1947-08-22 第1回国会 衆議院 水産委員会 第12号
内容を一應簡單に申し上げますと、利尻島鴛泊船入澗は大正九年稚内築港の補助的船入澗として築設せられ、その後數囘にわたり突堤の改修、港内の浚渫を實施せるのみにて今日に至つたのでありますが、その利用状況の大略を左に申し上げます。
内容を一應簡單に申し上げますと、利尻島鴛泊船入澗は大正九年稚内築港の補助的船入澗として築設せられ、その後數囘にわたり突堤の改修、港内の浚渫を實施せるのみにて今日に至つたのでありますが、その利用状況の大略を左に申し上げます。
大正七年駒ケ岳爆發當時、同地方は非常に大きな災害を受けましたので、その災害復舊工事として、ささたるところの船入澗が築設されたのでありますけれども、その地方の漁業に即せざる、すなわち形ばかりの船入澗でありまして、もちろん今日の漁業状態には副わないところのものであるのであります。
漁港の修築事業は大正七年度から、船だまりの設備事業は大正十四年度から、補助事業として開始して現在まで續けてまいつておるのであります。
從つて本縣の砂防工事は明治、大正年間を通じて今日まで連年施工せられてきたのでありますが、特に砂防工事が災害をよく防止輕減し、治水上最も必要であり、適切な施設であることを認められましたのは昭和九年の大災害であります。その當時は岡山縣の三大河川の流域の橋梁はほとんど全部流失したと言つても差支えないほどの災害であつたのであります。それ以來毎年國庫から相當の補助を仰いで工事を施工してまいつたのであります。
小名浜港修築費増額の請願でありますが、福島縣小名浜港は大正四年に國庫補助のもとに漁港修築をいたしまして、昭和二年には東北地方の貨物集散の要衝といたしまして、第二種重要港灣に指定されたのであります。
これは大正十一年のころ、もつとさかのぼりますと今よりちようど三十年前に計畫せられて、工事に著せられて、その後工事の計畫變更がありまして、數年後にまた地鎭祭や起工式をやり直されてやつておりました。その計畫はただいまの鳴瀬川、江合川の合流工事であります。それでこの工事が著手せられてからすでに三十年に近い今日、合流工事の新川掘鑿をいたしましてからでも滿二十年も過ぎております。
而してその後直ちに上海の総領事館に赴任せられ、又或いは朝鮮に、或いは中國、ドイツ等々の國に歴任されまして、そうして大正十二年、外務省の政務局長にまで昇進されたのであります。その翌年にはすでに外務次官の重任に任じておられ、而してその任に留まること満四年の長さに亘つておつたのであります。昭和三年に至りまして在米大使の重任に任ぜられることになりまして、アメリカに赴任されたのでありますが。
昭和二十二年八月二十一日(木曜日) 午前十時四十二分開議 ━━━━━━━━━━━━━ 議事日程 第二十三号 昭和二十二年八月二十一日 午前十時開議 第一 大学等への死体交付に関する法律案(内閣提出)(委員長報告) 第二 大正十二年勅令第五百二十八号司法警察官吏及び司法警察官吏の職務を行うべき者の指定等に関する勅令の一部を改正する法律案(内閣提出)(委員長報告) 第三
○議長(松平恒雄君) 日程第一、大学等への死体交付に関する法律案、内閣提出、日程第二大正十二年勅令第五百二十八号司法警察官吏及び司法警察官吏の職務を行うべき者の指定等に関する勅令の一部を改正する法律案、内閣提出、日程第三、傳染病予防法等の一部を改正する法律案、内閣提出、衆議院送付、日程第四、保健所法を改正する法律案、内閣提出、衆議院送付、以上四案を一括して議題とすることに御異議ございませんか。
その後ここにおられまする穂積先生あたりの御關與になりました、大正八年から昭和二年にわたる長い間の民法改正の委員會——臨時法制審議會と申したそうでありますが、その委員會において相續法の改正要綱を定めた。そのうちに家督相續の問題については、家督相續人は、被相續人の直系尊屬、配偶者直系卑屬に對しては家を維持するに必要なる部分を越えた財産についてはこれを分與しろ。
ただ御了解を得ておきたいことは、眞野さんのお言葉にも出ましたが、大正八年以來の親族法の改正、相續法の改正にも私もかなり關係してまいつております。しかし今度の改正には初めから全然關係しておりませんし、從つてある意味ではごく自由に申し述べることができますが、また同時に立案者の気持がほんとうにわからぬということもあるかも知れません。そこはお含みおきを願いたいのであります。
