているんですよ。 ですから、私は、この際に、やっぱりこの観光の、大きなその文化観光の目玉として、譲位という御慶事もあったので、東御苑、そしてこの本丸跡地を是非とも国民に両陛下から御下賜いただいて、それでここを城址公園として整備すると。
その結果、名古屋市は、二〇二二年の完成を目指していた新天守を二〇二七年まで五年も大幅に計画を延ばさざるを得なくなっているんです。ただ、もう古い天守閣は壊しますから、ブルーシートが掛かっているんです。もう中へ入れないんです。
○松沢成文君 あと一分ですので、大臣、最後に、江戸城天守復元なんです。 これ、江戸城も江戸時代に天守閣があったんですね、明暦の大火で焼けていますけれども。これ、やはり首都東京の一つのシンボルとして、文化的なシンボルとして、あるいは地方創生の一つの起爆剤として、あるいは観光振興にもつながると思います。
先ほど大臣の方から答弁ありましたが、国の史跡指定域内にある天守を解体、除却し往時の姿に再建する場合は、文化財保護法による文化庁長官の許可が必要でございます。
○松沢成文君 じゃ、次に文化庁に伺いますが、名古屋市は何度も文化庁にこの復元をどうやって進めたらいいか相談に来ていると思いますが、文化庁としてはこの名古屋市の木造天守復元についてどのように対応を今しているのか。
天守復元を始めとした城郭における歴史的建造物の再現につきましては、それが適切に行われることによりまして史跡の価値を次の世代へ確実に伝えることにつながり、史跡の積極的な保存、活用のために有用だと、このように考えております。
ここで提案なんですけど、大臣、城郭だけ見ても、今、十二現存天守、昔からのオリジナルが残っているのは十二あるんですよ、天守閣。多分、国宝も四天守から、松山城かな、増えたんで五天守になったんですか。これ、みんな同じ問題を抱えているんです。国宝であり重文であるから、やはり中をいじくれないわけですね。障害者のための施設を、バリアフリーの機械を造れないわけなんです。
次に、江戸城天守閣の復元の問題なんですが、実は江戸城も建地割図という設計図が残っておりまして、これに忠実に木造で復元できれば将来重文や国宝になれるのではないかということで、NPOを始め今財団法人もできて様々運動が進んでいるんですけれども、ただ、難しいのは、今残っている天守台が四代目の天守台なんですね。ただ、上の天守閣は造らなかったわけです、火事で焼けちゃった後。
また、文化財保護法等の関係におきましては、江戸城跡が特別史跡でございますので、天守閣の復元を行う場合には文化庁長官の現状変更の許可が必要となりますが、天守台の所有者である宮内庁の同意が前提となることに加えまして、先ほど史実の関係との整合性の話がございますが、現在の天守台は実在した天守閣のための台よりも大きく造られておりまして、歴史的事実との関係をどのように整理するのか、天守閣が実際は再建されなかったわけでございますけれども
今回意見が二分しておりますと申し上げましたけれども、その意見の一つは、今回は戦災で失った天守を復元する事業であり、史実に忠実に復元してこそ意味がある、バリアフリーは必要ないという意見があります。他方、復元とはいっても、これから建設する建物なのにバリアフリーでないなんておかしい、バリアフリーにしていろんな人に見てもらった方がいいじゃないかというような意見でございます。
○中岡政府参考人 文化庁におきましては、国宝姫路城大天守の管理団体でございます姫路市が、平成二十一年から二十六年度にかけまして実施した保存修理事業に対しまして補助を行っております。 この補助事業の実績報告書におきましては、工事請負契約書の写しの提出を求めておりますので、工事に要した総額については把握はしておりますけれども、元請業者と下請業者との契約額については承知をいたしておりません。
当該現状変更の許可に当たりましては、現在の天守の解体、除却工事が文化財である石垣に影響を与えない工法であり、その保存が確実に図られることが示されていること、木造天守の忠実な復元がなされるような具体的な計画内容であること、木造復元にかかわる工事が文化財である石垣に影響を与えない工法であり、その保存が確実に図られることが示されることなどが必要であると考えております。
そこで、提案したいのですが、今回の天皇の御退位、御譲位、そして新天皇の即位、さらには東京オリンピック・パラリンピックの開催などの御慶事を記念して、皇居東御苑、これ江戸城天守でいうと本丸跡のところですけれども、ここを是非とも天皇陛下から国民の皆さんにすばらしい御慶事でありますので御下賜をいただいて、恩賜公園あるいは城址公園として国又は東京都が整備をすれば、多くの国民、都民、観光客の皆さんにも大変喜んでいただけるのではないかと
