2018-05-29 第196回国会 参議院 外交防衛委員会 第17号
委員御指摘の、防衛大臣に対する報告に約一か月を要し報告が遅れた事案につきましては、人事教育局服務管理官等において懲戒調査を行い、統幕と大臣官房文書課の関係者から供述を取り、又は供述に代わる答申書を出させるとともに、統幕と文書課の約一か月間の具体的なメールのやり取りを含む調整状況を把握するとともに、作成された資料についても全て提出させるなど、でき得る限りの調査を行うことにより、関係者の規律違反の状況について
委員御指摘の、防衛大臣に対する報告に約一か月を要し報告が遅れた事案につきましては、人事教育局服務管理官等において懲戒調査を行い、統幕と大臣官房文書課の関係者から供述を取り、又は供述に代わる答申書を出させるとともに、統幕と文書課の約一か月間の具体的なメールのやり取りを含む調整状況を把握するとともに、作成された資料についても全て提出させるなど、でき得る限りの調査を行うことにより、関係者の規律違反の状況について
報告書に記載されておるとおり、三月五日、統幕参事官付きから統幕総括官に対しイラク日報が確認された旨報告があり、統幕総括官は、大臣官房文書課に連絡するよう指示を行うとともに、航空自衛隊内にイラク日報が保有されていないか確認するよう併せて指示を行っております。
本年二月二十七日、陸自が昨年十一月二十七日から実施した陸自の海外活動に係る大臣官房文書課等の定時報告の確認作業結果をリスト形式で統幕参事官付きに提出し、三月二日、陸幕は統幕参事官付きに対し、イラク日報の現物の一部を送付しております。
○高橋政府参考人 鈴木総括官から私の大臣官房文書課の方に連絡があった三月五日でございますが、その時点について、私もその管理責任を今感じてございますが、端的に申しますと、大臣に上げるために必要な調査あるいは資料の収集、あるいは資料の作成が必要だったということでございますので、そのような中でやむを得ない仕儀だったと思いますが、いずれにしろ、一報するべきだったというふうに感じております。
○篠原(豪)委員 時間ですので最後の質問にさせていただきたいと思うんですけれども、大臣官房文書課に三月五日に行っているんです。それが長官のところに、あるいは政務に上がっていないとすると、こういうことがありますよと、発見しました、大事件ですから。それを聞いていたのか。聞いていなかったとすると、これはやはりシビリアンコントロールがきかないという大変な問題でもあります。
そして、同日、同じ三月五日の日に大臣官房文書課の方に一報したということでございます。
これ、総務省に聞いたら、各省庁によって何人担当にしているかとか、例えば官房長なのか官房文書課長なのか大臣官房文書課長なのか、その辺が各役所によって違うので、だから、それを説明していただきたいんですよ。それを説明していただければいいので、私は、誰か個人名を言いなさいと言っているわけじゃないんですね。
大臣官房文書課を通じて国会提出資料を出すときに、これが大変重要な、もしかしたら政権の屋台骨も揺るがすような資料だというのは、認識していなかったら大臣文書課長は失格だし、そこから大臣文書課長の上司の官房長、次官に、こういう資料を出しますからというのは当然行っているんでしょう、これは。行っていなかったら文書課の懈怠ですよ、どうですか。
財務省におきましては、総理の答弁につきましては、担当部局がまず作成をいたしまして、必要に応じまして大臣官房の文書課において確認をした上で最終的に官邸の総理秘書官が確認を行い、また大臣を含む政務三役の答弁につきましては、担当部局が作成した上で大臣官房文書課と当該秘書官が確認を行い、それから政府参考人の答弁につきましては、担当部局が責任を持って作成するといった分担になっております。
○江田(憲)委員 ということは、改ざん後の資料を、去年ですか、提出をしていたことについては、当然、理財局だけではなくて、大臣官房文書課も当然知っているということですね、その提出資料については。
また、南スーダンのPKO活動の日誌について、統合幕僚監部の中に共有サーバーにこの日報が残っていることを知っている者がいたにもかかわらず、情報公開請求に関する大臣官房文書課の意見照会に対して意見なしと答えた。 この過程について、我が党の後藤委員から、これはしっかり第三者を入れた調査委員会を立ち上げるべきではないかということを申し上げさせていただきました。
大臣官房文書課から意見照会があって、政策調整官が意見なしで決裁した、その過程で何人かの方がかかわって、その当時の過程を検証することに意味がないという答弁をきのうされました。しかも、それを今撤回されませんでした。ところが、この過程を、要は間違ったわけですから、間違った原因を究明することに意味がないんですかと聞いたら、それは意味がないわけではないと。 一体どっちの答弁が正しいんですか。
この大臣官房文書課からの照会の中には、不開示とする理由として、存否を確認した結果、既に廃棄しており、保有していなかったという決定を防衛省としてするということでよろしいですかという照会が来ているんです。にもかかわらず、参事官付の中で、この共有フォルダの中に実際はあったわけですけれども、そこをあるかどうか調査する義務はなかったんですか、参事官付に。
