1964-03-10 第46回国会 衆議院 決算委員会 第10号
その上、昨年本委員会で参考人として述べられました中川社長の、新徳島火力の重油輸送に伴う大宮鉱業所の宮原さんとの関係は、荒唐無稽のことであるという答弁がなされておりますが、その後私の調査した資料によりますと、どうも事実に反するではないかというように思いますし、さらに三井鉱山が伊豫銀行にあった大宮鉱業の三千万円の債務を口銭という名目で引き受けなければ三千トンの四国電力の納入がもらえなかったということは、
その上、昨年本委員会で参考人として述べられました中川社長の、新徳島火力の重油輸送に伴う大宮鉱業所の宮原さんとの関係は、荒唐無稽のことであるという答弁がなされておりますが、その後私の調査した資料によりますと、どうも事実に反するではないかというように思いますし、さらに三井鉱山が伊豫銀行にあった大宮鉱業の三千万円の債務を口銭という名目で引き受けなければ三千トンの四国電力の納入がもらえなかったということは、
その結果、大宮鉱業が四国電力に納入していた月六千トンの石炭納入ワクは、うち三千トンは日本炭礦が大宮鉱業の四国電力にあった債権三千万円を肩がわりすることによって増しワクを譲り受け、残り三千トンは三井鉱山が大宮鉱業の伊豫銀行にあった債権三千万円を口銭という名目で支払うということで増しワクを譲り受けましたことが明らかになりました。
三井炭鉱の林という支店長が日炭と同じようにとにかく三千トンのワクをもらいたいから、大宮鉱業のワクをもらいたいから、四国電力の借金を引き受けましょう、とこう言ったわけです。そうしたら、考えてみたら、四国電力に三井炭鉱というのは前渡しをしてくれと頼んでおる。
四国電力や伊豫銀行に六千万円の債務のあった大宮鉱業から宮川社長に機密費が出されて奈半利川の水利権が解決された。あるいは三十年の総選挙のときに自民党に一千万円出されておる。あるいは三十一年の秋の自民党の総裁選挙で石橋湛山氏に二千万円の政治献金をしたとか、そのあっせんをしたために平井さんは郵政大臣になったとか、あるいはその中から五百万円を着服したとかいうようなことが書いてある。
その結果はっきりいたしましたことは、まず月六千トンの石炭を大宮鉱業が四国電力に納めておった、ところが、三十五年の九月に大宮鉱業が倒産をして、第二会社として大豊鉱業という会社を、三十五年十二月、三カ月たってつくって、この会社は実は、三月間で三十六年二月に解散をした、しかもこの間この会社は月六千トンの石炭が納められずに、約半年余の間で五百トンの石炭しか納めなかった。
○大内参考人 いわゆる大豊鉱業といいますのは第二会社でありまして、大宮鉱業の権利義務を重畳承継している、こういうふうな形の、破産その他の場合に普通一般に行なわれますところのいわゆる整理の第二会社ということになりますので、権利と義務とを重畳承継するという形のものであるわけであります。
○勝澤委員 四国電力が大宮鉱業に貸した金の残金約二千六百万と、それから大宮鉱業が四国電力に入れた六千トンというものは大豊鉱業が引き継いでおった、こういうことなんですね。
○勝澤委員 そうすると大宮鉱業の三千トンの納入をもらうために大宮鉱業が伊豫銀行にあった借財をあなたのほうがお話ししてもらった、こういうことなんですか。
○勝澤委員 大宮鉱業と大豊鉱業の間、あるいは四国電力との関係、この間は契約書はそういうふうに取りかわしがされておるのですか。
○塚本政府委員 大宮鉱業の四国電力に対する借金の約三千万円、これは四国電力から大宮鉱業に対して前金を渡しておったのであります。その前金が、石炭を納めたために残額として三千万円残っておる、こういうことであります。