運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
28件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1
  • 2

2020-11-13 第203回国会 衆議院 安全保障委員会 第2号

以前、私が議員になったころ、まだ自民党の議員皆さんから大田中将の話が出ましたよ。最近、全く聞いたことない。  そして、その小渕内閣官房長官沖縄開発庁長官を務めた野中広務さんも、京都園部町長時代占領下沖縄を訪れました。宜野湾市嘉数の高台に京都出身戦没者慰霊碑を建てるためであります。

赤嶺政賢

2019-11-27 第200回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

○衛藤国務大臣 大田中将お話もいただきました。そういう気持ちで、まさにあのときに、日本沖縄、みんな一体となって頑張ってきたということだと思います。  そして、改めまして私も、沖縄に何度かお伺いさせていただきながら、あるいは沖縄に関するいろいろな歴史とかいうようなものを改めて読みながら、お話をお聞かせいただきながら今やっているところでございます。  

衛藤晟一

2017-05-24 第193回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

あるいは、あの有名な大田中将最後に残した言葉、これはもう絶対我々は忘れちゃいけない言葉だというふうにつくづく思います。ここの委員会で私は何回もこれを皆さんに披露しました。沖縄県民かく戦えり、県民に対し後世特別の御高配を賜らんことをという最後打電言葉に象徴される。もう絶対に忘れちゃいけないというふうに思います。  

松木けんこう

2017-05-24 第193回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

いつでも、あの大田中将言葉を我々政治家は心にしっかり刻み込んで、やはり沖縄のことを考えるときには、そういう歴史があるというのを忘れちゃいけないというふうに思っています。  それでは、もう一つは、北方領土の問題に行きたいと思いますけれども、北方領土の問題はなかなか難しいですね。本当に難しいなと。相手があることですから、しゃべれないことも多いでしょう。

松木けんこう

2016-12-12 第192回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

鶴保国務大臣 まさに松木委員がおっしゃったように、沖縄、後世に対する御高配賜らんことと言われた大田中将のお言葉どおり、我々、その意味を込めて振興策を紡いでいっているんだ、今私がこの立場に立っているのもその責任のためであるということを常に感じております。一日も早い、沖縄の真の意味での振興を私たちはなし遂げていかなければならないと思います。  

鶴保庸介

2016-12-12 第192回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

やはり大田中将が言った言葉というのは、これだけ大変な思い沖縄方々がされた、そのことに関して、後世ぜひ御高配をしていただきたいということだったと思います。ですから、今、基地があることによって大変なところがある、しかし、それだけじゃないんですね、この御高配という気持ちは。大臣、どう思いますか、そこら辺は。

松木けんこう

2016-12-12 第192回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

そういうことを、委員皆さんとも一緒に行って、平和への思いというものも新たにしてきたわけでございますけれども、今回の質問でやはり私が考えるのは、沖縄戦、有名な話ですけれども、ここで自刃した大田中将の話、あと、樺太の電話交換手集団自決、いわゆる北のひめゆり事件、こういうふうに言われていますよね。

松木けんこう

2015-03-19 第189回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

山口国務大臣 ただいま大田中将言葉お話がございましたが、総理は拳々服膺というふうなお話でした。私も、大変重みのある言葉だというふうに考えております。  総理も答弁をされたわけでありますが、沖縄では、さき大戦における、まさに苛烈な戦火によって二十万人もの方が犠牲になった、そしてその後長らく占領下にあった。かつまた、離島も含めて本土から大変遠隔な地に位置する。

山口俊一

2015-03-19 第189回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

そういう意味で、若干、ひょっとしたら今そうではないのかなという雰囲気もちょっと見えるときがあるので、ぜひそこら辺はお気をつけになってもらいたいし、やはり、この大田中将のお言葉というのは私は大きいと思いますよ。  ぜひ、なるべく早くお会いいただけるということを、もう一度。

松木けんこう

2015-03-19 第189回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

さき予算委員会で、私は総理に、沖縄で戦った海軍の、先ほどもお話ししましたけれども、大田中将言葉を引用して質問いたしました。この大田中将の有名な電文の最後の一節なんですね、先ほど私が話したのは。  総理からは、「さき大戦においては唯一の地上戦、激しい地上戦沖縄県民の多くの方々戦火の中で倒れられたわけでございます。

