2003-02-26 第156回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第4号 安政の大獄等いろいろございましたけれども、行ったり来たり、むしろ保守化が進んだだけであります。 ところが、文久三年、一八六三年に、将軍家茂と、その後見役でありました後の十五代将軍慶喜が京都に移転します。それに伴って、諸大名、有力大名もことごとく京都に移転します。したがって、このとき首都機能は完全に京都に移転したんです。それからの五年間、明治元年までの五年間にすべての改革が行われました。 堺屋太一