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7343件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1947-08-11 第1回国会 衆議院 厚生委員会 第9号

    武藤運十郎君       師岡 榮一君    園田  直君       小暮藤三郎君    近藤 鶴代君       榊原  亨君    河野 金昇君       野本 品吉君    齋藤  晃君       寺崎  覺君  出席政府委員         厚生事務官   葛西 嘉資君     ————————————— 八月五日  大學等への死體交付に關する法律案(内閣送  付)(豫第七號)  大正十二年勅令第五百二十八號司法警察官吏及

会議録情報

1947-08-09 第1回国会 参議院 厚生委員会 第7号

陳情(第六十  四号) ○國民健康保險組合制度を改革するこ  とに関する陳情(第六十六号) ○傳染病予防法等の一部を改正する法  律案内閣送付) ○保健所法改正する法律案(内閣送  付) ○國民健康保險金に対する國庫補助金  の増額等に関する陳情(第九十八  号) ○青少年禁酒法案小杉イ子発議) ○恩給増額に関する請願(第三十九  号) ○大学等への死体交付に関する法律案  (内閣提出) ○大正十二年勅令第五百二十八号司法

会議録情報

1947-08-09 第1回国会 衆議院 本会議 第23号

ほんとうのところはごまかしであつて、何も與えないで、明治大正、否、それ以前より今日に至るまで、未だこのわが國の政治の恩惠に俗したことのない農民たちは、今になつては、すでにもうだまされないのであります。けれども、さらにこのだまされないことがわかつておる今日でも、何とか体裁をつくつてごまかそうとする政策が、あちらこちらに現われておることを、われわれは遺憾に思うものであります。  

的場金右衞門

1947-08-07 第1回国会 衆議院 治安及び地方制度委員会 第8号

續いて、第一次大戰を經て、わが國經濟の大發展と、これに伴う大都市の著しい發展とを見るに至つて大正六年東京、京都、大阪、横浜、名古屋、神戸のいわゆる六大都市特別市制が問題として取上げられ、大正十一年の法律、續いてこれに基く大正十五年の勅令により市制上府縣知事の六大都市に對する監督權はほとんど省略せられ、地方制度上の二重監督も問題は、一應解決したかにみえましたが、大都市制度の問題は、自治團體たる府縣

川橋豊治郎

1947-08-07 第1回国会 参議院 厚生委員会 第6号

陳情(第六十  四号) ○國民健康保險組合制度を改革するこ  とに関する陳情(第六十六号) ○傳染病予防法等の一部を改正する法  律案内閣送付) ○保健所法改正する法律案(内閣送  付) ○國民健康保險金に対する國庫補助金  の増額等に関する陳情(第九十八  号) ○青少年禁酒法案小杉イ子発議) ○恩給増額に関する請願(第三十九  号) ○大学等への死体交付に関する法律案  (内閣提出) ○大正十二年勅令第五百二十八号司法

会議録情報

1947-08-07 第1回国会 参議院 厚生委員会 第6号

それでは、政府委員の都合がありますので、青少年禁酒法案を後にしまして、次の大学等への死体交付に関する法律案大正十二年勅令第五百二十八號司法警察官吏及司法警察官吏職務を行うべき者の指定等に関する勅令の一部を改正する法律案、この二件を一括議題といたしまして、政府委員説明を求めます。

塚本重藏

1947-08-06 第1回国会 参議院 厚生委員会 第5号

陳情(第六十  四号) ○國民健康保險組合制度を改革するこ  とに関する陳情(第六十六号) ○傳染病予防法等の一部を改正する法  律案内閣送付) ○保健所法改正する法律案(内閣送  付) ○國民健康保險金に対する國庫補助金  の増額等に関する陳情(第九十八  号) ○青少年禁酒法案小杉イ子発議) ○恩給増額に関する請願(第三十九  号) ○大学等への死体交付に関する法律案  (内閣提出) ○大正十二年勅令第五百二十八号司法

会議録情報

1947-08-06 第1回国会 参議院 文教委員会 第2号

元の議會、そこにおきまして、これは私は餘り正確なことは調ベておる餘暇がなかつたのでありますが、大正十二、三年頃であろうと思いますが、千葉の白井勇次郎氏が、實に莫大な、何千人というような人の署名を以ちまして、この宗教教育を盛んにしろという請願を出して、そのとき一つの渦巻を起したということは記憶に新たなのであります。

梅原眞隆

1947-08-05 第1回国会 衆議院 労働委員会 第6号

米窪國務大臣 官廳における半休という問題は、大正十一年の閣令において暑中の間——確實な日は忘れましたが、七月の何日から八月の何日までという期間は、いわゆる半ドンということが閣令できまつておるのであります。本年別に半休を閣議で決定したという事實はない。すなわち閣令がまだ生きておるということでもつて半ドン事實において行われた。

米窪滿亮

1947-08-05 第1回国会 衆議院 労働委員会 第6号

石田(博)委員 そうすると次官會議で決定をされたときの事情というものは、つまり今日のわが國の諸般の事情にかんがみまして、官廳といえども半ドンのごときは實施すべきじやないという御事情というものは、大正十一年の閣令に基いて自然的に半ドンにはいる以前においても、當然お考えになつてしかるべきことであると思うのであります。從つてこの措置は、自然的にはいる前に豫め考えなければならぬ。

