1973-06-27 第71回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第8号
○政府委員(齋藤太一君) 日本合成化学工業の大垣工場でございますが、岐阜県の大垣市にございまして、アセチレン水和法によりましてアセトアルデヒドを製造いたしておりまして、昭和三年に生産を開始をいたしまして、昭和三十九年の九月に水銀を使います製造法によるアセトアルデヒドの製造をやめまして、三十九年九月以降は別の品物をつくっておりまして、アセトアルデヒドの製造は行なわれておりません。
○政府委員(齋藤太一君) 日本合成化学工業の大垣工場でございますが、岐阜県の大垣市にございまして、アセチレン水和法によりましてアセトアルデヒドを製造いたしておりまして、昭和三年に生産を開始をいたしまして、昭和三十九年の九月に水銀を使います製造法によるアセトアルデヒドの製造をやめまして、三十九年九月以降は別の品物をつくっておりまして、アセトアルデヒドの製造は行なわれておりません。
○政府委員(岡安誠君) おっしゃるとおり、従来環境庁発足して以来のいままでの体制といいますか、について不備な点、私ども重々認めるところでございまして、特に岐阜県におきます揖斐川周辺の問題につきましては、日本合成大垣工場周辺のみならず、いま御指摘の美濃市のPCB問題とあわせまして、県当局とよくさらに十分相談をいたしまして、私どもが積極的に出なければならない点につきましては、県を督励し、また必要であれば
○政府委員(岡安誠君) ちょっと御質問の趣旨がわかりかねる点がございますのですが、いま問題になっております日本合成の大垣工場の問題に限るということで御答弁よろしゅうございましょうか。
伊勢湾、これには水銀を使っている工場が東亜合成、日本合成の大垣工場、三井化学、三菱モンサント、大きなところをあげてもこのような水銀の工場が存在する。それが伊勢湾に注入する。新潟湾や富山湾につきましても、また兵庫の円山川につきましても大体同様です。こうなってくると、これは水銀の汚染度があまり大したことはないなどと言って見過ごしておったら、これは私は第四、第五の水俣病を起こしかねない。
これは大垣工場池原という工場長と工務課長大田という人の書いた日誌で、十月一日後番女子出勤率八三%段取りに困る。十月二日には後番女子出勤率七九%男子七二%、かかる状態では全く運転できず。十月三日後番欠勤者多く夕食後一部停台す。十月四日欠勤多く問題にならず、出勤率七九%残業するも夕食後一部停台の予定。十月五日欠勤きわめて多く出勤率七七%、四時十五分より精紡二十三台停台、織布五十四台停台。
そうして五億一千万円の債権に対しては、この担保物件の登記を完了いたしまして、すなわち大垣工場財団、一宮工場財団、その他建物、宅地、機械類一切を担保として設定いたしまして、評価額は四億八千何百万円、これはわずか三、四百万円の損害でありましょうが、しかしながら、これをさらに適正に時価に換算して、売手と買手との好条件でこれを売却いたしますれば、勧銀はこの処置によってむしろ膨大な利潤をおさめ得るという可能性
第五番目の例は大垣工場でございます。これは年少者の時間外労働及び深夜業につきまして、昭和二十八年の四月に工場長を送検をいたしておりまして、目下係属審理中の事案でございます。以上五件が過去の司法処分にいたしました事案でございます。
(1)信管開封の目的は、寮生(工員)の動行を事前に知る事であると思われるが、大垣工場にては、主として転職(近江絹糸を辞めて他社に就職する事)防止であつたと思う。故に既に他社に転職した者より大垣工場の工員宛に来た手紙はほとんど開封していた。
この基準は――私は近江絹糸の大垣工場ですが、大垣工場からその当時よく岐阜にあります川島紡績へ転職する子供が多かつたのです。このために、岐阜の川島紡績へすでに転職した子供より、大垣工場へまだ残つている者にあてて、向うの様子を書いた手紙がたくさん来ておつたわけです。その内容によつて、ずいぶん向うの方へ転職したことがあつたわけなんです。
○鈴木参考人 ただいま大垣工場から第五項目について、大体説明されたようですが、中津川におきましても同じようなことがあります。残業手当の場合は、伝票を切れば手当はくれますが、事務所において工銭の方で忘れましたと言うので、すぐもらえないかということを請求しますと、来月にまわしてくれと言う。また来月に行つて、くれないかと言うと、また忘れたということで、しまいには全然支給されないという事実があります。
