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4件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1964-03-10 第46回国会 衆議院 決算委員会 第10号

その上、昨年本委員会参考人として述べられました中川社長の、新徳島火力重油輸送に伴う大宮鉱業所の宮原さんとの関係は、荒唐無稽のことであるという答弁がなされておりますが、その後私の調査した資料によりますと、どうも事実に反するではないかというように思いますし、さらに三井鉱山伊豫銀行にあった大宮鉱業の三千万円の債務口銭という名目で引き受けなければ三千トンの四国電力納入がもらえなかったということは、

勝澤芳雄

1964-03-10 第46回国会 衆議院 決算委員会 第10号

その結果、大宮鉱業四国電力納入していた月六千トンの石炭納入ワクは、うち三千トンは日本炭礦大宮鉱業四国電力にあった債権三千万円を肩がわりすることによって増しワクを譲り受け、残り三千トンは三井鉱山大宮鉱業伊豫銀行にあった債権三千万円を口銭という名目で支払うということで増しワクを譲り受けましたことが明らかになりました。

勝澤芳雄

1963-06-27 第43回国会 衆議院 決算委員会 第25号

四国電力伊豫銀行に六千万円の債務のあった大宮鉱業から宮川社長機密費が出されて奈半利川の水利権が解決された。あるいは三十年の総選挙のときに自民党に一千万円出されておる。あるいは三十一年の秋の自民党総裁選挙石橋湛山氏に二千万円の政治献金をしたとか、そのあっせんをしたために平井さんは郵政大臣になったとか、あるいはその中から五百万円を着服したとかいうようなことが書いてある。

勝澤芳雄

1963-06-27 第43回国会 衆議院 決算委員会 第25号

その結果はっきりいたしましたことは、まず月六千トンの石炭大宮鉱業四国電力に納めておった、ところが、三十五年の九月に大宮鉱業が倒産をして、第二会社として大豊鉱業という会社を、三十五年十二月、三カ月たってつくって、この会社は実は、三月間で三十六年二月に解散をした、しかもこの間この会社は月六千トンの石炭が納められずに、約半年余の間で五百トンの石炭しか納めなかった。

勝澤芳雄

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