石田博英

1947-08-05 第1回国会 衆議院 労働委員会 第6号

石田(博)委員 問題になつておりまする大正十一年の閣令、その閣令を出した時代と今日の時代とはまつたく異なつております。いかも今日は、先日來しばしばこの委員會においても議論の對象になりまし通り、勞働の生産性を高揚して、勞働者といえどもその自己の義務を完全に遂行するということが最も強く要請されておる時代であると考えております。

石田博英

1947-08-05 第1回国会 参議院 司法委員会 第8号

來馬琢道君 この法案につきましてちよつと疑問とするところを明らかにして置きたいと思いますが、満洲國外國であつて日本内地ではなかつたということ、國情が非常に違つていて日本内地とは一律に行かないこと等のことが、満洲國において経驗があつた、試驗が済んでいたということのために、帰還した諸君にかくのごとくして資格を與えるということは、或る意味から申せば、一般國民としては少しく不安に思うことがないではない、私が大正十二年

來馬琢道

1947-08-04 第1回国会 衆議院 治安及び地方制度委員会 第7号

今までの過去におきまして、御承知通りあるいは二・二六事件、あるいは五・一五事件、あるいは虎ノ門事件、あるいは大正七年の米騒動、あるいはロシアの皇太子を傷害いたしました大津事件というふうな、大きな治安上の問題が起こつております。將來においてさような事件が起こらないということは、われわれは確信をもつて言い得ないのであります。

加藤陽三

1947-08-02 第1回国会 衆議院 本会議 第21号

(拍手)  昭和二年学士院会員、また昭和十二年には帝國藝術院会員に推薦せられ、同時にわが國初めての文化勲章を授與せられて、文界功績を表彰せられたのでありまするが、最近におきましては、大正十二年以来病床にあつて、二十年にわたる労作たる「芭蕉七部集」の評釈に没頭せられ、遂にそれを完成せられたのでありましたが、しかしその喜びを十二分に享受せられないままに、亮年八十有一才をもつて永眠せられたのであります。

松本淳造

1947-08-02 第1回国会 衆議院 司法委員会 第11号

○佐藤(藤)政府委員 刑法全面的改正につきましては、御承知のように、これは大正十五年に、臨時法制審議會の決議として、刑法改正要綱が發表せられました。この刑法改正の綱領を基本として、刑法竝びに監獄法改正調査委員會が組織せられまして、刑法改正調査委員會において、長年の間刑法全般改正について慎重に、審議を重ねておつたのであります。

佐藤藤佐

1947-08-01 第1回国会 衆議院 文化委員会 第2号

こういう情勢に鑑みまして大正十年から外務省で國立公園に關する調査というものを開始することになりまして、昭和六年に至りまして、これに即應して國立公園法制を確立することになりましたので、これを機會政府は、朝野の權威者、あるいは達識者を網羅せる國立公園委員會の協力を得まして、昭和九年から十一年までの間に、全國で十二箇所の國立公園を正式に指定する運びに至つたのでございます。

飯島稔

1947-08-01 第1回国会 参議院 本会議 第18号

大西君は明治二十九年三重縣飯南郡花岡村に生れられたのでありますが、若くして農民組合運動に投ぜられ、その経歴が示しまするように、大正十二年に日本農民組合本部に入られて以來、本年の二月に日本農民組合書記長になられるまで、眞に終始一貫我が國農民解放のために、又農業改革のために渾身の努力を続けられたのでありまして、苟くも日本農民のことを考え、又農民運動を知る程の人は、ひとしくその功績に対しまして深く敬意を

楠見義男

1947-07-31 第1回国会 衆議院 文教委員会 第4号

大正以來私は何囘か大きく叫んで、あの第一次ヨーロツパ戦争直後に、科學教育振興ということが非常に大きく叫ばれて、舊中等學校あるいは小學校における科學教育というものが、非常に進んだのでありますけれども、その後またそれが沈滞しまして、ちようど支那事変中でありましたが、再び科學教育振興ということが非常に叫ばれてまいつたのであります。

久保猛夫

1947-07-30 第1回国会 衆議院 国土計画委員会 第3号

明治四十年と大正三年に大氾濫を生じましたので、上流に堰堤十四箇所を設けて、勾配を緩和して土砂の流出を防ぎ、その下流に七十四箇所の水制工事を施工し、さらにその下流部に五箇所堰堤を設けて、在來の川床勾配三十分の一を五十分の一にいたしましたので、川床もほぼ安定し、かつて河原地帶逐時見事なる葡萄園化しつつある状況でございます。  第二に御勅使用にでございます。

荒木萬壽夫

1947-07-25 第1回国会 衆議院 本会議 第17号

しかるに、今まで明治大正、昭和を通じて、耕地改良費はわずか十一億円、戰爭中に十一億円、なお最近において二十億や三十億の金を計上して、これで食糧増産の解決をしようなんということは、まつたく愚の骨頂だと私は思う。どうかこれらの経費につきましては、農林大臣大藏当局と一騎討ちをしてでも、國家の大半の経費をこれに振り向けるように願いたいと思う。

坪井亀藏