2020-11-13 第203回国会 衆議院 安全保障委員会 第2号
以前、私が議員になったころ、まだ自民党の議員の皆さんから大田中将の話が出ましたよ。最近、全く聞いたことない。 そして、その小渕内閣で官房長官兼沖縄開発庁長官を務めた野中広務さんも、京都の園部町長時代に占領下の沖縄を訪れました。宜野湾市嘉数の高台に京都出身の戦没者の慰霊碑を建てるためであります。
以前、私が議員になったころ、まだ自民党の議員の皆さんから大田中将の話が出ましたよ。最近、全く聞いたことない。 そして、その小渕内閣で官房長官兼沖縄開発庁長官を務めた野中広務さんも、京都の園部町長時代に占領下の沖縄を訪れました。宜野湾市嘉数の高台に京都出身の戦没者の慰霊碑を建てるためであります。
○衛藤国務大臣 大田中将のお話もいただきました。そういう気持ちで、まさにあのときに、日本、沖縄、みんな一体となって頑張ってきたということだと思います。 そして、改めまして私も、沖縄に何度かお伺いさせていただきながら、あるいは沖縄に関するいろいろな歴史とかいうようなものを改めて読みながら、お話をお聞かせいただきながら今やっているところでございます。
あるいは、あの有名な大田中将が最後に残した言葉、これはもう絶対我々は忘れちゃいけない言葉だというふうにつくづく思います。ここの委員会で私は何回もこれを皆さんに披露しました。沖縄県民かく戦えり、県民に対し後世特別の御高配を賜らんことをという最後の打電の言葉に象徴される。もう絶対に忘れちゃいけないというふうに思います。
いつでも、あの大田中将の言葉を我々政治家は心にしっかり刻み込んで、やはり沖縄のことを考えるときには、そういう歴史があるというのを忘れちゃいけないというふうに思っています。 それでは、もう一つは、北方領土の問題に行きたいと思いますけれども、北方領土の問題はなかなか難しいですね。本当に難しいなと。相手があることですから、しゃべれないことも多いでしょう。
わざわざ引用しなくてもいいんですけれども、たまたま私は千葉県の出身なので、沖縄戦の最後に、県民かく戦えり、県民に対し後世特別の御高配賜らんことをと打電して、五十四歳で自決した大田中将は千葉県の長柄町のお生まれでございました。
○鶴保国務大臣 まさに松木委員がおっしゃったように、沖縄、後世に対する御高配賜らんことと言われた大田中将のお言葉どおり、我々、その意味を込めて振興策を紡いでいっているんだ、今私がこの立場に立っているのもその責任のためであるということを常に感じております。一日も早い、沖縄の真の意味での振興を私たちはなし遂げていかなければならないと思います。
やはり大田中将が言った言葉というのは、これだけ大変な思いを沖縄の方々がされた、そのことに関して、後世ぜひ御高配をしていただきたいということだったと思います。ですから、今、基地があることによって大変なところがある、しかし、それだけじゃないんですね、この御高配という気持ちは。大臣、どう思いますか、そこら辺は。
そういうことを、委員の皆さんとも一緒に行って、平和への思いというものも新たにしてきたわけでございますけれども、今回の質問でやはり私が考えるのは、沖縄戦、有名な話ですけれども、ここで自刃した大田中将の話、あと、樺太の電話交換手の集団自決、いわゆる北のひめゆり事件、こういうふうに言われていますよね。
○山口国務大臣 ただいま大田中将の言葉のお話がございましたが、総理は拳々服膺というふうなお話でした。私も、大変重みのある言葉だというふうに考えております。 総理も答弁をされたわけでありますが、沖縄では、さきの大戦における、まさに苛烈な戦火によって二十万人もの方が犠牲になった、そしてその後長らく占領下にあった。かつまた、離島も含めて本土から大変遠隔な地に位置する。
そういう意味で、若干、ひょっとしたら今そうではないのかなという雰囲気もちょっと見えるときがあるので、ぜひそこら辺はお気をつけになってもらいたいし、やはり、この大田中将のお言葉というのは私は大きいと思いますよ。 ぜひ、なるべく早くお会いいただけるということを、もう一度。
さきの予算委員会で、私は総理に、沖縄で戦った海軍の、先ほどもお話ししましたけれども、大田中将の言葉を引用して質問いたしました。この大田中将の有名な電文の最後の一節なんですね、先ほど私が話したのは。 総理からは、「さきの大戦においては唯一の地上戦、激しい地上戦、沖縄県民の多くの方々が戦火の中で倒れられたわけでございます。
大田中将のまさに最後の言葉であり、我々も拳々服膺しなければならない、こう思っている次第でございます。 その中において、我々は、沖縄との約束である三千億円という目標はしっかりと堅持をしていくわけでございますし、沖縄の振興発展のために全力を尽くしていきたい、このように考えているところでございます。
大田中将は、「沖縄県民斯ク戦ヘリ」という名文を残されて、自決というか散られました。 この沖縄戦には、いろいろな評価が当然あるわけであります。しかし、この「知る沖縄戦」は、非常に一方的な内容が多いですね。
また、私も沖縄に行ったとき、現地の人に大田中将の地下ごうを案内していただきましたが、沖縄の方々の思いを壁に書き込んだと。
