1978-02-22 第84回国会 参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 第5号
ところが、このあさひ坑、新大切坑というこういう坑口では、この大切坑というのは五十一年十一月にやったときには二四PPmというものが出ているのですね——ちょっとこの図が変ですが。排水口で。坑口排水ですね、坑口排水の方がはるかに高いわけですね、普通でしたら。ところが、合流地点で〇・〇五五というふうになっているという、そういうところに問題があると思いませんか。
ところが、このあさひ坑、新大切坑というこういう坑口では、この大切坑というのは五十一年十一月にやったときには二四PPmというものが出ているのですね——ちょっとこの図が変ですが。排水口で。坑口排水ですね、坑口排水の方がはるかに高いわけですね、普通でしたら。ところが、合流地点で〇・〇五五というふうになっているという、そういうところに問題があると思いませんか。
それから昔からございます、ただいま御指摘の豊臣時代からの鉱山でございまして、鉱区内の坑口に大切坑というのが一つございますが、ここの水をとって調べておるわけであります。堆積場につきましては客土工事をやらしておるという鉱山監督部からの報告でございますが、なお御指摘のような状況につきましては、担当の蓼沼鉱山課長が具体的に承知しておりますので、かわって答弁させていただきたいと思います。
ただ現在、大切坑と申しますのが一カ所ございまして、ここからは、先生おっしゃった、一日二十トンという水量が出てございます。坑口密閉と並行いたしまして、堆積場につきましては現在客土の工事を行なっております。
それから次に、通産省のほうにお尋ねしますけれども、昭和四十六年五月十三日に、大切坑とそれから萱野坑という、戦前の二つについてかまの取りこわしを指示されております。このときにもう一つ残っておった大切坑の戦後の精錬施設を取りこわしを指示しなかったのはどういう意味なのですか。
○久良知政府委員 昨年の五月に、大切坑、萱野坑にありました戦前の亜砒酸の焼き取りがまにつきましては、これの処分をいたしました。七月に終わったわけでございます。そのときに同じ大切坑にありました戦後の焼きがまの処理をしなかったのはどういうわけかというお尋ねでございます。