これは大正の元年の九月の末だそうであります。ところが今囘の最高水位というものは八・三五メートル、前の最高水位を遥かに上廻つておる。これは七月二十四日の午前一時の測定であります。それから又米代川におきましては二井という町があります。其處におきましては低水位が〇・五七メートル、今までの最高水位が六・五五メートル、であります。
國民健康保險組合制度を改革するこ とに関する陳情(第六十六号) ○傳染病予防法等の一部を改正する法 律案(内閣提出、衆議院送付) ○保健所法を改正する法律案(内閣提 出、衆議院送付) ○國民健康保險金に対する國庫補助金 の増額等に関する陳情(第九十八 号) ○青少年禁酒法案(小杉イ子君発議) ○恩給増額に関する請願(第三十九 号) ○大学等への死体交付に関する法律案 (内閣提出) ○大正十二年勅令第五百二十八号司法
國民健康保險組合制度を改革するこ とに関する陳情(第六十六号) ○傳染病予防法等の一部を改正する法 律案(内閣提出、衆議院送付) ○保健所法を改正する法律案(内閣提 出、衆議院送付) ○國民健康保險金に対する國庫補助金 の増額等に関する陳情(第九十八 号) ○青少年禁酒法案(小杉イ子君発議) ○恩給増額に関する請願(第三十九 号) ○大学等への死体交付に関する法律案 (内閣提出) ○大正十二年勅令第五百二十八号司法
議題は、大学等への死体交付に関する法律案、大正十二年勅令第五百二十八号司法警察官吏及び司法警察官吏の職務を行うべき者の指定等に関する勅令の一部を改正する法律案、傳染病予防法等の一部を改正する法律案、保健所法を改正する法律案、以上四案を一括しまして、大体質疑を終了しておるのでありますが、この機会に簡單なる補足質問を許します。先ず私よりお尋ねいたしたいことがあります。
一、大正十二年勅令第五百二十八号司法警察官吏及び司法警察官吏の職務を行うべき者の指定等に関する勅令の一部を改正する法律案、一、保健所法を改正する法律案、一、傳染病予防法等の一部を改正する法律案、以上三案を原案通り可決することに賛成の方は御起立を願います。
をもらつておきながら、組合事務の專任者を置くというような問題については、その個々の勞働組合とその相手方の經營者、あるいは資本家との兩方の自主性にまつたところの協定によつて、現實的に解決されているのでありますから、これはもう勞働組合が押しまくつたとか、あるいは資本家がこたえたというような、單純な考えで延べられたのでことが始つたのでありまして、このへんの勞働法規なり、あるいは今日まで來たところの、明治、大正
現行法としての工業所有權法、即ち特許法、實用新案法、意匠法、商標法の四つでありますが、これは大正十年に制定されまして、今日に至りますまで格別改正を加えられておらないのでありますが、最近におきます物價の趨勢と比較考慮いたしますと、現在の特許料、登鉄料の額は餘りにも低廉に過ぎますので、發明奬勵ということを妨げない限度におきまして、適當に増徴する必要があると考えられるのであります。
ちようど明治四十三年の水害、大正二年、大正六年の水害、こういうような水害のためにその當時の為政者たちがこれは河川の合流をしなければいかぬ。河川合流によつてその危險分散の方式をとらなければうまくいかないということを考えたのです。そして江合、鳴瀬の河川合流問題が起つた。ところがこれはもちろん一利一害があります。
○岩沢政府委員 今の只野さんの御質問は、誤つたというのではなくて、實際上のいろいろの財政上の都合なりその他の事情によつて工事が遅延したために災害をこうむつたということだろうと思いますが、それにつきましては、お説の通り、これは大正七年からの問題でありまして、江合川の治水ができていれば、江合川の水は鳴瀬川の方に吸收して相當緩和されるということは事實であります。
次に、本法は大正十年の制定であり、本改正案は他の國家料金に比べて著しく低いと思う、当局の説明によれば收支のバランスに重点をおいているようであるが、特許局の收支に黒字が出ては惡いのかとの質疑がありました。これに対して政府は、たしかに低過ぎると思う、しかし一面発明者の保護ということを考慮に入れて行つたものである、今回は一應この程度にして、遠からず再び値上げをするつもりであるとの應答がありました。
