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17件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2000-02-28 第147回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号

宮澤国務大臣 何事もそうかもしれませんけれども、たばこはかつて大蔵省専売局に属して専売事業でありました。それが公社に分かれる。大変長い経緯がございますが、その間、日本たばこ耕作者というものは、かつてはかなり多うございましたが、かなり減ってまいりました。かなり減ってまいりましたが、現在まだ相当の数がおって、簡単な転業ができるわけでもない。

宮澤喜一

1984-07-31 第101回国会 参議院 大蔵委員会 第27号

説明員長岡實君) 大変厳しい御指摘を受けたわけでございますが、今から三十五年前に大蔵省専売局日本専売公社に変わりましたときから、営業等の分野につきましては、前垂れがけでやっていかなければいけないということで進んでまいりまして、実は私事になりますが、私は公社の経験がまだそれほど長くございませんので、私から申し上げるのはいかがかと存じますけれども、私が公社に参りまして見ましても、営業の部門というのは

長岡實

1984-04-06 第101回国会 参議院 大蔵委員会 第11号

これにつきましても、昭和二十四年に大蔵省専売局日本専売公社に改組されて以来の大きな改革であろうというふうに考えております。  それから輸入、卸、小売の点についての御質問でございますけれども、輸入並びに卸業につきましては、登録制度はとるわけでございますが、原則として自由にいたします。  

小野博義

1983-03-24 第98回国会 参議院 大蔵委員会 第8号

いままで大蔵省財政専売の中で、大蔵省専売局ということの認識、発想というのがどうしてもあると思うんですね。けれども、私はこの関税率の引き下げということを奇貨として、さっきも申し上げましたように、新しいたばこ戦争日本の市場の中で始まってくる。それで輸入会社をどうしても別途つくらなきゃならぬでしょう。私の感じとしては、専売公社の中に取り込むということはどうしても無理だと思うんですね。

鈴木和美

1983-03-22 第98回国会 衆議院 本会議 第13号

向学の心あつい君は、十六歳にして、当時の大蔵省専売局板橋製作所に勤務する傍ら、努力して専検に合格し、さらに高文の受験を目指したのであります。しかし、第二次大戦の召集によってその道を閉ざされ、このことが後に君の人生の指針を決める契機ともなったのであります。  

二階堂進

1979-06-05 第87回国会 参議院 大蔵委員会 第22号

それまでは大蔵省専売局ということで大蔵省内の組織でございましたが、いわゆるマッカーサー書簡によりまして、当時は労働問題等に端を発しまして専売公社日本国有鉄道公社経営になったわけでございますが、当時の公社法の国会における提案趣旨は、やはり企業体として事業効率性、健全にして効率を上げていくというために独立法人格を与え、独立管理組織を持たせるというようなことが当時の提案理由になっております。

後藤正

1979-06-05 第87回国会 参議院 大蔵委員会 第22号

鈴木一弘君 実質は大蔵省専売局から名前だけが、外見だけが専売公社に変わったというふうにいまの答弁だと変えてきておりますが十分とは言えませんという、まだまだ不十分という話ですけれども、設立当初の過程の中でも、これは「日本専売公社発足」という専売公社の本の中にも出ておりますけれども、総司令部との応対、折衝の中からマッカーサー元帥意向は、実態は現在どおりでもよいが、形は公社をつくりたいということが痛切

鈴木一弘

1975-04-23 第75回国会 衆議院 大蔵委員会 第28号

大正十一年に当時バットが七銭から六銭ですか、これ一回しかなかったですけれども、公社発足以来は、いままでの大蔵省専売局のやり方と違って、サービス精神でやろう、こういうことで二十五年、二十六年、三十一年と値下げがあったですね。しかもその値下げがあって売り上げは伸びたでしょう。売れ行きは、値下げがあったがためにぐんと進んだ、益金の方も確保された。  

荒木宏

1975-04-23 第75回国会 衆議院 大蔵委員会 第28号

大蔵省専売局ならいざ知らずですけれども、そういった点で、公共料金凍結という立場から、副総裁みずからも言われた三つの目的のうち、しかもどれが後先ということなく、こうおっしゃっておるのですけれども、いままでの値下げをした事例と実績の検討も十分でなく、また抵抗なく売れ行きを伸ばしていくには二〇%が限度ということの吟味もこれまたなされておらず、ただひたすらに財政需要を満たすためにだけということになりますと、

荒木宏

1975-04-23 第75回国会 衆議院 大蔵委員会 第28号

つまり、全部吸い上げるというのではなくて――公社大蔵省専売局から離れた経過はいろいろあります。またサービス精神ということも言われましたけれども、しかし、いずれにしても、現在、公共料金として国民生活を守る上で強い要請があることも御承知のとおりです。法律上のたてまえから言えば、そういった立場からの経営をやって、その上で納付金があれば納付しなさい、こういうことでしょう。

荒木宏

1974-04-26 第72回国会 参議院 本会議 第19号

濱田議員は、明治三十一年八月一日、高知市浦戸町にお生まれになり、大正十一年東京帝国大学法学部政治学科を卒業、大蔵省専売局に入られました。地方専売局長として各地を転勤され、後昭和十六年には広島税務監督局長及び財務局長、翌十七年には大蔵省営繕管財局長に任ぜられました。この間、朝鮮、関東州、満洲国中華民国等に出張され、また、各種の委員会営団等委員評議員をおっとめになり、御活躍をされておりました。

世耕政隆

1970-04-14 第63回国会 参議院 大蔵委員会 第16号

説明員牧野誠一君) 専売公社では、これは明治三十何年かに大蔵省専売局として発足して以来あまり変わっておらないのですが、住宅に対する方法としては、なるだけ近所の方にその工場へ来ていただくということで、一般には寮だとかあるいはそのための宿舎だとかいうようなものはなるだけつくっておらないということでやっております。

牧野誠一

1963-02-11 第43回国会 参議院 オリンピック準備促進特別委員会 第3号

大蔵省専売局関係じゃございませんけれども、競馬をやってもうけた金で馬事公園馬事施設をしてオリンピックが終わればそのまま競馬界の財産になる。人のふんどしで相撲をとって施設をふやしていくだけです。そういう政府の態度は根本的に間違いです。お説教をするようだけども、これだけのものを国民に協力を得なきゃオリンピックできないんでしょう。

河野謙三

1959-03-18 第31回国会 参議院 予算委員会 第13号

そこで将来、われわれの承わっておるところによりますと、この減反はもうこの辺でストップすべきであるというふうな考え方を持つべきではないかと思うのでありますが、それには輸出振興の問題が関連を持つのでありまして、今年度の予算を拝見いたしまするというと、大蔵省専売局予算の中で輸出の予定は三百万キロであり、前年に比して二百万キロも減じているというようなことは、一体何を物語るものでありましょうか。

島村軍次

1952-05-19 第13回国会 衆議院 内閣委員会公聴会 第1号

私は国鉄公社の模様も拝見しておりますし、また専売公社運営委員なつておりますが、専売公社のあり方のごときは、まつたく大蔵省専売局が文字通り看板を塗りかえたというだけでございます。そうして秋山孝之輔氏がただ総裁なつているだけであります。総裁、副総裁と言つておりますが、副総裁以下は大蔵省の方がおられまして、まつたく帽子的の存在になつておるというわけであります。

原安三郎

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