2012-05-29 第180回国会 衆議院 本会議 第22号
西暦七〇一年、大宝年間に若狭湾に巨大津波が押し寄せたことからできた地蔵だと言われております。 大飯原発では、一五八六年の天正地震のボーリング調査はされていますが、それより古い調査はされていません。もう想定外は許すことはできないです。
西暦七〇一年、大宝年間に若狭湾に巨大津波が押し寄せたことからできた地蔵だと言われております。 大飯原発では、一五八六年の天正地震のボーリング調査はされていますが、それより古い調査はされていません。もう想定外は許すことはできないです。
ところが、今は、おれたちは下手なんだと、もうやっぱりみんな頼みますよと、いい案出してくださいよ、そのためにはNPO、いろんな組織も含めて能力を活用いたしますということに来たのは、正に官が主体となった律令国家以来始まっている、大宝年間からずっと律令制で、太政官布告までずっと続いて今もそういう状況が続いておる日本の歴史において、町こそは自分たちでつくろうということを、私は非常にいい、だから、これはうまくやれば
○齋藤(太)政府委員 わが国での計量制度でございますけれども、古くは千数百年前の大宝年間に一応の形態が整えられたといわれておりますが、法律といたしましてきちんといたしましたのは、明治二十四年に成立を見ました度量衡法からでございます。この明治二十四年にできました度量衡法では、全体が十五条から成り立っておりまして、非常に簡素な法律の形をなしております。
それから正倉院には大宝年間の戸籍がございます。そういうものがあります。しかしながら、大宝以前となりますと非常に少ないのでございます。この木簡がいままで出たところだけを拝見しますと、持統天皇九年から文武天皇、天明天皇和銅三年、和銅二年ころまでの年紀を持ったものが出ているわけであります。ちょうど藤原の時代とぴったり合うわけです。