2012-06-15 第180回国会 衆議院 外務委員会 第2号
大和民族とアイヌ民族と琉球民族ですよ。もとをただせば、その三つの民族から成っている、こういう理解です。それについては、今、若干の異論が多分、外務大臣にはおありなのかもしれない。だから、そこをお聞きしたいと思うんです。
大和民族とアイヌ民族と琉球民族ですよ。もとをただせば、その三つの民族から成っている、こういう理解です。それについては、今、若干の異論が多分、外務大臣にはおありなのかもしれない。だから、そこをお聞きしたいと思うんです。
これは、私はあえて、余り県民、沖縄県ということでくくって言うよりも、むしろ、歴史と文化と伝統をある意味大和民族とは異にする、琉球という歴史を踏まえた今の沖縄という全体をとらえることが大事であるということをいろいろな形で言ってきたつもりなんですけれども、そういう観点。つまり、だから県民感情というのでは非常に小さい。
我々は、マーケットにおける競争を至上のものとする新自由主義の思想にのっとった今までの路線を真摯に総括し、和をもって貴しとなすとの我が国大和民族の本質に基づく社会づくりに向け、総理が強いリーダーシップを発揮されることを心より期待して、質問を終わります。(拍手) 〔内閣総理大臣麻生太郎君登壇、拍手〕
日本人、大和民族の命を守るのは黄金色のお米が一番よいのではないでしょうか。穀物、特にお米は、私は、貯蔵がきくので、食料安全保障のためにも一番であると思います。例えば、これは私ごとなんですけれども、私はブドウをつくっていますけれども、ブドウというのは、おいしいのはいいんですけれども、貯蔵はできませんし、その点、米は非常に食料安全保障になると思います。
また、最後に帰るときになって、ゲー・ペー・ウーの大尉と言われる方が輸送指揮官でございましたが、あの日本人のぶざまな格好を見て、各車両長を呼んで、皆さんにお願いがございます、私はパパ、ママから小さいときから世界を制覇する民族があるとするならばそれは日本民族である、大和民族であるということを教わってきました、小学校に行っても士官学校に行っても世界一優秀民族は日本人であるということを教わってきたけれども、
しかし、これは、大多数の日本民族が、大和民族が日本という国に住んで、祖先の営みの中から築き上げてきた暗黙の了解事項というのがあるわけですね。この暗黙の了解事項が、実は法を超えて、法よりはるかに強い社会の秩序維持の根底にあるわけです。
このような大和民族以外の日本人は少なくありません。 私は、自分の主語の言語は自分の沖縄民族の言葉だと思っています。だから、大いに努力して僕は日本語を使っています。もし沖縄民族の言葉が日本語に組み入れられているならば、私は今日は沖縄の言葉で質問してもいいと思っているんですけれども、麻生さんはお分かりになるかなという私は一つ疑問を持っています。 それで質問します。
日本人主義といいましょうか、マジョリティーである和人が日本人なのか、日本民族なのか、大和民族なのか、その名称さえもあいまいであるということも指摘をしておかなければならないと思います。 アイヌ民族の人権に関する法律というものが、今後も文化だけに偏ったアイヌ文化振興法、それを改正をしていただいて、アイヌ民族の自決権を含む、アイヌ民族の自決権というのはほかから許諾されるものではありません。
それは、明治から一つの社会的思想があった、国家主義、民族主義、すなわち大和民族の血を汚すようなものは排除すべきであって、ハンセン病はその最たるものとしてこれを一掃するために隔離をしてきたというものでございます。問題なのは、戦後のこの民主憲法が制定された後においても、らい予防法は廃止されずに、ずっと九六年まで続いたわけでございます。
その次に、これも熊本地裁の判決が述べておりますので、政府が認められたことでございますけれども、先生がおっしゃいましたように、大和民族の血の浄化作戦、これは一九三一年、まさにあの満州事変が起こって日本の軍国主義がいよいよ台頭してくるというその年に合わせて、この隔離政策がさらに強化されていきました。このことを熊本地裁は、大和民族の血の浄化作戦と言っております。
そういうことで、また乱暴なことを申しますが、ある私の友人は、二十一、二世紀は大丈夫だけれども、二十三世紀ぐらいになったら大和民族は日本列島での少数民族になってしまうおそれだってあるかもしれない。
