2000-11-28 第150回国会 参議院 国民福祉委員会 第6号
二年間延びた理由は、インターン廃止闘争からそれに引き続く大学闘争で延びたわけですが、このインターン制度がなぜ廃止されたのかということをきっちり踏まえないと、ただ研修を義務化すればいいという問題ではないと思うんですね。 インターン制度、戦後アメリカから導入されたこの制度は、制度としては非常にいいものだったと思うんです、その趣旨としては。
二年間延びた理由は、インターン廃止闘争からそれに引き続く大学闘争で延びたわけですが、このインターン制度がなぜ廃止されたのかということをきっちり踏まえないと、ただ研修を義務化すればいいという問題ではないと思うんですね。 インターン制度、戦後アメリカから導入されたこの制度は、制度としては非常にいいものだったと思うんです、その趣旨としては。
津島厚生大臣からごらんになって、特に我が国は若年医師の不安定身分をめぐるインターン闘争、大学を揺るがせ、もしかしたら大きな社会的損失であったかもしれない一連の各地の大学闘争、ないしは紛争と呼ばれる方もおられますが、こういうことの結果として提案された昭和四十三年の医師法改正についてのお考えをまず伺います。総括でございます。
それから見ますと、一九七〇年の七〇年安保世代と言われている人たちは、これは大学闘争を組んだわけで、目の前にある権威構造に対して物申すという、そうした運動でした。すなわち、六〇年代に比べれば少しその対象が狭くなっていますし、持っているエネルギーがしたがって少なくなってきたというふうに予想されます。
これは、京都大学の大学院学生が、ちょうど大学闘争の最中に、教授の制止を振り切りまして、京都市の下水処理場の焼却炉の周辺の大気汚染と土壌汚染を公表してしまいました。これは当時大変なスキャンダルとしまして我々の間で話題になりました。スキャンダルとして話題になったのは、教授が学生を抑え切れなかったということでスキャンダルになったのであります。
そういうような質の問題を深く問われたのが、実は十数年前の大学闘争だったわけですが、そのときの問題は、その後たな上げになってしまった、この問題が実は今後の中心的な問題なのではないか。 私たちは、全国で、国庫助成に関する全国私立大学教授会連合という組織をつくって国庫助成運動をやっておりますけれども、その場合に、国庫助成というのは、ただ単に金をよこせ、そういう運動ではない。
大学闘争でありました。今度の赤軍派というのも、やはり私はその延長線にあると思うのです。確かに彼らは気違いじみた集団ではあります。しかし気違い集団であるとは言いにくいと思うのです。精神異常者の集まりではないと思うのです。世の中に対して、気違いじみた方法だけれども反抗しようという一つの集団だろうと私は思うわけであります。
一九六八年、六九年の大学闘争のときに、ヘルメットをかぶってゲバ棒を持って、大学をぶちこわして貴重な資料を焼いて、そして内ゲバとしてたくさんの人を殺したんです。私たちが調べただけでも、現在学生の登校が自由にできないのが、法政大学、明治大学、同志社大学、京大など。それから学内において現在実際暴力とテロの、リンチの危険があるところは、北大、早大、横浜国立大、広島大など三十。
そういうことに対してあまり批判をされないで、学生のほうだけを一方的に批判される、私は、その姿勢が大学紛争あるいは大学闘争の解決を非常にこじらせておるというふうに思います。その点を十分お考えいただきたい。 大学の中はどんなにひどいところであるか。封建的な徒弟制、それからあるいはいろいろ大学の古さを表現することばがいままで幾たびも語られてまいりました。そういう大学の内容が一体どんなものであるのか。
たとえば医学部の問題に端を発しまして、医療制度の問題が大学闘争の中で問われております。昨日から本日にかけて行なわれました健康保険法の問題でございますね、ああいったことなんかもやはり医学部の闘争の中で真剣に問題にされてまいりました。
しかし、ほんとうに、現在起こっている大学闘争——先ほど申しましたように、これは日本だけでなく、世界じゆうに起こっております。大学闘争の本質をよく理解しておる者であれば、学生が悪いと言う前に、教師が悪い、おとなが悪い、こういうふうに言う人が、私はほんとうの大学問題の通であると思っております。