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158件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2002-11-21 第155回国会 参議院 文教科学委員会 第5号

大学は昔から様々な形で評価されてきたわけでありますが、制度的な大学評価平成三年の大学設置基準大綱化による規制緩和との引換えとして生まれ、以後、規制緩和が進むのに並行して次第に評価も強化されてきたわけでございますが、事前規制が緩和される以上、事後評価はやむを得ないことであります。事前規制から事後チェックへの移行という総合規制改革会議の主張にも一理はあります。

市川昭午

2002-11-05 第155回国会 衆議院 法務委員会 第4号

工藤政府参考人 大学大学院設置基準といいますのは、大学を設置し維持していく上での最低基準という性格を帯びてございまして、平成三年以降なのでございますけれども、私ども、基準大綱化といいますか、大枠だけにとどめて、できるだけ各大学自己責任のもとでの教育の自律をお願いしているところでございます。  

工藤智規

2002-11-01 第155回国会 衆議院 文部科学委員会 第2号

そのことを政策として一番わかりやすいのは、大学設置基準大綱化というのを図りまして、がちがちにいろいろと規制をかけるという行き方ではなくて、それぞれの大学の特色を発揮してもらいたい、それができやすいように設置基準大綱化いたしまして、今、それに基づいてそれぞれの大学が非常に努力を払ってきてくれていると思います。

遠山敦子

2002-07-18 第154回国会 参議院 文教科学委員会 第15号

また、大学設置基準大綱化の際に教養部がほとんどの大学でなくなりました。その理由を聞くと、やはり文部省に指導されたと言う人がいます。私は、各大学がもっときちっと自分の方針を立てて自主的に判断すればよいことではないかと思います。  そこで、ちょっと意地の悪い質問をさせていただきますのでお許しください。  

有馬朗人

2002-05-20 第154回国会 参議院 本会議 第25号

我が省としましては、これまで、そうした観点に立って学習指導要領大綱化、弾力化を図ってきたところでありまして、新しい学習指導要領においても、総合的な学習の時間の創設や選択学習の幅の拡大など、その趣旨を一層進めたところでございます。  今後とも、こうした新しい学習指導要領の下、各学校において特色ある教育が展開されるよう、必要な支援に努めてまいります。  

遠山敦子

2002-04-25 第154回国会 参議院 文教科学委員会 第8号

そのことを踏まえて大学審議会が設けられ、そして一九九〇年代に各種の大学改革の手が打たれてまいったわけでございますが、そこにおいて、大学設置基準大綱化という、かつてなかった、正に四六答申のときにそういうこともやったらよかったと言われたようなことも含めたような大改革もしたわけでございますが、なかなか、国立大学も含めましていろんな努力はされておりますけれども、その改革の実りというのは必ずしも十分でないわけでございます

遠山敦子

2002-04-25 第154回国会 参議院 文教科学委員会 第8号

この問題が一応解決したのは、一九九一年の大綱化によってでありました。しかも、皮肉なことに、日本高等学校アメリカのように大衆化しほぼ一〇〇%の進学率になり、大学もまた大衆化し五〇%の進学率になり、これからいよいよ教養教育が必要なとき教養部を解体してしまいました。このような失敗の、前車の轍を踏まないようにしなければなりません。  

有馬朗人

2002-04-25 第154回国会 参議院 文教科学委員会 第8号

大学設置基準大綱化と言われてございますけれども、最低卒業所要単位は百二十四単位ということだけはお決めしてございますけれども、その中身について、それぞれの大学のそれぞれの学部、もちろん必要な科目というのはそれぞれの分野であるわけでございますけれども、一般教育に相当するような科目を区分しながら、何単位設けなきゃいけないとか、それを何年度に配置しなきゃいけないとかいうことも含めまして、すべて大学自己責任

工藤智規

2002-04-24 第154回国会 衆議院 文部科学委員会 第9号

このため、我が省といたしましては、教育課程基準大綱化、弾力化を行いまして、校長創意工夫を凝らした教育課程を編成できるようにするということが一つ。  それから、昨年法改正を行いまして、市町村立小中学校の教職員の人事について校長意見を一層反映できるように、市町村教育委員会から人事権者である都道府県教育委員会への内申に校長意見を付することといたしたところでございます。  

