1949-12-03 第6回国会 衆議院 懲罰委員会 第2号
四年、五年、六年、七年と外地におつて、やつと久しぶりに日本に帰つて参りますと、あの舞鶴の援護局には、大阪警察学校の生徒を三百人も動員して、みんな監視づきでやつておる。監視という言葉に対して、御説明が願いたいのであります。かりに監視ということを百歩譲つて認めるとして、なぜ監視をしなければならぬかということに対してのあなたの御説明を願いたい。
四年、五年、六年、七年と外地におつて、やつと久しぶりに日本に帰つて参りますと、あの舞鶴の援護局には、大阪警察学校の生徒を三百人も動員して、みんな監視づきでやつておる。監視という言葉に対して、御説明が願いたいのであります。かりに監視ということを百歩譲つて認めるとして、なぜ監視をしなければならぬかということに対してのあなたの御説明を願いたい。
それからもう一つ、引揚者に対する監視について、舞鶴の援護局には大阪警察学校の生徒が何百人か動員されておるということの御発言があるようでありますが、これはただ現在の政府の責任とあなたはお考えになるか。共産党がこの引揚者をめぐつてなしたところの行動に対しては、いささかの責任もお持ちにならないかどうか。
四年、五年、六年、七年も外地にいて、やつと久しぶりに日本に帰つて来ますと、あの舞鶴の援護局には、大阪警察学校の生徒を三百人も動員して、そうしてみんな監視づきでやつておる。 〔発言する者多し〕