海軍ごうがございまして、そういうところは両大臣も訪問されたこともあろうかと思いますが、海軍の中将、沖縄戦に投入された海軍たちをまとめていく大田中将は最後、沖縄県民かく戦えり、将来格別なる御高配を賜りたいという打電を海軍次官にしております。
○国務大臣(岸田文雄君) 本日も山内委員の方から、島田知事、牛島司令官あるいは大田中将の歴史について触れられました。また、沖縄の苦難の歴史について触れていただきました。改めて重く受け止めながら聞かせていただきました。
関空を使ったらどうかという意見があるけれども、これに関してあなたのコメントをお願いしますということについて、関空をどうかというのは僕も考えていないので、なかなかコメントできないと前置きして、沖縄の大田中将の話をして、その後に、本州、九州、四国に住んでいる我々が地上戦の状況をどう考えているのか、全部沖縄に負担させてよいのか、北海道、本州、四国、九州に住んでいる我々が考えなければいけない、沖縄県民がどういう
その折に、あの有名な大田中将の文章も現場で読みました。沖縄の悲惨な戦闘の状況、そして沖縄県民のまさに置かれた大変厳しい状況、後世一層の御高配を願う、あの文章は、私は今でも忘れることができないわけであります。 そうしたことを踏まえて、今沖縄の皆さん方から教科書について強い御意見が出ていることもよくわかります。
それと、一点、いつも私は思い出すんですが、初めて沖縄に行ったときに、海軍のごうへ入りまして、そして大田中将の言葉が書いてありますね。要は、沖縄県民かく戦えり、県民に対して後世の特別の御高配を賜らんことを、これが、いつも私自身も考えていることでございます。
沖縄に行って、摩文仁の丘に飛行場からそのまま直行させていただいて、大田中将がここでピストル自殺を図ったんだという海軍濠を見せていただきました。 それで、父から私が言われたのは、大田中将という人は、後世沖縄に特別の配慮をという言葉を残して天国に召されたんだということを学びました。
大田中将の碑というものも拝見をして、大変な感動といいましょうか、悲しみといいましょうかにとらわれたことも今でも私ははっきりと覚えております。 そういう戦争を二度と繰り返してはいけないという思いで、戦後の日本は平和国家としてやってきた、そのことにまた私どもは自信を持たなければならない。しかし、その平和というものはただでできるものではない。大変なコストがかかる。
また、さらに加えまして、最後の沖縄の司令官でありました大田中将の、沖縄県民かく戦えり、後世一層の御高配賜らんことをというあの有名な言葉を私なりに肝に銘じて、この問題に取り組んでまいりたいと考えているところでございます。(拍手) —————————————
私はさっき、大田中将の言ったことを言いました。あの戦争中の悲惨な状態を身にしみてわかっているから、大田中将はそのようなことを言われたわけですよ。 ぜひ、これは基本に立ち返って、私は、旧地主に払い下げるとか返還するとか、そういう措置を、今からでも遅くはない、やるべきだと思う。ぜひそのような形で処理されることを私は強く求めておきます。返事してください。答弁してください。
そういう中で、先ほど西銘委員のお話のありました「一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という電報を打って亡くなられた大田中将の電報も、私自身その時代に生きた者として痛恨の思いで考えているところでございます。
その県民の将来を案じて、「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電した沖縄戦最後の海軍司令官大田中将の遺児を扱ったNHKの番組「沖縄に眠る父と」、これに小渕総理はいたく深い感銘をお受けになったようであります。今回、沖縄サミットが開かれることは、大田中将の遺言にこたえることであり、非常に意義深いサミットではないかと思います。
あの湾岸戦争直後に機雷除去のために海上自衛隊司令として大変大きな任務を果たされたわけでございますが、この司令が、顧みますると、あの沖縄戦で戦われて、最後に有名な大本営に決別電報を送られた大田中将の御子息であるというようなことを考えますと、そういうことの中で沖縄県の今回、敷衍いたしますれば、サミットの問題も含めましてぜひ成功させたいという思いの一つが私としてもございました。
沖縄守備隊の大田中将は自決の直前に電報を打たれました。「一木一草焦土ト化セン」「沖縄県民斯ク戦ヘリ」と惨状を訴えられ、沖縄「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と締めくくられているのであります。 しかし、今日なお沖縄県民には基地をめぐる危機や不安が去っていません。このような状況を我々国民一人一人の問題として真剣に受けとめ、問題が解決されていくよう最大限の努力をしていかねばなりません。
村上議員が引用されました大田中将の電報は、私の沖縄への思いを一層強固なものとして沖縄開催の決定につながったものであります。 私は、昨年九月にAPECの会議でニュージーランドを訪問いたしましたが、その際、同国に在住の大田中将の四女の昭子さんとお会いいたしました。