2016-05-11 第190回国会 参議院 政府開発援助等に関する特別委員会 第5号
それから、ラムポート、港、これ南スーダンということで、これは交通コリドーでLAPSSETと言われるものですが、このLAPSSET、そもそも日本のコンサルタントが設計なさったものでありまして、十六のフラッグシップの大陸横断的な輸送経済回廊プロジェクトがこの傘下に入ります。それによって、東アフリカ地域の経済開発を更に加速させようというものであります。
それから、ラムポート、港、これ南スーダンということで、これは交通コリドーでLAPSSETと言われるものですが、このLAPSSET、そもそも日本のコンサルタントが設計なさったものでありまして、十六のフラッグシップの大陸横断的な輸送経済回廊プロジェクトがこの傘下に入ります。それによって、東アフリカ地域の経済開発を更に加速させようというものであります。
百人を超える明治の方たちが明治四年に横浜港から出て、サンフランシスコ、大陸横断鉄道、ニューヨークとワシントン、大西洋を渡って、スウェーデンからイタリアまで、各地域に散って、その地域の文化、地域のあるいは医療だったり、統治機構だったり、あるいは科学技術、全て見聞をして、帰り、スエズ運河を抜けて、植民地であったシンガポールあるいはサイゴン、四つの植民地を見て日本に帰国するわけですよ。
昔はアメリカというのは大陸横断鉄道を敷いて開発していったんですが、二十世紀になってくると、やはり道路が大事だと。 さらに申し上げれば、ヒトラーがアウトバーンをつくった。公共事業としてドイツの不況対策にもなった。そしてまた、しっかりとした国土をつくってきた。そういった意味で、道というものは国家にとって極めて大事だということがあります。
今計画が幾つもあるようでありますけれども、私どもには、ぜひ日本としても応援をしてくれないか、こういう投げかけがありましたので、私どもも早速、南米大陸横断道路建設促進議員連盟、こういうことできょう立ち上げよう、こういう考え方で協力をしていこう、こういうことをブラジリアで話し合いをしてきました。
私は、アメリカにおったときに、例えば、大陸横断鉄道を使って西海岸まで旅行をして、方々を回って、また飛行機で帰ってくるということを計画いたしまして、向こうのある社団法人のような観光サービスのところに出かけていって申し込むと、すべて鉄道は、ではこれで幾らだ、飛行機は幾つかあって、安い飛行機はあるけれどもどっちにしますかということで、そこで選ぶともうそれで決まる、そして宿泊は、こういうホテルがありますよ、
東邦生命の太田清蔵会長が、大陸横断道路建設というのを提唱をしておった。私の見方では、これがあの二百六十何億ドルの中にやはり加味されておるものだろう、そういうものが頭の片隅にあったものだろうと思うのですね。
アメリカの大陸横断も数時間で可能というようなこと。それから西ドイツにおいても、日本の技術とほとんど競うような形で高性能の高速鉄道が開発されているということでありますから、いずれにしろ新しい時代はそういう方向へ向いて走り出していると私は見るわけであります。 そうなりますと、今言うように中央新幹線構想なるものが東海道新幹線のバイパス的役割を担う。
アメリカがATTをなぜ分割したかといえば、技術革新によりまして、太平洋岸と大西洋岸を結んでいた今までの大陸横断のケーブルにかえて、その何分の一かの費用でもって宇宙衛星によって簡単に結ぶことができ、ここに新規企業参入の技術可能性が起こった。
従前は、東海岸に近い南北カロライナ州あたりでできます葉たばこは全部大陸横断をいたしまして西海岸まで運んでまいりまして、西海岸で米船に積みかえて日本へ持ってくると、現在は東海岸から真っすぐ持ってくる、そういう試験をいたしておるわけでございます。現在のところ運賃等もほぼ同様でございますので、試験の成績を見まして先ほど申し上げましたように商業的なべースの中で考えてまいりたいと、こういうことでございます。
