しかし、陪審制といったときに、どうしてもイメージするのは、いわゆる民衆裁判といいますか大衆裁判というか、例えば中世においては、閉鎖的な村落の中で、裁判という名において一種リンチ的な縛り首が行われたとか、そういうのもイメージしますし、民衆裁判ではないけれども、宗教裁判の中では、いわゆる魔女裁判というのもあったし、ガリレオが宗教裁判で有罪にされて、それでも地球は回る、こう言った、こんな例もあるわけです。
倉田雅年
アメリカなんかがそうなんだけれども、陪審員とか、あるいはまた選挙制度なんかで判検事が選ばれるというようなことになると、やや大衆裁判に近いような方向に行きかねない。大衆は大事なんだけれども、実体的真実をあくまでも発見するということになりますと、やっぱりプロの緻密な積み上げた努力ということが非常に大事だと思うのです。
秦野章
○安部委員 それは何ですか、平塚運動に共鳴しないとか、たとえば反動的であるとか、そういうものが大衆裁判によつて判決を受けて、その結果宣告されて、非常に苛酷な労働に服する。こういうことなのですか。それをもう少し……
安部俊吾
また收容所長の立会いのもとに大衆裁判、いわゆる人民裁判が行われたのですか。
安部俊吾
○吉田証人 いわゆる大衆裁判――私自身も大衆裁判に付されたのでありますが、大衆裁判は日本人の議長がおつて、そこには議長という大きな字が書いてあつて、その側に検事、判事、陪審員――主として日本人が立つております。またそこにMVDの将校、所長、通訳もおります。作業に将校はみな請願書というものを強制的に書かされた。それを私たちが書かなかつたために、いわゆる大衆裁判にあつた。
吉田幸平
これは大衆裁判によつて、大衆の圧力によつて、反動として吊し上げられる。そういうものによつて起るところの病気であります。
山本昇
私自身六月帰国というのを、それを大衆裁判にかけて更に九月まで延されております。この事実を何と見るか。尚ナホトカで九月九日に着いてから四十数日間延しております。この事実を以てどうするか。即ち実権というものは全部民主委員、共産党というものが握つておつたということがはつきり言えるのであります。
それから死体の処置であります。病院における死体の処置、そういうことについて一言申上げます。
山本昇
いわゆる大衆裁判、人民裁判という言葉は当時ソ領ではあまり耳にしませんでした。それは俗に吊し上げと言われておりました。我々仲間でこれをまあ何と言いますか、形で現わすのに、ここの魚を吊す鈎の格好をしまして、これだ、彼はこれされたというような表示をいたしました。吊し上げ、或いはカンパ摘発というような言葉で言うておつたようでありまい。私自身その吊し上げに二回程遭いました。
増渕俊一