2021-04-22 第204回国会 参議院 国土交通委員会 第12号
そのときに、国土交通省にも、大河津分水路といって、中流域の最後のところから日本海に早く出して、余り新潟市の方の下流域に洪水が行かないようにしよう、その分水路の今改修工事という、もう大プロジェクトですけれども、今やっておりますが、そういう説明も国交省から現地で聞かせていただきました。お世話になりました。ありがとうございました。
そのときに、国土交通省にも、大河津分水路といって、中流域の最後のところから日本海に早く出して、余り新潟市の方の下流域に洪水が行かないようにしよう、その分水路の今改修工事という、もう大プロジェクトですけれども、今やっておりますが、そういう説明も国交省から現地で聞かせていただきました。お世話になりました。ありがとうございました。
実際に、大河津分水そのものには、避難計画等々、避難命令等々出ましたけれども、実態的には大きな被害はなかったわけでございますが、ただ、例えば上流域の長岡市域では冠水したという部分もありましたし、また、流れ込む支流の水系では本当に決壊寸前というような状況もあったわけでございまして、なかなか技術的に難しい部分があるかもしれませんけれども、本当に一年でも早く、計画を前倒しして完工にこぎつけていただきたいというのが
それでは次に、大河津分水の改修事業についてお伺いをしたいと思います。 これは昨年の十月十二日に台風十九号の影響で、信濃川の水系、大変な状況になりました。これは恐らく現地の河川事務所から報告が上がっていると思いますけれども、大河津分水の下流部分については一部溢水があったりしまして、かなり危険な状況だったというような認識をしております。
大河津分水路は、大正十一年から信濃川の水を直接日本海に分流しており、新潟県内等の洪水被害軽減に対しまして効果を発揮してまいったところでございます。 平成二十七年度から、大河津分水路を拡幅することにより、洪水時に水を流す能力を現在の毎秒約八千三百立方メートルから毎秒九千八百立方メートルまで向上させる事業に着手しております。
そういう中で、やはりそこの住民、被災者、被災地、被災企業に対して安心感を与えることが必要、そういう意味での改良復旧のありようにつきまして、具体的には、例えば、河床掘削、堤防強化のほか、遊水地を活用した洪水調節機能の強化、また狭窄部の開削、さらに、下流域での災害防止対策として、新潟県の大河津分水のさらなる改良も必要になろうかというふうに思います。
そこで、信濃川水系においては、平成二十六年一月に策定しました信濃川水系河川整備計画、これは西大滝ダムがあることを前提につくられているわけでございますけれども、水系全体として段階的かつ着実に治水安全度の向上を図ることとしておりまして、今ほど御指摘があった戸狩、立ケ花狭窄部も含む全川にわたる河道掘削や、下流部では大河津分水路の拡幅等を順次実施しているところでもございます。
大臣、やや余計なことでございますけれども、今問題提起をいたしました燕吉田バイパスでありますとか、あるいは大河津分水、これは燕市の地元でございまして、燕市というのは、御党の漆原先生の御出身の場所でございます。
先ほど先生からもお話がございましたように、大河津分水路につきましては、大正十一年に初めて通水をして以降、洪水を直接日本海に流すことで、治水安全度が向上し、越後平野の発展に大きく貢献してきたものでございます。
現在までに発注をいたしました大河津分水路の工事用道路や橋梁かけかえ工事につきましては、できる限り地域企業を対象とする規模での発注に努めるとともに、地域要件の適切な設定等によりまして地域企業へ配慮してきたところでございます。
私の地元の燕市でも、国交省から大事業を行っていただいておりまして、一番大きいのは、大河津分水の下流域の拡幅工事、これは着々と準備、調査が進められていまして、非常にこれはありがたいと、地元でも、最近のゲリラ豪雨の状況を見ますと、流量がふえるというのは大変ありがたい、こんなふうにあるわけでありますけれども、質問としてきょう通告させていただきましたのは、その燕市の国道百十六号線の吉田バイパスの件でございます
それでは、続きまして、ちょっと地元の話になりますけれども、大河津分水という、信濃川が昔氾濫をしまして、明治時代から住民の要望もありまして、信濃川を分流させて分水路をつくりまして、それで日本海に出すという大河津分水という分水路がございます。これの可動堰を、つい一昨年でしたか、改修していただきまして、そういう意味では、流れる流量を非常にうまくコントロールすることができるようになりました。
大河津分水路につきましては、ただいま委員からお話がございましたように、河口に向かいまして川幅が狭くなる、そういう形状にございます。そういうことから、洪水を安全に流す能力、これが不足している状況にございます。 この大河津分水路は河口部に位置しておりますので、その拡幅、改修することによりまして、信濃川水系全体の洪水処理能力が大幅に向上することになります。
