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13件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2007-05-23 第166回国会 衆議院 予算委員会 第19号

そのときに私はIT担当大臣でもありましたから、一番大事なことは何かというと、システムそれから情報化、これをしっかりやらなきゃならない、だから、そこの権威である東京工業大学の大山教授をぜひ入れなきゃいかぬ、実際のコンピューターの今のシステムのあり方、年金にしても医療にしても、母体が共済であったり、いろいろなものがありますが、それらを検討してもらって、本当の改革が長期にわたってできるような体制をとってもらおうということでやったんですが

細田博之

1999-05-11 第145回国会 衆議院 地方行政委員会 第15号

○春名委員 大山教授が、技術の大事さと同時に、法律人間の運用、三位一体でやらぬとだめなんだ、こういう指摘をされているんですね。技術的にも最高度のセキュリティーを確立するように努力はしているが、しかし使う人間も問題だ、それから法律上はっきりさせなければならないということが強調されて、なるほどなと私は思ったわけなんです。  

春名直章

1999-05-06 第145回国会 衆議院 地方行政委員会 第14号

午前に東工大の大山教授から、ICカード、十分な安全性があるという発言も実はございました。今回のこのネットワークシステムにおいては、やはりICカード化がどうしたって不可欠だと私は思っておりますが、知事さんの方の益田郡五町村で試行されているこの問題で、ICカードの意義、またこれからの発展性について、知事さんとしての重ねての御見解をお伺いしておきたい。

中野正志

1973-09-19 第71回国会 参議院 文教委員会 第28号

この問題について、たとえば当時の教育学部長代行であった大山教授が、「寿原教授は、いわゆる造反教官ではなく、全共闘やその他のセクト学生とも全く関係ない。むしろ、学究はだで、専門の精薄児問題にコツコツ取り組み、抗議声明後も教授会の決めた授業計画や正門での検問にも参加している人だ」、こういう方であります。しかも、「他教官への抗議声明参加働きかけ」は、これは寿原教授の個人的な私信であったというようなこと。

大江志乃夫

1966-06-23 第51回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第26号

ユーザーのほうからは関電の加藤副社長、それから東電のほうでは田中常務、それからメーカーのほうといいましょうか、メーカーのほうからは三菱原子力妹尾社長、それから日立の清成副社長、それから学界のほうでは、これは動力炉開発懇談会のとき高速増殖炉並びに新型転換炉のそれぞれのワーキンググループを設けましたが、そのワーキンググループの主査になられた方で、一人は電気試験所長山田さん、それからもう一人は東大大山教授

有澤廣巳

1966-02-16 第51回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会動力炉開発に関する小委員会 第1号

団は約二十名でありましたが、全部同時に回るわけにもいきませんので、大体二班に分けまして、第一の班は高速増殖炉班、その班長は、ここにおられます東大大山教授にお願いしましたし、それから新型転換炉の班は、過日通産省の電気試験所長になられました山田太三郎君に新型転換炉班長をお願いしまして、おおむね二班に分かれて各国の研究所なりそれに類したようなものを訪問していただきました。

丹羽周夫

1966-02-16 第51回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会動力炉開発に関する小委員会 第1号

もっとも、このオブジェクティブ・ベーシック・リサーチと純粋基礎研究との間には画然たる区別ができにくいというととは、先ほども大山教授がお触れになったとおりでありますが、例をもって言いますと、たとえば——これは過去の歴史、あるいは当時は原研的なものしかなかったせいもありまして、やむを得なかったことでもあるし、また、それが必ずしもまずいことであったとは申しません、お役に立ったとは思っておりますけれども、もう

丹羽周夫

1953-12-04 第18回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号

承知のように、今次の引揚げの前には、ソ連地区の同胞の引揚げのことは、赤十字社の建前から言つても当然のことでありますので、機会あるごとにソ連側に対してはいろいろ要求をし、またお願いをしておつたのですが、今年の七月になりましてから、ちようど大山教授モスクワ行つた機会に、このきつかけができまして、同教授のあつせんによつて日本赤十字の代表がモスクワに行くことができるようになつたのでございます。  

葛西嘉資

1953-11-04 第17回国会 衆議院 外務委員会 第5号

大山教授行つていろいろ話して戦犯が帰ることになつたことだけはこれは事実です。ほかの文句をぎようさん言つたつて始まらぬ。これは厳然たる事実だからしようがない。そうすると吉田政府は、中国からの帰国の日本人に対しても何も無能力である。ソ連からの戦犯のこの送還問題に対してもまつたく無能力である。ところがこの二つのことは、いわば国民自身が解決しておる。このことはどういうことか。

川上貫一

1953-11-04 第17回国会 衆議院 外務委員会 第5号

大山教授ソ連当局との話合いは、結局は戦犯捕虜送還という実を実際には結んでおる。政府は、これまでソ同盟捕虜問題については、あらゆる限りの非難攻撃をしたが、ほかのことは何もしておらぬ。そこで、ここでちよつと聞きたいのは、政府はこの捕虜送還の問題について、ソ連政府に対して話合いをする機会をつくるために、どういう努力をせられたか、これをひとつ具体的に言うてみてもらいたい。

川上貫一

1953-11-04 第17回国会 衆議院 外務委員会 第5号

大山教授や川上君が行つたら向うは出すだろうといつておる。日本は出さぬ。何でそんなことを言う。ソ連は私が行つても、大山教授行つても出すのだ。国交はしたいのだ。仲よくしたい。査証は出そうというならすぐ出せるのだ。ところが日本政府ソ同盟の人には出しません。これはどういうわけですか。さつぱりわからぬ。

川上貫一

1953-10-28 第16回国会 参議院 中共地域からの帰還者援護に関する特別委員会 閉会後第1号

それから更に同日日赤からソ連赤十字社に宛てて、大山郁夫教授からの電報によれば、こうこうこういうことだから、貴社の斡旋に対してあらかじめ深甚の謝意を表します、大山教授からの詳報を待つて、更に具体的に連絡いたしたいと思いますという趣旨の電報を更に打ちました。

鶴見清彦

1950-02-27 第7回国会 参議院 電力問題に関する特別委員会 第5号

大山教授は昭和二十三年四月に商工大臣諮問機関としてできた電気事業民主化委員会委員長として活躍された方であります。  議院における証人宣誓及び証言等に関する法律の第三條によつて宣誓を行うようになつていますが、すでに証人から宣誓書に捺印をして頂いていますので、御了承を得たいと思います。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

飯田精太郎

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