1994-01-21 第128回国会 参議院 本会議 第11号
一九四〇年十月、細川総理の祖父に当たる当時の近衛文麿首相は、大政翼賛会運動の旗を振り、政党の解体と軍国主義強化という強力な政治を実現し、国民を破局の道に引きずり込みました。
一九四〇年十月、細川総理の祖父に当たる当時の近衛文麿首相は、大政翼賛会運動の旗を振り、政党の解体と軍国主義強化という強力な政治を実現し、国民を破局の道に引きずり込みました。
○降矢政府委員 ただいまの御質問でありますが、大政翼賛会運動を今度新しい自治体の世の中で推進しようというような考え方は、初めから毛頭ございませんで、その述べられた趣旨も、要するに昭和十年から始まりました粛正運動というのは、御案内のとおり田川先生を中心に民間運動として盛り上がってきたわけでございます。
とかく役人衆というものは、東條さん、近衛さんのときのような上意下達、下意上達、一体私は大政翼賛会運動に挺身しておられた指導層の方々にこう言ったのです。君らは自分たちが上のつもりかい、上とは何だ、自分たちだけが上等の人種で一般国民しもじもなのか。けしからぬと言うてやった。そのおかげで、そういう速記録が残っていたから、私は追放を免れたが……。
また、昭和十五年、大政翼賛会運動が起ったときには、議会政治を否定するものとして敢然としてこれに反対し、翌年九月の翼賛議員同盟の結成にもあえて参加せず、言論の府たる議会を守り抜かんとの決意を持って、尾崎行雄、鳩山一郎、川崎克氏らの諸先輩とともに同交会を組織し、次いで、翌十七年の翼賛選挙には非推薦で出馬し、幾多の弾圧を排して当選せられたのであります。
こういうふうなものが、さつき申し上げた、かつて大政翼賛会運動が一世を風靡したのと同じく、やりようによつては、非常な弊害をかもし、真の意味の自由をそこなうようなものでも出はしないかという懸念を持つのであります。こんなふうなことをお考えになつたことはございませんか。
大政翼賛会運動が起つたときも、一言一句も悪いことは言わなかつたが、結果においてはあの通りである。この平和運動においても、当事者自身の心持からいつたら、違つたものが入つているのである。
文部当局並びに私たち委員の心持においては、かくのごとき運動は、その事の性質のいかんを問わず、政府が指導的にこの運動を展開するということは、かつての大政翼賛会運動と同じようなことになるきらいがあるのでありますから、事の善悪を問わず、かくのごとき運動は政府が音頭をとるべきにあらず、指導すべきにあらず、国民の心の中からひとりでにわき出ずることにまつべきである。
戰時中は大政翼賛会運動というようなものにそれが発展しまして、そうしてこの運動を通じて天皇というものは絶対的なものであるというような考え方、また排外主義、いわゆる超國家的な思想、そういうものを國民に注入し、國民をそれのもとに盲目的な状態に置くということが教育の根本的な方向であつたことは、敗戰後におけるあの國際裁判の席上においてもすでに明らかにされたところでございます。