1956-04-02 第24回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第11号
存じませんけれども、ただ私どもが向うにおられます方たちとの話し合いの中で、大堀泰さんという人がまことに気の毒な状態に置かれているから、何とかしてほしいという陳情は受けました。しかし、その内容の詳しいことはだれも話してくれませんでした。ところが、たまたま先ほど申しましたように、庭を歩いておりますときに、実はこういうふうにして横から出てきてなぐった、こうおっしゃったのです。
存じませんけれども、ただ私どもが向うにおられます方たちとの話し合いの中で、大堀泰さんという人がまことに気の毒な状態に置かれているから、何とかしてほしいという陳情は受けました。しかし、その内容の詳しいことはだれも話してくれませんでした。ところが、たまたま先ほど申しましたように、庭を歩いておりますときに、実はこういうふうにして横から出てきてなぐった、こうおっしゃったのです。
ただ私この際非常に遺憾に思うのは、ハバロフスクへ行かれたとき、手紙以外に、大堀泰さんの傷害事件に関連して、請願書が野溝団長に渡された。ところがその請願書を昨年の暮れに手紙と一緒にこの委員会にお出しにならなかった。
高血圧患者は仕事に出すな、三十七度以上熱のある人は仕事に絶対に出さない、五十五歳以上の人には絶対に仕事をさせない、五十一歳から五十四歳までの人は軽い仕事をする、それから医者が診断をする場合に、ほかの者が絶対に口を出さないこと、それから団長と鶴賀という人が指揮をとっておりましたが、それをかえてもらいたい、全員が帰るまで作業をやらない、休養をする、それから大堀泰の釈放について、それから日本人をみなハバロフスク
その片りんといたしまして、昭和三十年の六月二十六日には、第六建築場で大堀泰君のロシヤ人の将校殴打傷害事件が発生いたしました。
この内容というのは、あとでごらんになっていただけばよろしいので一々読みませんが、大堀泰君の係官に対する殺傷事件の問題でございます。これは裁判が行われて、他の刑務所に移されたのです。
それから、この間帰りました皆さんから聞かれたと思いますが、大堀泰という日本人が、作業現場の、ソ連当局より派遣された将校の作業督戦係の横暴に耐えかねて、それをおので殴打し、傷害せしめて、そのかどによって、現在監獄に入っておる人がおります。この人は、最近、裁判によって禁固十年の刑をもらいました。