しかるにその開墾が進むにつれまして、明治四十五年ごろから茶臼山の頂上に龜裂が現われまして、大正四年あるいは五年ごろに表土が滑り去つて以來、地滑りは停止するところなく進行いたしてまいりまして、昭和二年の八月の大豪雨には前記の砂防堰堤の大半を流出いたしまして、岡田川の河床は流下土砂のために埋没して、堰堤は決壤、氾濫して共和村、篠井町に甚大な災害を興うるに至りました。
木村常次郎君の御履歴は、大正十三年三月京都帝國大學經濟學部を卒業されまして、以来南滿洲鐵道株式會社に入社せられ、經理部各課を御經歴になつて、經理部部長をお勤めになつた方であります。右二君にお願いをすることにいたしましたが、幸いに今日出席をされておりまするので、この機會において御紹介を申上げたいと存じます。こちらの白い服の方が野津さんでございます。こちらが木村さんでございます。
大正十二年の関東地方の大震火災と、今回の戰爭による二百数十万戸の焼失とは、実に数千億円に上る大損害を國民に與えましたことは、今更申上げるまでもありません。今年六月までの上半期中においてさえ、すでに二万二千余戸の家屋を焼失いたしました。今年四月一ヶ月間に一万六百十七戸を全焼し、五百十五戸を半焼させております。
○久保政府委員 ただいまの特許法は大正十年に改正されまして以來、大した改正が加えられておりませんので、いろいろ改正しなれけばならぬと痛切に感じておる問題が、非常にたくさんあるのでございます。
○庄委員 ただいまの御説明で収支のバランスを見越したということを聽いたのでありますが、先日御説明によります、今度料金の訂正が行われて、特許法の方においては三倍ないし八倍、實用新案法の方は三倍程度、意匠法が七、八倍、商標法の方は約十倍程度にするというお話であつたのでありますが、この上げ方は、大正十年に比べまして、ほかの郵便料金とか鐵道とか、政府關係に値上りに比べても非常に低いように思いましたから、その
現行法といたしましてのこれらの工業所有權法は、大正十年に制定されまして、それから今日にいたります間、格別の改正を何ら加えておるところがないのでありまして、最近におきます物價の趨勢を比較考量いたしますと、現在の特許料、登録料の額はあまりにも低廉に過ぎますので、發明獎勵を妨げない限度におきまして、適當に増徴いたしまして、政府の収入を殖やしたいというわけでございます。
そこでそういう公法関係における公の営造物との関係において損害があつたという場合に、七百十七條が当然適用があるかどうかということは、これはいろいろ問題がありまして、古い事態におきましては、大審院の判例等におきましても、それは公法関係であるから七百十七條の適用がないという判断を下しておりましたが、大正五年以降、これはやはり公法関係であるけれども、七百十七條の適用があるということになつておりますので現在におきましては
岐阜農林專門學校は大正十三年に設置せられましてから、約二十四年經つておりまして、その内容は段々と充實いたしまして、現在では農科、林科、農藝化學科、獸醫畜産科、農業土木科、農産製造科の六つの本科から構成せられておりまして、その外に尚實科を持つております。既に卒業者は三千名に上りまして、その内容は文部當局の方の御批評によりましても、日本内地においては第一であるというように聞いております。
○矢野酉雄君 私は大正の終りに朝鮮、滿洲を旅行して、そのときに一番胸に痛く感じたのは、朝鮮の山々でした。昭和十六年、私は十七年振りかに再び朝鮮、滿洲の旅をしたのですが、そのとき僕の胸に爽やかなるものがあつた。それは朝鮮の山々が緑樹に蔽われているという事實でした。
すなわち例を阿武隈川下流改修工事にとりますと、本工事は総工費六百二十一萬圓をもつて、昭和十一年度より同二十七年度に至る十七箇年継続事業として、施行の計画であつたが、國庫財政の都合によつて、その完成年度を昭和三十年度まで、繰延べられたが、現在のごとき實行予算をもつてしては、この完成年度すらなお数年繰延べられるものとみられ、また江合、鳴瀬両川改修工事は、古く大正六年より工事に着手し、直轄工事として施行してよりすでに