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10件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2005-06-02 第162回国会 衆議院 予算委員会 第22号

そこで、この二十五名、死刑七名、終身禁錮十六名、禁錮二十年一名、禁錮七年一名、そしてあと三名の方が、二人は途中でお亡くなりになり、一人、大川周明氏は途中で精神に変調を来して裁判から外れました。  この有罪判決を受けた二十五名の人たち、重大な戦争犯罪を犯した人たちであるという認識はありますか。

岡田克也

2000-12-07 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第6号

私ごとでございますが、先生も大川周明についてお書きになっておられるように、私は到底及びませんが、アラブそしてイスラムに対して、これまで私なりの研究なども続けてまいった一人でございます。その中で、アラブの国連、アラブ連盟に加盟する条件といたしまして、まさにナショナルアイデンティティーを求めているわけでございます。

小池百合子

1970-12-09 第64回国会 衆議院 内閣委員会 第4号

ただしかし、行動的にはとてもあんなものはついていけた筋合いのものじゃない、そういう認識、私は長官とその点は同じ考え方に立つのですけれども、この種のことというのは北一輝大川周明という人のものの考え方、ぼくらは戦争中ですから長官と同じように一緒に兵隊に行ったほうですから、ずいぶん読んだり読まされた機会がありました。

大出俊

1965-12-10 第50回国会 参議院 本会議 第13号

第一次大戦後に、日本は、工業力が非常に発展をして、日本の製品を海外に輸出をするという、こういう必要に迫られた当時の経済的な状況、あるいはまた、思想的な面からいえば、日本主義国粋主義国家主義が台頭して、黒龍会とか、浪人会とか、国本社がつくられ、軍部内には青年将校秘密結社が、大川周明等によってはかられていた。

松永忠二

1961-02-08 第38回国会 衆議院 地方行政委員会法務委員会連合審査会 第2号

二・二六事件を見ましても、五・一五事件を見ましても、北一輝氏、西田税氏、大川周明氏など、必ずしも党員を持っていなかった。自分の個人の勢力があれだけの影響力を及ぼして、青年将校を動かして、日本右翼革命をやったのでありますから、私は、左翼の団体を取り締まる考えをもっては、右翼勢力を取り締まることは、なかなかむずかしいのじゃないかと思うのであります。

田中幾三郎

1957-02-14 第26回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

私の聞いておるところでは、三月事件大川周明氏、橋本欣五郎氏を中心とする軍のクーデターですが、これは明らかに犯罪なんです。当時の秦憲兵司令官死刑を主張したのです。これは私はっきり知っているのです。ところが安達内務大臣等が間に入ってこれを穏便に済ました。若槻内閣のときです。それがそもそもの始まりだったのです。軍の上層部あるいは安達内相が軟論でこれを二葉のうちに刈りとらなかった。

稻村隆一

1954-02-17 第19回国会 衆議院 法務委員会 第7号

すなわち大正七年の老荘会、これは政治団体というほどのものではない、懇話会程度のものであつたようでありますが、これに大川尚明権藤成卿鹿子木員信満川亀太朗北一輝堺利彦島中雄三高畠素之というような人が集まつているようでありますが、こういう流れが翌大正八年の大川周明、北一輝などの猶存社流れとなり、それから大正十年の上杉愼吉高畠素之氏らの経綸学盟となり、その後ずつといろいろな分派を生じておりますけれども

高橋一郎

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