1974-03-05 第72回国会 衆議院 内閣委員会 第10号
それから、日中の定期航路の復活、これは私の住んでおります北九州では、大連航路だとか、あるいは上海航路だとかいうものがございまして、日中の人と物との往来がずいぶんございます。いまでも不定期には行き来をしておるわけです。これを、やはり定期化したい。それから、長崎には長崎−上海航路というものがありまして、これの復活というものを、長崎県会、知事さんをはじめ、全県民あげて願っている。
それから、日中の定期航路の復活、これは私の住んでおります北九州では、大連航路だとか、あるいは上海航路だとかいうものがございまして、日中の人と物との往来がずいぶんございます。いまでも不定期には行き来をしておるわけです。これを、やはり定期化したい。それから、長崎には長崎−上海航路というものがありまして、これの復活というものを、長崎県会、知事さんをはじめ、全県民あげて願っている。
それに対して從來から命令航路において、或程度の助成をしておつたのでありまするが、終戰前におきましては台灣航路、或いは大連航路でありますとか、関釜連絡線のような特殊なところを除く以外におきましても、相当に考慮すべき点があつたものを、漸次その航路を、命令航路というものに対しても助成金を削減して、民間の自主的な企業として行くというような傾向を辿つて行くように思われる。