2011-07-27 第177回国会 衆議院 文部科学委員会 第15号
○馳委員 そうなんですよ、大臣、ここが実はこの論争の一つのポイントでもあって、鍋島藩の娘さんが二人、加賀前田藩の系列である大聖寺藩にお嫁入りしているんです。江戸時代における藩同士がお嫁入りをすることの意味、はっきり言いますけれども、まさしく産業的な結びつき、地域としての結びつきというものを否定することはこれはできないんです。
○馳委員 そうなんですよ、大臣、ここが実はこの論争の一つのポイントでもあって、鍋島藩の娘さんが二人、加賀前田藩の系列である大聖寺藩にお嫁入りしているんです。江戸時代における藩同士がお嫁入りをすることの意味、はっきり言いますけれども、まさしく産業的な結びつき、地域としての結びつきというものを否定することはこれはできないんです。
○吉田政府参考人 古九谷が生産された当時におきまして、鍋島藩と、大聖寺藩と言っていたかと思いますけれども、その間に縁戚関係がございました。
一九三〇年、大聖寺付近の地震、これは震源の深さがゼロキロメートルですけれども、大崎の方法によると二・七あるいは六・二キロメートル、これは違った時間ですけれども、そういうふうになってしまう。
○説明員(佐藤幸市君) 九谷ダムの進捗状況でございますが、九谷ダムは大聖寺川の洪水調節、それから、加賀市、山中町の水道用水の供給を目的としまして、現在石川県におきまして実施されております補助多目的ダムでございます。昭和四十五年に実施計画調査を開始いたしまして四十八年から建設事業に着手した後、水没関係者の御理解と御協力を求めて現在話し合いを進め補償の調査を行っておる状況でございます。
○説明員(玉光弘明君) ただいま大聖寺川の河川改修の進捗状況はどうかということでございますのでそれにつきましてお答えいたします。 大聖寺川の改修につきましては、昭和三十九年の七月に大きい出水がございまして、これを計画対象としまして、この規模が毎秒五百立方メーターという水を流すという規模でございました、それが加賀市内においてでございますが。
福井地方気象台の調査によりますと、県の北部で七日夜半より八日午後六時までの降雨量は、平野部で百ミリ、山間部で二百ミリ、九日早朝には、平野部で一時間十ミリ、山沿い地方では二十ミリ、ところによりましては三十ミリないし四十ミリ、九日午前九時までの降雨量は、平野部で二百ミリ、山沿い地方では三百ミリから四百ミリを記録し、また金沢気象台の調査によりますと、七日より九日にかけて、金沢市二百二十五ミリ、大聖寺二百五十四
ただ、ただいまも御答弁にございましたように、北陸本線の方では、敦賀と大聖寺の間が、まだ作業用の列車をようやく通せる程度でございまして、まだ普通の営業列車を通せる状態になっておりません。
今日三十日現在におきます不通区間は、北陸本線、すなわち敦賀−大聖寺間及び七支線となっております七それから各駅に抑留されておりました旅客列車は、二十八日以後皆無になりました。それから貨車につきましては、現在なお相当数の抑留車が残っておるのは、はなはだ残念でありますが、一日もすみやかにそれを解消するように努力いたしております。
また、道路についてみますと、一級国道二号線の倉敷−岡山−大聖寺に通ずる区間はすでに狭隘となっておりまして、交通量の増大に対処していけないということであります。これは発展しつつある瀬戸内海臨海都市に接して作られておる二号国道のほとんど全線にわたっておるということができます。したがって、各地元からのバイパス建設の要望がきわめて強く起こっております。
まず多目的ダムにつきまして、大聖寺川総合開発計画に基づきます我谷ダムを調査いたしましたが、このダムは河口より二十五キロ上流の山中町我谷地内に築造されている堤高五六・五メートルのコンクリート直線型重力式ダムであります。このダムは下流の大聖寺市などの洪水調節、水田約一千町歩の灌漑用水補給、最大出力六千七百キロワットの発電を行なうものでありまして、総工費二十億円、完成は昭和三十八年度の予定であります。
それから大聖寺川の我谷ダムのことでございますが、ダムの地点につきましては地元の了解で、先ほど御報告ございましたように仕事を着工いたしております。ただ発電所の位置の問題でダムの直下に設けるか、あるいは水路式にして下流まで持っていくか、こういう点につきましていろいろ地元で紛糾があるということも存じております。
それから大聖寺から敦賀に至る海岸道路でございますが、先般なるほどこれも二級国道に昇格の御要望等もございましたが、海岸で非常に経費のかかる点もございますが、この路線につきましては鋭意改良を促進いたしている現状でございます。 以上御報告に対するお答えでございます。 それから最後に中島先生から御質問になりました点にお答えいたしたいと思います。
現に、私は名前をはっきり申してもよろしいのでございますが、福井県の大聖寺の松文機業場、これは絹機としては日本一だと思いますが、もう三月以降は、生糸は高く、かつ値段が非常に不安定であるから、化繊、人絹にかわるんだ、こういうことを申しております。