若いときにパナマ運河に単身で行きまして土木工事を勉強して、日本に帰ってから、荒川の放水路、信濃川の大河津分水路、この二つの、戦前の二大国家プロジェクトと言われるものを推進してきた方なのです。 私が取り上げたいのは、この青山さんの記念碑というのがあるのです。荒川の方にはこう書いてあります。
また、貴重な動植物の問題につきましても、例といたしますと山口県の一の坂川では、極めて蛍の有名な川でございますが、植生、空石積み等を整備することにより蛍の住みやすい環境をつくりゲンジボタルの保護、育成をした例、あるいは新潟県信濃川の大河津分水路に設置されているせき、床固めの改良を行いましてアユ、サケ、マスの遡上環境の改善を図った例、大阪府淀川におきましては計画的にワンドの保全を図るとともに新しいワンド
明治二年に着工した大河津分水がいかに大切なものであったかということが、この百年にして初めて位置づけられたというか立証されたというようなまことに皮肉な面もあるわけでありますし、この百年祭においてかく立証されたという面においては、あるいはまた一つの意味合いがあったのではないかというような感じがいたします。
この猿橋川は、昔は信濃川に上流で合流しておったわけでございますが、信濃川の排水、そういったもので大変災害が大きいということで、わざわざその合流点を下流へ下げまして大河津分水の下流で合流させた。そういったことで自然排水が可能なようになった川ではございます。
いまおっしゃったような、戦後最大の洪水に対しましてそういった程度の整備水準であるといったことでございまして、信濃川につきましても、実は昭和の初期に、先生よく御存じだと思いますが、大河津の分水路というのができまして、蒲原平野がそれまでたび重なる水害で非常に荒らされて苦渋をきわめておったということが、その大河津分水路の開通によりまして、大河津分水から上流の部分につきましては、一応その時点で安全度が非常に
信濃川関屋分水路は、明治年間から昭和六年にかけて信濃川の洪水を現在の旧信濃川流域の蒲原平野から守るために建設された大河津分水路とともに、わが国の治水史に残る土木事業であります。
特に信濃川は、大河津分水から関屋分水工事がいま進められておりますが、その部分に至る中間地帯は新潟県知事の委任管理というところでありまして、新潟県のいろいろな財政その他の関係もございまして、一番大事なこの部分が、ここ数年間ほとんど改修が行なわれておらない。私が聞いておるところによれば、相当川底も上がっておるというふうに聞いておるわけであります。
したがって、これはやはりかつてわれわれの先輩が大河津分水というものを直轄工事でやりましたように、治水関係の見地から国が抜本的にこのやり方、対策を考えていただかなければ、いかにいま港湾地帯あるいは河川の堤防等について、信濃川の下流地帯にりっぱな復旧工事をやりましても、将来非常な災いをまた繰り返すような結果になるのじゃないか。
もう一つは、信濃川の大河津分水というものを三十年ばかり前にやったわけでありまして、信濃川の砂が絶えずつきまして、季節風や潮流の関係で根固めをして、新潟港は絶えず浚渫しなければならないものが、三十年前に締め切ってしまって、信濃川の上流の土砂は全部新信濃川に出ている。
で、これはまあもともとの関屋分水が、現在の大河津分水ができまして、新潟港が今日までああいうふうに発展をしたわけでございます。ただ最近では船型が大きくなって参りまして、現在の新潟港では大きな船を入れるのに十分でない。これについては新潟港の水深の増加あるいは港域の拡張等を考えなければならぬ。で、新潟港といたしましては、河川の流下による土砂の埋没が従来から相当これは問題視されておる状況でございます。
のようなところが非常に下っておるけれども、それはガスを取っているところとはかなり場所が違う、あるいは重力の減少というようなことも言われているけれども、これも地殻の褶曲の結果であると考えた方がいいのではないか、それから、地殻の収縮運動が相当あるのではないか、それから、傾斜の問題もはかってもらいたい、あるいは信濃川と阿賀野川の旧河道のところで地下水を切断したので、ボイリング現象を起したのではないか、あるいは大河津分水
これらのデータに基きまして地盤沈下対策委員の意見を現在取りまとめ中ということでありまして、近く中間報告が行われる予定になっておりますが、これらの意見のおもなるものは、天然ガス採取に伴う地下水のくみ上げ説、地殻の変動説、また地下水による堆積物の移動説、港湾の浚渫説、また大河津分水による信濃川下流の堆積士砂の減少説、また蒲原平野の乾田化による地盤の収縮説等があると考えられます。
にはなっておりましたけれども、昨年ごろからこの沈下が急に激しくなったので、初めて大きく取り上げられるような実情になったのでありますが、今ここで地盤沈下の原因を探究するといいましても、幾つかのことが言われておるのでありまして、たとえば天然ガスのさく取が多いからということ、あるいはまた地核の変動ではないかということ、また港の浚渫が深くなったためということ、あるいはまた耕地整理をした関係上、乾田化したためではないか、あるいは大河津分水