松木けんこう

2015-02-23 第189回国会 衆議院 予算委員会 第8号

大田中将のまさに最後言葉であり、我々も拳々服膺しなければならない、こう思っている次第でございます。  その中において、我々は、沖縄との約束である三千億円という目標はしっかりと堅持をしていくわけでございますし、沖縄振興発展のために全力を尽くしていきたい、このように考えているところでございます。

安倍晋三

2009-11-17 第173回国会 衆議院 安全保障委員会 第2号

関空を使ったらどうかという意見があるけれども、これに関してあなたのコメントをお願いしますということについて、関空をどうかというのは僕も考えていないので、なかなかコメントできないと前置きして、沖縄大田中将の話をして、その後に、本州九州四国に住んでいる我々が地上戦状況をどう考えているのか、全部沖縄に負担させてよいのか、北海道、本州四国九州に住んでいる我々が考えなければいけない、沖縄県民がどういう

下地幹郎

2007-10-31 第168回国会 衆議院 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会 第6号

その折に、あの有名な大田中将文章も現場で読みました。沖縄の悲惨な戦闘の状況、そして沖縄県民のまさに置かれた大変厳しい状況、後世一層の御高配を願う、あの文章は、私は今でも忘れることができないわけであります。  そうしたことを踏まえて、今沖縄皆さん方から教科書について強い御意見が出ていることもよくわかります。

町村信孝

2005-06-29 第162回国会 衆議院 外務委員会 第10号

大田中将の碑というものも拝見をして、大変な感動といいましょうか、悲しみといいましょうかにとらわれたことも今でも私ははっきりと覚えております。  そういう戦争を二度と繰り返してはいけないという思いで、戦後の日本平和国家としてやってきた、そのことにまた私どもは自信を持たなければならない。しかし、その平和というものはただでできるものではない。大変なコストがかかる。

町村信孝

2004-04-27 第159回国会 衆議院 武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会 第10号

私はさっき、大田中将の言ったことを言いました。あの戦争中の悲惨な状態を身にしみてわかっているから、大田中将はそのようなことを言われたわけですよ。  ぜひ、これは基本に立ち返って、私は、旧地主に払い下げるとか返還するとか、そういう措置を、今からでも遅くはない、やるべきだと思う。ぜひそのような形で処理されることを私は強く求めておきます。返事してください。答弁してください。

仲村正治

2002-07-12 第154回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第8号

そういう中で、先ほど西銘委員お話のありました「一木草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配賜ランコトヲ」という電報を打って亡くなられた大田中将電報も、私自身その時代に生きた者として痛恨の思いで考えているところでございます。  

尾身幸次

2000-03-28 第147回国会 参議院 交通・情報通信委員会 第7号

その県民の将来を案じて、「県民ニ対シ後世特別ノ御高配賜ランコトヲ」と打電した沖縄戦最後海軍司令官大田中将の遺児を扱ったNHKの番組「沖縄に眠る父と」、これに小渕総理はいたく深い感銘をお受けになったようであります。今回、沖縄サミットが開かれることは、大田中将の遺言にこたえることであり、非常に意義深いサミットではないかと思います。  

景山俊太郎

2000-03-01 第147回国会 参議院 予算委員会 第2号

あの湾岸戦争直後に機雷除去のために海上自衛隊司令として大変大きな任務を果たされたわけでございますが、この司令が、顧みますると、あの沖縄戦で戦われて、最後に有名な大本営に決別電報を送られた大田中将の御子息であるというようなことを考えますと、そういうことの中で沖縄県の今回、敷衍いたしますれば、サミットの問題も含めましてぜひ成功させたいという思い一つが私としてもございました。  

小渕恵三

2000-02-01 第147回国会 参議院 本会議 第3号

沖縄守備隊大田中将自決の直前に電報を打たれました。「一木草焦土ト化セン」「沖縄県民斯ク戦ヘリ」と惨状を訴えられ、沖縄県民ニ対シ後世特別ノ御高配賜ランコトヲ」と締めくくられているのであります。  しかし、今日なお沖縄県民には基地をめぐる危機や不安が去っていません。このような状況を我々国民一人一人の問題として真剣に受けとめ、問題が解決されていくよう最大限の努力をしていかねばなりません。  

村上正邦

  • 1
  • 2