2009-07-02 第171回国会 衆議院 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会 第2号
とするならば、その国民の大衆感覚、民衆の思いに立った政治をやるために、まずは、その起点である政治と金の問題、政治倫理の問題、きっちりと片をつけていく必要があると思っておりますので、今後また、この問題は自民党の方でも取り組ませていただきたいと思います。
とするならば、その国民の大衆感覚、民衆の思いに立った政治をやるために、まずは、その起点である政治と金の問題、政治倫理の問題、きっちりと片をつけていく必要があると思っておりますので、今後また、この問題は自民党の方でも取り組ませていただきたいと思います。
特に、議論のある教育基本法第一章第二条第五項の、伝統と文化、国云々ということについて私見を述べさせていただきますと、まず第一に、伝統と文化を尊重ということですが、伝統芸能を学ぶということにしましても、伝統芸能がその時代の生きた娯楽であった時代にはその時代の大衆感覚に合っていたわけですが、大衆芸能としては死んでしまったものまでも現代の子供たちに尊重させるのは大変に無理があります。
それが大衆感覚です。残念ながら、それが政治というものかというほど、たいへんどうもわかりきった議論を遠回りに言わなければならぬことがあるわけですから、もし暫定基準ということになったときに、いまのような、つまり五十年のパターンお考えになるおつもりかどうか、承っておきたいと思います。
こういうかっこうの不安定、こういうものの上にはっきり立っているんだということ、この大衆感覚をはっきりつかまなきゃ話になりません。ことばなんかで真剣だとかなんとか言ったって、何も真剣じゃない。真剣でない証拠は、何も解決してない。ここのところはほんとうにあなたたちの命取りにだってなるのだから、この点をもっと真剣にこれは考えなきゃなりません。
大衆感覚から言えば、むしろこれを厳重に取り締まってもらいたいという声が強く、警備業者あるいはガードマンについては、権力意識があるとか、暴力団のような感じがするとか、用心棒のような感じがするという声が圧倒的なんです。それにもかかわらず、そういうものを取り締まりをしていくという立場でのニュアンスの答弁が全然聞かれない。
これが偽らざる大衆感覚と考えます。池田総理大臣は、聞くところによりますと、安岡正篤氏に師事されておられるということであります。私も安岡正篤氏の書物をよく読みますが、安岡氏がその中で「復初の説」ということをしばしば書いておられるのであります。復初とは初めに返るということであります。初心に返るということであります。
当委員会における論議は、この大衆感覚を忘れて、事実上の論議に終っては、問題の本体をつかむことはできないと思います。従ってこのような問題について、最後にどのようにお考えになるか伺って、私の質問を終ります。
それが先ほど三宅君の言われたように、煙の立つところは公団と特別調達庁だという大衆感覚を生んだわけでありますが、それではいかぬというので戰災復興院に統一せられ、それでもなおいかぬというので、まつたく占領軍の申し子のごとき特別調達庁が生れて現在に至つているわけであります。