2010-03-01 第174回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第3号
○前原国務大臣 アクセスの話が大きなポイントだと思いますが、これは、田中委員の御努力もあって、平成十九年だったと思いますけれども、大師橋が六車線になりまして、その結果としてかなり渋滞は緩和されているというふうに伺っております。これは前政権下で行われたことでございますので、そういった御努力がなされたんだと思っております。
○前原国務大臣 アクセスの話が大きなポイントだと思いますが、これは、田中委員の御努力もあって、平成十九年だったと思いますけれども、大師橋が六車線になりまして、その結果としてかなり渋滞は緩和されているというふうに伺っております。これは前政権下で行われたことでございますので、そういった御努力がなされたんだと思っております。
これが橋がいつできるかどうか、環境アセスメント、川崎も厳しくやられている場所でありますから、そう簡単にできるとも思えないわけでございますけれども、この時間短縮効果、今は産業道路という道路で、大師橋、今三車線の拡幅工事をやっているところなんですね。そうすると、それ以上本当に橋をつくる必要があるのかどうか。
それが、環状八号線、特に、一部が補助国道になっておりまして、百三十一号線になっているんですけれども、今、羽田空港のこの工事用の車両が神奈川側からもたくさん来ているんですが、本来は環状八号線まで、大師橋を通って環八まで行ってもらって、そこを空港側に行ってもらわないと困るんですけれども、そこに、その一本手前に大型車が流入してしまっているところなんですね。
そういった意味で多摩川の多摩水道橋それと大師橋、これにつきましては現在の橋を後からかけかえることになりますが、わきに新設の二車線の橋梁を現在かけておりまして、これが完了し次第現橋の方をまたかけかえるといったことで、二つの橋とも容量的には倍の容量になるといったことでそこの部分においての渋滞等は大分解消できるのではないかというふうに思っているところでございます。
多摩川にかかる橋も、大師橋、六郷橋とも新橋をかけたり拡幅をいたしまして努力はしていただいておりますけれども、渋滞解消の兆しがまだ明確でありません。そこに一期工事が完成しますと、市内外からの利用する車の増加によりどのような事態になるか、これは議論の余地がないところであります。
それから大師橋、これは主要地方道の東京大師横浜線にかかる橋でございます。川崎市側は六車線となっておりますけれども、橋梁それから東京都側は二車線でございますから、これを六車線に拡幅する計画が進められております。今年度から測量及び地質調査等を実施する計画であるというふうに聞いております。
○石渡清元君 時間が二時九分までということでございますので、ざっとお伺いいたしますけれども、河川関係でございますが、鶴見川、都市河川の治水対策、あるいは具体的に多摩川のスーパー堤防整備関係、さらに多摩川にかかっておる三橋、大師橋、丸子橋、多摩水道橋という三橋あるんですが、これが大分古い橋になっておりまして、かけかえ計画を建設省発表されておりますので、その辺の進捗状況も含めて二時九分以内で、余り答弁の
抜本的には、先ほどお話が出ました東京湾岸道路、こういうものの完成を待つこととなろうと思っておりますが、いずれにしましても、仮に例えば東京湾横断道路の整備によりまして一般国道が非常に込むのではないか、あるいは首都高速の大師橋付近が非常に込むのではないか、こういう御意見もございます。
○岩垂分科員 大臣、今私が申し上げたのは、下の方から、海の方から大師橋とか丸子橋とか、全部狭くなっているのです。それはしようがないことなんですが、それをやはり広げること、古い橋を建てかえること、そういう一体のものとしてとらえて首都圏の交通混雑の緩和のために御努力をいただきたいと思いますが、ちょっとまとめて御答弁を……。
○三谷政府委員 大師橋でございます。大師橋は、主要地方道東京大師横浜線でございますが、東京都及び川崎市において拡幅の計画がございまして、現在川崎市の方で調査をしております。そういうふうに聞いております。事業化の要望が出た時点で、建設省としても対応を考えてまいりたいと思います。
例えば、首都高が絶えず非常に渋滞していますから、多摩川のあの大師橋のところで非常に渋滞していますから、みんな浅田のインターで車がおりちゃうんです。おりて第一国道に迂回するわけですね。ですから、市内が川崎の競馬場のところは非常に込むという問題を起こしているわけです。この問題も、今すぐということではないでしょうけれども、そういうことを非常に一つは心配しているわけです。
さらにまた多摩川でも、東京都及び川崎市の下水道整備の進行とともに、上流側の田園調布取り入れ口の取水ぜきの付近では、昭和四十七年当時のBODが一一ppmでありましたが、昭和五十一年には九・八、さらに下流の大師橋付近では、昭和三十八年当時が一九ppmのBODであったものが、昭和五十一年には四・二ppmと、大幅に改善されてきております。
それで、いまお話しの北口の問題でございますが、これは、そういう改良工事をいたしますにつきましては、プラットホームをふやしたり、あるいはいろいろな線路を動かすことによりまして、あの北側にあります両大師橋、これを約四メートルくらい上に上げなければならない、こういう結果になるわけであります。そういうことによりまして、いままでありました両そでの通路は片方にならざるを得ない。
その中に流れ込んで大師橋のほうからああいうような事件が起きてきたことも、これは事実です。地元の人たちは、ともかくデモを許してくれるな、デモがあるから、こうなるのだ、警察があそこに陣をしいたからこういう迷惑をこうむったのだと、こういうことを考えていく場合に、私どもは、受けた民家の損害補償等については相当これは考えてやらなければならない問題だと思うわけです。
この面積と、これに通ずる道路の数を一応考えてみると、多摩川に橋が大師橋から上まで幾つかかっているか、荒川に幾つ橋がかかっているか、こういうものをずっと勘定してまいりますと、車の数は非常に多い、東京都内の道路の面積は非常に少ない、しかも、それがほとんど一カ所に集約されておる、入るにもそこに行かなければならない、出るにもそこに行かなければならない、このむだな——と言うと言い過ぎかもしれませんが、実際必要以上
——この「首都高速道路事業の概要」というプリントがあるのでございますが、このプリントの一番最終の三枚目のところをお開き願いたいと思うのですが、そこのところに「羽田横浜線」という図面が載っておりますけれども、それでこれは、こちらの羽田の近辺から多摩川を渡りまして——大師橋というところの下流で渡りまして、あと産業道路というのが川崎市と横浜市を通っております。