2019-05-21 第198回国会 参議院 文教科学委員会 第10号
天守閣の天守台も、あるいは本丸御殿も、あるいは富士見やぐらとか、そういう現存するやぐらとか、あるいは大手門、平川門なんかも全部こちらに集まっているんですね。ですから、ここ、こちらを城址公園として整備すると、この江戸城天守がだんだん復元していくわけですよ。 それで、逆に西の丸は広大な緑地です。
天守閣の天守台も、あるいは本丸御殿も、あるいは富士見やぐらとか、そういう現存するやぐらとか、あるいは大手門、平川門なんかも全部こちらに集まっているんですね。ですから、ここ、こちらを城址公園として整備すると、この江戸城天守がだんだん復元していくわけですよ。 それで、逆に西の丸は広大な緑地です。
当時、私はもう愛媛県知事を引いておりましたけれども、たまたま教育再生実行会議がありましたので、獣医学部は大手門からは入れてもらえない、医学部もそうですけれども、からめ手門からは特別、特区制度をもって入れられる。
ということで、その後、小泉内閣時代からありました構造改革特区に申請をして、大手門から入っていけないのなら、せめてからめ手門からでも入れてもらおうという努力を重ねましたが、十年間全く、連戦連敗でありまして、絶望的な思いのときに国家戦略特区法が制定され、トップバッターじゃありませんけれども、今治が十何番目でやっと、おくれながら指定されて、動き始めて、そして今回に至ったということで喜んでおりましたところ、
読売新聞も同じように、五十年当時、この土地は一坪当たり六百万円、今ありますね、大手門のところに、六百万円と言っているのが、読売新聞は八十三万円で国有地売却を得ているんですよ。それで、この本によると、事もあろうに読売新聞の社長は、田中角栄さん、福田さん、水田大臣、池田、佐藤両首相に直談判してこの交渉を強引に進めたと書かれているんですよ。
特に、仙台城の大手門など、被災地の心のよりどころを取り戻すために文化財の復元、極めて重要であると考えますが、国としてはどのように支援に取り組んで、方向性としてはどうでしょうか。
御指摘のありました仙台城の実は大手門、これが昭和二十年の空襲で焼失いたしておりますけれども、焼失前の写真や測量図が残っております。ですので、史料的根拠に基づく復元は可能ではないかというふうに私どもとしては今考えております。
初めに、我々は小諸市に赴き、信州こもろ駅・大手門周辺まちづくり事業を視察いたしました。にぎわいのある市街地の再生を目指し、歴史的資産が現存する中心市街地について、その活力再生と住みよい都市環境づくりに資する市街地通過交通の適正誘導、建物の修理、修景等の改善整備等の諸施策を講じておりました。
○世耕弘成君 さて、今回、総理はこの郵政民営化を改革の本丸と位置付けられているわけなんですが、となると、改革の大手門とか改革の三の丸、二の丸というのもこれあるはずじゃないかというふうに思っています。
大手門をあけて、正々堂々、ロースクールを修了した方が試験を受けて、実力でそこに入っていただくという機会を与えることが私は重要だと思います。 何もそこだけではありませんけれども、ロースクールを修了したはいいけれども、約半数の方は実は法曹になれない。
また、大手門から、大手側から登り始めてすぐのところでも二十メーターくらいの崩落があって、滝ノ沢川の中支流の源流部の崩れ、これも前に行ったときよりも相当広がっていました。そのほかにもあちこちで小さな崩落がだんだん進行している、そういう様子が見られました。三十年も歩き続けている方が異変を感じているわけですね。
支援する限り、こういう大手門だとか桜田門だとか、そういう名前で十社も八社も十七社も適当にペーパーカンパニーをつくって、はっきり言って、あなた方が自分たちの不良債権を、余り多いとまずいから、移しかえて、飛ばし移した、こういうペーパーカンパニーをいっぱい持っていて、そういうところを支援していれば一兆一千億じゃなくて七千億で査定してもいいんだということを、今でも本気で考えているんですか。笑われますよ。