矢野重典

2002-04-23 第154回国会 参議院 厚生労働委員会 第8号

このため、盲学校高等部においてでございますが、理療保健理療の教科を設けておりまして、平成十五年度から実施される新しい学習指導要領では、あん摩マッサージ指圧師はり師きゅう師専門性向上あるいは特色ある教育を展開できますように、例えば解剖学、生理学といった分野を「人体の構造と機能」と改めるなど、科目大綱化、弾力化を図ったところでございます。

加茂川幸夫

2002-04-16 第154回国会 衆議院 本会議 第24号

新しい学習指導要領では、一層の大綱化、弾力化を図り、学校創意工夫を凝らした教育課程を編成できるようにしているところでございます。  なお、教育課程につきましては、世界的に見れば、例えばアメリカやイギリスにおきましては、我が国の学習指導要領のように、教育スタンダードナショナルカリキュラムを近年作成して、学校教育向上に取り組んでいるところでございます。  

遠山敦子

2002-04-05 第154回国会 衆議院 文部科学委員会 第6号

大学審答申を受けて一九九〇年代に進行した大学改革、特に設置基準大綱化大学院重点化に対応するために、国立大学教育研究現場の全域が行政的活動に忙殺された、しかし、それが一段落した今、冷静に見渡すとき、労力に値する実質的成果は見出しがたい、むしろ大学改革は、高等教育予算大学間格差増大、居場所のない大学院生の増大若手研究者就職難全学教育弱体化等々、国立大学全体にゆがみを発生させた、これらのゆがみ

石井郁子

2001-06-26 第151回国会 参議院 文教科学委員会 第15号

ですから、教育課程基準大綱化ですとか弾力化等を行うとともに、例えば教育委員会に対しまして、学校運営に係る教育委員会の許可、承認、報告、届け出等を減らすよう学校管理規則を見直すことや、校長が自由にその使途が決められる校長裁量経費措置など、学校裁量拡大について取り組みを促しておるところであります。  

岸田文雄

2001-05-31 第151回国会 参議院 文教科学委員会 第10号

平成三年の大学設置基準大綱化によりまして各大学の自由なカリキュラム編成が可能になったことに伴い、各大学方針に基づき、教養部廃止して専門教育と融合した教育体制としたわけであります。先生御指摘のとおりでありますが、このことは、昨今改めて教養教育重要性が認識されていると考えております。

岸田文雄

2001-03-27 第151回国会 参議院 文教科学委員会 第5号

そういう意味で、余り細々したことを頭にたたき込む、それも基礎、基本にかかわる部分は必要だと思いますが、そういうちょっと瑣末な部分が多いという意味で私は学習指導要領を少しく簡素化し、大綱化するということはそれはそれで間違っていなかったと思います。  ただ、現実どういう、皆さんが学力低下ということをその結果大変心配をしておられます。

町村信孝

2001-03-27 第151回国会 参議院 文教科学委員会 第5号

また、同じようにカリキュラムにつきましても大分大綱化しましたし、自由にそれぞれの学校で考えていただいても結構ですよという部分も随分ふえてきましたけれども、やっぱり国として、例えば義務教育段階ではこのあたりまで何とか到達しておいてもらいたい、大学に入る前にこの辺までは到達しておいてもらいたいというある種の基準をお示しをするということは、これはやっぱり私は国の責務ではないだろうか。

町村信孝

2001-03-14 第151回国会 衆議院 文部科学委員会 第6号

日本の場合は、どちらかと申しますと、従来、学習指導要領教育課程等も非常に詳細な、そしてそれをきちっとやらなければならないというふうな、いわゆる、先ほど御指摘の護送船団方式的な考え方が非常に強かったわけでありますけれども、今それを大綱化しまして、それぞれの学校自主性に応じ、それぞれの子供に応じてというふうなことに動きつつあります。

蓮見音彦

2000-12-21 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第7号

一つは、文系という考え方、理系という考え方の中には、特に、またこれは一九九一年のいわゆる大学教養課程大綱化と呼ばれている現象とも絡みますけれども、大学においても自然科学や工学について全く目を開かれることもなく、知識を提供されることもなく、高校から大学を卒業して社会に巣立っていくことができるような文系というチャンネルができてしまっております。  

村上陽一郎

2000-12-21 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第7号

御承知のとおり、一九九一年の文部省のいわゆる大綱化と言われている措置以来、一般教育課程ないし教養教育課程というのは、大学の自由に任されるという形で、実際にはかなり後退したわけですね。しかし、今、もう一度その再生現象が少しずつ起こりかけているのも、そういう認識が少し広がっているからだというふうに考えます。それこそが文理を超えた一つ教育の手だてだと考えております。

村上陽一郎