その他宝立正院、松任海洋等の海岸工事の促進、小松—大聖寺間、七尾金沢線の舗装、改良、また宇出津—飯田間、十八束隧道の拡幅等、地元民の強い要望があったことを御報告いたしておきます。 最後に、この調査報告を終るに当りまして、本県の鳳至郡能都町について一言申し述べたいと存じます。能都町は、能登半島の東北部にある人口約六万六千の町であります。
であるというふうな答申がなされておりまするが、そのらち第二の岡山県加茂町阿波村の合併の案件につきましては、ただ山林の処分をめぐっての意見の対立があるわけでございまするが、それにつきましては、ある種の山林処分に対します方針を明確にいたしますとともに、最後の山中町をめぐる石川県のこの十カ町村合併につきましては、これは山中町の反対が非常に熾烈でありましたために、現在完成いたしておりませんが、山中町を除く大聖寺町
これが両省の争いになりまして、昭和八年の第三回治水会議の席上で、石川県の大聖寺川を初めて中小河川であると、中小河川が起つたのはあれが初めてであります。それからして、これに準じた河川は殆んど中小河川でやり得るように当時の内務省で決定してしまつたのです。ところが農林省も又これに負けないで、お互いに競争してこれに準じたような川をやる。
次に石川県江沼郡大聖寺町に簡易裁判所及び区検察庁設置方請願に対する法務府の意見を申し述べます。 江沼郡大聖寺町に簡易裁判所及び区検察庁設置のことにつきましては、去る昭和二十五年三月二十八日付をもつて、同町長外二十名から請願書の提出がありましたので、さつそく調査の結果、土地の状況も一応判明しているのでありますが、現下の国家財政事情等から、その設置は思うにまかせない現状にあるのであります。
○石田最高裁判所説明員 岐阜県揖斐町、石川県大聖寺町、福島県石川町、岐阜県高須町、秋田県鷹巣町、高知県佐川町に簡易裁判所設置方の請願の点について、最高裁判所の意見を一括して申し上げます。
まず日程第一、第二、第一〇、第一二、第一三、第一四、第三六は、揖斐町、大聖寺町、石川町、高須町、鷹巣町、佐川町にそれぞれ簡易裁判所を設置せられたいという請願であります。文書表の朗読を省略いたし、政府及び最高裁判所の意見を求めます。
古橋浦四郎君 検 事 (人権擁護局 長) 戸田 正直君 参 考 人 (警視総監) 田中 榮一君 専 門 員 村 教三君 専 門 員 小木 貞一君 ――――――――――――― 十月十八日 揖斐町に簡易裁判所設置の請願(武藤嘉一君紹 介第)(一九号) 大聖寺町
第二章 石川県 調査班は二十一日、石川県庁に於て柴野県知事、土井副知事、山岡土木部長並びに県関係官及び八尾建設省金澤工業事務所長等から、県下における災害及び復旧工事の概要について説明を聴取した後、手取川復旧工事の現状の一部を視察し、更に大聖寺町において三森大聖寺町長及び村田石川県江沼地方事務所長から、震災に関する説明を聴取した。
九日は小矢部川を見て石川縣に入り、手取川を視察、十日は大聖寺町及び塩屋村の震災復興状況を視察いたしました。十一日は九頭龍川、荒川、足羽川等を視察し、また福井市の復興状況を視察いたしました。十二日は瀬田川、宇治川の発電関係の施設を視察、十三日淀川を見て、大阪の水道、築港方面の地揚げ状況を視察いたしました。十四日に同じく大阪市の都市計画、住宅関係の状況を見て、十五日に無事帰京いたしました。
○南委員 ちよつとお伺いしたいのでありますが、私の國でありますけれども、昨年の十月十四日に大藏省の給與局長から、乙地に指定していただきました輪島、山中、山代、大聖寺、動橋、片山津、これだけのものが乙地のなつたのであります。ところがこういうものがなるのは当然でありますが、ほとんどこれと同じような條件にある町村が、まだほかに数箇町村あるのであります。
なお石川縣の方では、大聖寺を中心として、中小商工業としての見積りが約半分程度の損害ではないかと思うが、これは今後の貿易関係に、石川県も非常に深い関係があるから、金融の方をひとつ特に願いたいということをいろいろ言つておりましたが、その福井縣なり石川縣に対する金融状況、復金であろうと、市中銀行であろうと、中金であろうと、いずれでもけつこうですが、その金融状況をお聞かせ願いたい。
第二に変電所関係といたしましては、被害直後から丙害変電所の應急復旧に努め、六月二十九日には粟津、大聖寺において七万ヴオルト受電を開始いたしまして、金津も七月十五日に七万ヴオルトの受電を開始いたしました。各変電所においてもとりあえず需用に應ずるための應急復旧を完成し、配電に支障なきようにし、轉倒変圧器復旧、建物修理等、本格的復旧工事を準備中であります。
そこでいろいろ石川縣の最も惨害のひどいと言われておりまする大聖寺附近の状況を視察いたしまして第一日を終りました。翌日は福井縣の惨害の中心地でありまする丸岡、長畝等の視察と、福井市へ進入するということを計画いたしまして、途中惨然たる被害地を万難を排しつつ漸く午後二時半頃に福井市に至りました。直ちに福井縣廳に参りまして、副知事並びに関係各方面より状況を聴取いたしました。
災害の最も激しかつた福井市を中心とする周辺の地帶並びに石川縣大聖寺町を中心とする附近一帶の地域の損害は、その後次第に判明したところによりますと、予想外にはなはだしいようであります。すなわち、倒壊家屋は約四万軒、死者三千六百余名、重軽傷者一万余名と推算せられます。政府は、これらの犠牲者に対し、厚き同情と深き哀悼の意を表するものであります。