一昨年から昨年にかけて、大手門前薬局チェーン二社の、医師へのリベートの供与等の事例が発覚し、保険法違反として保険薬局の取り消し処分等が行われたと聞いておりますが、この違反の内容など、どのようなものであったのか、お尋ねをさせていただきます。
大臣の姿を見ておりますと、城の大手門の上の城壁に立って敵に勇敢に立ち向かう武者ぶりを想起させるものがありまして、まことに心強いと思っております。 ただ、昔から城攻めの話を聞いてみますと、正面から攻められて落ちた城というのは余りないんですね。よく起こることは、城の中のだれかが裏の方のからめ手門をあけて、そこから敵兵がなだれ込むというようなことが非常に多い。
昭和四十年代後半から日南市にある飫肥城の復元の市民運動が起こり、飫肥城の石垣、大手門、藩校の復元に総工費五億円余りを投じています。また同時に、メーンストリート周辺を城下町の商人町として外観、雰囲気とも江戸時代風に復元しております。この建設には二〇%割高の費用を要したそうですが、すべて個人の負担で賄われたということで、市民の町づくりへの意欲が感じられる次第であります。
これは正門です、大手門です。これは開発庁のおかげで完全に復元いたしました。今日いま久慶門というのをやっている、久慶門は国宝じゃなかったのですけれども。それから白銀門というのは昔の国宝だった。それから首里城の正殿、つまり本丸ですね、これは国宝だったんですよ。
これは私の提案もあるんですが、あれは晴海通りといいますか、晴海通りから祝田橋を越えて大手門ですね、内堀通りといいますか、これを日曜日、祭日ですね、ガソリンが云々されて非常にたいへんな時期なんですから、日曜日、祭日は交通規制をして、この皇居前広場全体を、外堀の内側から大手門まで、祝田橋から大手門までの間、皇居前広場として祝祭日に国民の広場としてひとつ開放するように、いかがでしょうか。
この姫路城史というのから見ますと、御用場というのは現在護国神社があるところ、ちょうど大手門と東屋敷との間の内堀の外側にあった。それから御用場のすぐ東隣には会所、これが現商工会議所ということになっておるようでございます。その裏手に鍛冶小屋、これは県労働会館、こういうぐあいになっておりますけれども、文化庁は「内郭大手と搦手とを結ぶ地域」ということは、この地域が図面の上でははずれてくるんじゃないか。
そういうようなことで、皇居造営審議会の際にいろいろ検討されて、皇居のうちで約三分の一に当たる東側地区、ちょうどもとの旧江戸城の本丸、二の丸、三の丸のある大手門から入ったあの地、その地域については以前は皇族様で内親王様のお住みになっていた呉竹寮がございましたが、その後皆さん大きくなられて、皇族の方もお住みになっていないのだから、ここについて開放を考えないかというようなお話がありました。
戦災で焼けました大手門の渡りやぐらは、本年度の予算で三千六百万、四十一年度の予算で千六百万を組んでございます。それから富士見やぐらのあの三重のやぐらでございますが、あれは現在白セメントを打ちつけてあるわけですが、あれをかき取りまして、城のとおりのしっくいにする。その予算は来年度の予算で二千一百万円組んでございます。
○瓜生政府委員 この東側地区に入ります門は、大手門という門が大手町のところにある、あの門、それから内桜田門、桔梗門ともいいますが、これが坂下門の右側のところにあります。その門、あるいは平河門といっているところがございます。この門、そういうような門から自由に入る。
そういうのを、他の官庁の分は外へ移す、宮内庁の関係の施設はその地域の一角、ちょうど大手門から入りまして右側の一角にまとめまして、その他の土地につきましては木を植え、あるいは芝を張って、緑の公園ふうに整備しようというわけでございます。
○瓜生政府委員 重要な部分での、いまあるものをこわしてつくりかえるというのは正門鉄橋、普通二重橋といわれている部分でございますが、そのほかに今度承認を求める件の中にあります宮内庁病院——倉庫の中にありますが、あれをいまの倉庫をこわして、かわりに病院らしい病院を大手門に入ったところにつくろうという問題がございます。