まず大垣工場から始めたいと思います。大垣工場の内田君、それから菅家君ですね。——それではあなたたちの要求項目に従つて、以下陳述を行つてもらいたい、こう思います。 まず要求の第四まではわかるのですけれども、第五のタイム・レコーダーの即時復活、残業手当の支給、賃金体系の確立という要求があるのですが、残業手当の問題はどうなつておるか、あるいは賃金体系の確立という要求は
○内田参考人 組合役員のことについてですけれども、大垣工場において二十六年から仕事を始めたのですが、そのときにはまだ組合がなかつたわけです。
その選挙管理委員には労務担当の、私の方の大垣工場であつたら石田主任、それから仲川、それから池尾も入つていたかもしれません。要するにあらゆるところで会社側の人にそういう地位を与える。自治会の役員とか組合の役員というのは、もちろん会社の犬だけを使うのです。それだけではない、組合の大会にも、夏川一族の息のかかつた工場長とかが全部来ている。執行委員会にも来ている。
先一ほども申し洋書たように、彦根工場につきましては九十二回、大垣工場につきましては三十六回、中津川工場につきましては三十七回というように、それぞれ監督の手をゆるめずにこの問題の処理に当つて来たわけであります。そうして違反のありました都度、違反の是正をさせまして、それをまた再監督を通じまして確認をして来ておりますが、しばらくたちますと、また同じ違反が繰返される。
大垣工場に参りましたときにも同様な掲示が出されました。それは朝のことであります。昼の食事までは供給するが、夜の食事からはそうせよということでありました。その前日にも同様なことが貼出されて、これは千八百名の全繊の組合員が夕方食堂に参りまして、我々は食事を供給してもらいたいということで頑張りましたので、漸くにして夜の十時から午前二時の間に夕飯が給供されたという事実であります。
しくその性格を異にした、いわば労働組合法以前の労働者の基本的人権の確立を要求した極めて特殊な争議であり、又新聞紙等の報道によりますと、争議に際して暴力団と解される第三者の介入に伴う傷害事件等の発生も起つておる模様でありましたので、委員長といたしましては、従来の労働委員会における近江絹糸の調査の経緯等に鑑み、このまま傍観することは許されないことと考えまして、去る六月十八日より三日間、近江絹糸彦根工場、大垣工場
従来も司法事件として処理したものはございまするのでございまして、彦根工場におきましては、昭和二十三年十二月の十三日、女子年少者時間外労働に関する件、又昭和二十六年六月三日に起きました映写の際の火事によりまして女子工員二十三名が圧死した事実も生じましたので、これらにつきましては刑法第二百十一条違反の被疑事件として起訴いたしておりますること、又中津川工場におきましても、大垣工場におきましても司法事件として
で、なおあとに「彦根工場に於ける不当労働行為事件について」それから「大垣工場に於ける紛争について、」更に「岸和田工場に於ける紛争について、」この三つの事項も関連いたしまして載せてあります。
それからなお御承知でもございましようが、同じ近江絹糸の大垣工場です、それからさつきの岸和田工場にいろいろ暴行事件が起きておることがございます。これも組合側から告訴はいたしておりますけれども、近江絹糸の各工場を廻りましていつも、不愉快、それから不合理な問題がこの労使関係の中にかもされておるという実情をどうぞ頭に入れて頂いて、先ほど委員長の言われたようにまとまつた調査を一つお願いいたしたいと思います。
大垣工場におきましては、男子寮が毎金曜日、女子寮が毎土曜日、彦根工場におきましては男子寮が毎水曜日、女子寮が毎土曜日を連絡日といたしまして、この主催は、あとで申し上げまする寄宿舎の自治会の主催で行つておるようであります。
次に岐阜県揖斐川電気大垣工場は、買入数量石灰窒素三百九十九トン、金額八百六十万円でありまして、日通と契約してその倉庫に保管せしめており、その保管状況は概して良好ではありますが、七月末に買入れたものが、入庫は九月二十日以後に行われているような状態であります。 次に肥料公団の蔵置肥料を名古屋日通の笹島倉庫について調査したのであります。