そしてアーマライト社の販売したものを犯人は大陸横断をしてニューヨークに持ってきて使った、こういうことであります。 これはあとの問題ございますけれども、とりあえずここで、一体どのくらい日本から豊和工業はこのライフルAR180を輸出しておるのか。あなた方一々チェックするといまおっしゃいましたが、チェックをなさっているのだからおわかりだと思う。どのくらい輸出しておりますか。
したがいまして、アメリカなどの場合には、当然SSTを使いますと、これは大陸横断をしてまいります。したがいまして、陸上のどこかで音速を越え、したがって、衝撃波を発するというふうな問題がどうしても大陸の上で出てまいります。
○太田委員 かつてアメリカは、自動車の時代がやがて来るであろうというて、あの豪華けんらんであった大陸横断鉄道も過去の遺物としつつあった。ところが、日本に新幹線というのができて、それで初めて世界の陸上交通界は新しい目を開いた。鉄道は過去のものではない、こういうことに相なって、世界の知識ある先覚者が日本の国の新幹線を視察に来る。おそらく国鉄総裁は鼻が高いだろうと私は思うのです。
だから、私たちはこの八月十日から行なわれます航空協定改定にいたしましても、われわれが行き、また運輸大臣が行かれまして交渉をされました、いわゆる日本の飛行機がアメリカのワシントンを越え、そうして大陸を横断する——サンフランシスコから大陸横断して、そうして、ロンドン、いわゆるビヨンドを認めさせるということについては一応了解したようなことになっておるのでございます。
この点につきましては、アメリカにおきましては大陸横断の場合にはどうしても陸上を通らなければならないので、大陸横断についてはいわゆるソニックブームが大きな問題になっておりますが、洋上を飛ぶ場合にはそれほど問題になっていないというように承知しております。それからまた、一説によりますと、SSTは重い飛行機でございますので、かなり大きな推力を必要とする。したがって、騒音も多いという説もございます。
大体鉄道というものは、政治路線、赤字路線ということで片づけられておったのでありますが、日本の特殊性——五〇%に近いところは降雪地帯であり、しかも、まん中に山岳地帯を持っておるという特殊性から考えますと、アメリカの大陸横断鉄道がもう斜陽産業であるなどということを日本に当てはめて得々としておる人の私は気が知れない。
これは頂点に短い点、それからチョンチョンがありますが、これは各国の大陸横断、いわゆるフックス横断隊あるいはアメリカのバード・ステーションの隊、あるいはソビエトのミールヌイから不到達地点に行きまして、それから極点に行くようなルート、こういうようなおもなる大きなコースを一応示すものでございます。また、縁の実線が昭和基地から見えておりますが、あれは過去日本隊で大陸に足跡を残しましたその跡でございます。
これも一昨々年でございましたが、アメリカへ行ったときに、私ちょうど大陸横断の汽車へ乗りました。飛行機で歩くのではわからぬと思って、飛行機とともに汽車と自動車に乗って方々を歩いてみましたが、汽車の中でニューヨークの在郷軍人病院の病院長の人と仲よくなりましていろいろ話をして参りました。持って参りましたお茶を差し上げて日本のお茶を知っているかと言ったら、全然知らぬと言う。
また「F106は、さらにフランスのダッソー社ミラージュ3Aが持つ百キロメートルの公式記録及び米国の大陸横断記録をも破ろうとするものである」。あなた方はコンベアはF104よりも悪い、スピードと上昇力において劣っていると、こうおっしゃっておる。とんでもないことがアメリカの雑誌に載っておるのです。
この問題はやはりアメリカが、ベル・システムが大陸横断のマイクロ・ウエーブをやつてそういうサービスをしている。これは公社は、自分のイニシアチブによつて、政府の援助を借りても一刻も早くこれを完成する必要があると思う。
これは大陸横断列車、いわゆるトランス・コンチネンタル・ライナーのために、夜行列車をずつと早くから発車線にすえつけてしまうのであります。ニユーヨークでは、サニー・サイド操車場が水の便利のよい川ぶちに置いてあつて、この客車操車場で旅客列車を仕立てて、セントラル駅へどしどし送り込み、発車線へすえつけておく。