○後藤(祐)委員 今最後におっしゃった法的義務はなかったというのは、この情報公開請求に関して、大臣官房文書課から意見照会を受けた参事官付は、共有フォルダにある日報を調査する義務はなかったという意味でおっしゃっているんですか。
その中で、おとといの質疑では、統合幕僚監部の中にこの日報があるのではないかということで、大臣官房文書課から、これは情報公開請求の窓口だということだと思いますが、統合幕僚監部に対して、破棄により不開示と防衛省として答えていいかということについて意見照会がありました。これは大臣がお答えになられております。これに対して、意見なしという回答を、これは統合幕僚監部としてされておられます。
そして、それは、大臣官房文書課からまず最初に承った方そのものなのか、あるいは別の方が関与しているのか。それぞれ、総括班の方なのか、国外運用班の方なのか、あるいはほかの班の方なのか。何人かいらっしゃる可能性もありますので、そこを具体的に説明いただきたいんです。
○後藤(祐)分科員 もう三度目ぐらいなんですが、政策調整官に対して上げるまでの間、大臣官房文書課から、破棄により不開示としたことについて、これでいいですかという意見照会を受けた方が必ずいるはずなんですね。
大臣官房文書課から統幕に対して意見照会がありました。意見なしという回答をする前に、統幕の中で何人かの方に確認をしたんじゃないんですか。何人ぐらいに確認したんですか。
○後藤(祐)委員 そうしますと、大臣官房文書課から統幕に意見照会があって、その意見照会を受けた人が単独で、その人だけの判断で、意見なしとお返ししたということですか、どなたにも相談しないで。
なお、昨年十一月十日付けで発出した大臣官房文書課長事務連絡「各種行事における部外団体を代表して参加された方の御挨拶の概要の提出について(依頼)」については、その必要性は終了したとの判断から、新たな通達の発出に際し、これを廃止することを併せて御答弁申し上げます。
○副大臣(小川勝也君) これは理事会で申し上げましたように、事務次官通達に付随をして同日付けで発しました大臣官房文書課長の事務連絡のことでございまして、これは「各種行事における部外団体を代表して参加された方の御挨拶の概要の提出について(依頼)」、このことについては、もう必要性は終了したとの判断から、新たな通達の発出に際し、これを廃止することを併せて御報告申し上げますと私は述べました。
防衛省・自衛隊が主催し又はその施設内で行われる行事について、部外団体を代表して参加された方がごあいさつを述べられた場合には、当分の間、その概要を作成し、大臣官房文書課に提出していただきますよう、よろしくお願い申し上げますと。だから、事前になんてことは全く言っていないわけであります。 そこで、経緯を明らかにするために、私の方から少し時系列でお話を申し上げます。
これは、平成二十一年十二月、大臣官房文書課というクレジットが付いて、表題が、自衛隊各種行事等における国会議員の招待等についてと。しかも、注意も非常に見慣れた形の注意の判こ。また、この書いてある内容もまさに、あるいはその文言の使い方も段落のやり方も防衛省の文書規則にのっとっているようなものになっています。ただ、政府の方はこういう文書はないというふうに言われています。
また、二点目の国道百八十八号バイパス事業について、用地取得に着手した平成三年度を事業採択とすると、その当時の山本氏の官職は、平成三年六月十三日以前が建設省大臣官房文書課企画官、同年六月十四日以降が建設省近畿地方建設局総務部長であります。
産業研究所でこの不祥事が起きたときの常勤の役員というのは、平成十七年ですと、理事長が常勤、所長が常勤、理事が非常勤でずっとおられまして、一人だけ常勤、通産省大臣官房文書管理官であった人が事務局長として常勤だったんですよ、この産業研究所は。この不祥事を出した、不祥事を出したこの部署は、大臣官房企画室なんですよ。
河合 和郎君 (3) その他の出席者 財務金融委員会専門員 鈴木健次郎君 金融庁総務企画局審議官 三國谷勝範君 金融庁総務企画局政策課長 桑原 茂裕君 金融庁総務企画局信用課長 乙部 辰良君 金融庁総務企画局信用課信用機構室長 藤井 健志君 財務省大臣官房文書課国会連絡調整官
昭和三十七年に郵政省に入省されると、岡さんは、大臣官房文書課に配属され、新設の宇宙通信連絡室兼務となり、東京オリンピックを直前に控えた通信衛星による宇宙中継に取り組まれました。日米間の初めてのテレビ中継にケネディ大統領暗殺のニュースが飛び込み、衝撃的な映像を目の当たりにして、新しい技術の時代の幕あけを人々に強く印象づけたのでした。
部屋に帰りまして秘書に、どうだ、これはよくわかるかと言ったら、秘書が、読んでいてわからないところを運輸省の大臣官房に問い合わせて、大臣官房が翻訳を書いてきてくれてファクスで送っていただいたのがこれでございまして、その証拠が一番上に「運輸省大臣官房文書課」で、「十一月十日十二時二十六分」、こう書いてあるわけでございます。
その後も大蔵省主計局主計官、同総務課長、大臣官房文書課長、同審議官と激務をこなしてこられました。 昭和四十六年二月、参議院の石川地方区の補欠選挙では、地元の要請を断り切れず、大蔵省を辞して出馬し、見事当選されたのであります。