現在の名古屋城天守を解体、除却し、往時の姿に木造復元する場合には、かつて天守があった場所は国の特別史跡に指定されておりますので、文化財保護法に基づく手続といたしまして文化庁長官の現状変更の許可が必要となります。
ふるさと納税」では、大雪山の恵みの水を未来の子供たちにもとか、原生の森の復元に百年の計で挑むとか、天守を動かす百年ぶりの石垣修理とか、おらほの町のためにつながる力をみんなの力へとか、まさに先ほどの理念に沿った事業がいろいろと紹介をされておるわけであります。
十一月十七日の昼過ぎに、姫路市の世界遺産、国宝姫路城で、大天守に小型無人機、ドローンが衝突して落下するという事故が発生しました。 複数の外国人グループがドローンを飛ばそうとして警備員から注意を受けていたという情報もありますが、容疑者特定には至っていないと聞いております。
○石井国務大臣 お尋ねの事案につきましては、十一月十七日午後零時四十五分ごろ、姫路城の大天守に無人航空機、ドローンが衝突したというものであります。 無人航空機につきましては、昨年、航空法を改正いたしまして、飛行する空域や飛行方法について基本的なルールを定めました。
委員御指摘のように、姫路城につきましては世界遺産に登録され、また、大天守は国宝に指定されているということで、我が国の貴重な文化遺産でございまして、確実に次世代に継承していく必要があると思っておりまして、先ほど御説明ありましたように、十一月十七日にドローンが姫路城大天守に衝突したという事件は極めて遺憾であるというふうに考えております。
こういうところに大臣から是非とも、この城郭の復元については様々な効果が見込まれるわけで、これは江戸城だけじゃないんです、全国でもう十五の城郭で、本物の木造天守を造りたい、あるいは建て直したいという運動が市民運動でどんどん起きているんですね。
実は、私はこの委員会で前下村大臣のときも何度か取り上げたんですけれども、今、江戸城天守閣の復元運動に取り組んでおりまして、今そのNPOがありまして、江戸城天守を再建する会、そのメンバーの一人としてずうっとここ数年活動をしております。
○松沢成文君 実は、NPO法人の江戸城天守を再建する会の皆さんが今どんどん話を進めていまして、日本経済研究所に試算をしてもらったんですね。そうしましたら、木造で造った場合、建築工事費三百五十億円、そして経済波及効果は初年度で一千四十三億円、雇用誘発効果は初年度で八千二百四十人と、大変な経済波及効果がある、観光振興にもつながっていくということなんですね。
私自身も、三月の終わりに、この歴まち法の発祥の地と言われております犬山市というところに、これは政府の車座ふるさとトークの企画でお邪魔をさせていただきまして、大変エネルギッシュな市長さんやさまざまな取り組みをしている現地の方々からお話を伺ってまいりましたが、まさしくおっしゃるように、本物の天守を持つ犬山城を中心に、その周りの歴史の町をさまざまな技能、技法を通じて復元することで、市民にも誇りが戻り、そこに
○和田政宗君 大型の木造建築物を造る技術というのは日本の誇るべき技術だと思いますし、お城の天守閣、例えば江戸城の天守閣を忠実に木造で再建するとなりますと五層の天守になりますので、歴史的建造物の復元の観点からも規制を緩和できるところはしていただくよう、お願いをできればというふうに思います。 次に、建設、建築業界における伝統技能の継承と担い手の確保について聞きます。
○国務大臣(下村博文君) 私も東京選出の衆議院議員でありますので、この特別史跡江戸城跡の天守台における天守閣の復元について聞いておりますし、実際に現地で、ここに天守閣ができたらどういうイメージになるかということで見に行ったこともありますし、今の御指摘について私も同感する部分がたくさんございます。
この前、民放で特集も組まれておりましたけれども、松本城というのは、五重六階の天守としては日本最古、そして現存十二天守の中では唯一の平城で、また漆黒の、カラス城とも呼ばれておりまして、今外国から大変な人気でございます。 また、安曇野を経て、白馬というところもあります。白馬は、御存じのとおり、オリンピックでは大変有名になりました。
今、石積みといいますか、石垣のことだけを申し上げましたが、実は天守も解体修理をしていただきましてからもう二十年近くなります。三十年にはなってないと思うのですが、二十年はたっておると思うのです。屋根が相当傷んでおりまして、屋根のふきかえをお願いしておると思います。
第三日目は、穂高町の碌山美術館において、日本近代彫刻の父、荻原守衛の作品を鑑賞した後、国宝松本城天守、日本民俗資料館を視察し、調査の全日程を終了いたしました。 以上、各視察個所の詳細については、会議録末尾に掲載予定の文書報告をごらんいただきたいと存じます。