大臣いわく、これは明治からの国家主義、民族主義、すなわち大和民族の血を汚すものは排除すべきであり、ハンセン病はその最たるものとして、これを一掃するために隔離されたものではないか。戦後の基本的人権を尊重する新しい日本国憲法下でも、当時の吉田内閣は、一九五三年、らい予防法を制定して、隔離政策は九六年まで続きました。
それで、我々日本人が誤解をしておるのに、大和民族という言葉がございますけれども、人類学的には大和民族という民族は存在いたしませんで、日本人は純然たる混血種の民族であります。それゆえに、血液型の種類は多岐にわたる、また顔の種類が最も多い民族、こういうふうになっております。
少子化への対応の中で、先ほど松岡先生から移民という話もありましたが、経済的な面で活力を今ある国境、国家の中で維持するためにどうするかという問題もあるかもしれませんが、そうではなくて、やはり日本とは何か、大和民族とは何か、日本国家とは何かという、あるいは組織としての最小単位を、私は男性一人、女性一人の二人のペアが組織の最小単位だと思いますから、それが発展するということは何なのかという基本的な議論を私はする
しかしながら、これらの明治維新、五・一五、二・二六、終戦、いずれも単一民族である重臣、閣僚を初めとする多くの大和民族の血を流したものでありました。 それにしては、今回の大改革は、ひ弱なエリート集団である官僚側の抵抗は思ったほど強くなく、これほどの大改革が小渕総理のもとで無血で達成されようとしております。
まず、日本の社会の慣行のよさといいますのは、私は、恐らく日本民族、大和民族の一つのよさがあると思っております。これは外国に旅行しても思いますけれども、非常に安全であるということ、そしてそれぞれの方々が非常に正直でいらっしゃるということ、そういうことがいろいろな制度でも性善説に立った上で動いてきたわけですし、ある意味では、統制のとれた民族であるとも思っております。
それから女真族とか蒙古族とか朝鮮族とか、大和民族も含めて五族だと、こういうことであります。建設省の場合は一番多い民族は法律行政である、そのほか土木だ建設だ、一番小さい民族は園芸という、何かちょっと建設省にふさわしくないものがあるんですが、この園芸というのは都市公園をやるんだと。
そのことをこうやってべらべらしゃべっているとあれなので、まず私は、後で申し上げますけれども、その文明の違いとか民族の違い、アングロサクソン対いわゆる大和民族の違いというようなことも、まあそれは全くないわけではないのでしょうけれども、やはりこの十数年における日本国の、言ってみれば大蔵当局というか、大蔵省の皆さんの、今言われているところの金融ビッグバンに関するテーマについて、やはり後手後手に回ったというか
そこで私は、そのことを皆さん方にできるだけ深く理解をしてもらうために申し上げたいと思いますが、これは本年の二月十五日、名古屋地方裁判所におきましてのある事件についての起訴状に基づく検察官の意見なんでありますが、アイヌ人と、国籍からいうならばこれは日本国民ですけれども、民族からいえば大和民族というか、アイヌの側からは和人と言っていますが、アイヌ人と和人との間のいさかいで、つまり、殴りどころが悪かったのでしょうか
幾ら小さくても、幾らわずか二万、三万と言われるような人たちであっても、アイヌ民族というのは別個の言語があり、別個の文化があり、別の宗教があって、大和民族とは違う民族として存在しているのじゃありませんか。それを日本はほぼ単一民族です、これはもう本当に取るに足らぬからみんな目をふさいでいいのです、そういう表現ではいけない。
教科書等の扱いにおきまして単一族とか複合民族とかいろいろ言葉があるわけでございますが、我が国におきましては大和民族、アイヌ民族いろいろございます。しかしこれは言葉の定義といたしまして単族国という言葉がございますが、純粋な意味での同一の民族で構成された国はまずまれでございまして、ごく少数の民族が含まれている場合は俗に単族国と言われる場合がある。
モンゴロイドの中でも大和民族があったり、漢民族があったり、あるいはアメリカインディアンもまたモンゴロイドでございます。
そのことは逆に言うと、民族というものを何をもってA、B、Cの民族に振り分けていくのか、定義といいますか、基準といいますか、標準といいますか、そういうものがこれまで説明されてはいなかったんではないかというふうに思うんですが、先生の立場から見て、民族の違いというものは、どういうものを尺度にしてアジア民族であるとか、大和民族であるとかいうふうに言うのかということについてお伺いをしたい。