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124件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2016-12-09 第192回国会 参議院 厚生労働委員会 第11号

昔、昭和二十五年の社会保障制度審議会の勧告がバイブルのように学者の間ではなっているんですが、大内兵衛先生冒頭で、時代はそれぞれ問題を持つけれども、同時に解決策があるんだということを言っておられるんです。ですから、今の制度の枠組みの中で解決策を探るとすれば、まさにオプション試算で示したような方向でございます。  

山崎泰彦

2016-02-29 第190回国会 衆議院 財務金融委員会 第9号

当時の財政問題について東京大学大内兵衛先生は、日本人はできないんだというふうに言われているんですね。要するに、占領下にあって、占領軍の権威というか、そういうもとで初めて成功した、日本政府自身はそういう気持ちもないし能力もない、そういうふうに慨嘆されております。  その後の日本財政改革について、一つとして成功しておりません。これは日本人としては非常に残念に思います。

安藤実

2007-05-15 第166回国会 参議院 総務委員会 第15号

に取り込むということですから、大変大規模な改革だというふうに思うわけでございますけれども、内閣府の経済社会統計整備推進委員会というところが平成十七年の六月十日に政府統計構造改革に向けてという報告書を出しておられますが、私、いただいた参考資料の中にそれが入っておりましたので読ませていただきましたところ、その冒頭のところに、昭和二十四年に吉田茂内閣総理大臣の命を受けて統計委員会初代委員長に就いた大内兵衛

長谷川憲正

2007-05-15 第166回国会 参議院 総務委員会 第15号

これは今亡き大内兵衛先生が指摘されたことでありますけれども、この日本には、各大学ありますけれども、統計学部おろか統計学科すらないのではないかということで、統計教員も圧倒的に不足しているのが現状であります。  こうした事態を打開するために、基本計画の策定に当たってはこのようなことについても盛り込んでいただくべきではないかというふうに思いますけれども、いかがでしょうか。

那谷屋正義

2007-05-15 第166回国会 参議院 総務委員会 第15号

そういうような反省から、吉田内閣のときに初代統計委員会委員長に就任されました東京大学名誉教授法政大学学長もされました大内兵衛先生が、統計整備日本再建基礎事業中の基礎事業であるという信念の下に我が国の統計の立て直しに尽力をされたわけでございます。  昭和二十二年に制定以降六十年の時間が経過し、今回が六十年ぶりの改正であるわけでございます。

二之湯智

2000-04-06 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第6号

進藤参考人 今、年表を手にしていないのですけれども、例えば、十月の九日かな、ハーバート・ノーマン、それからジョン・K・エマーソンが、例えば信夫清三郎に会ったとか、鈴木安蔵に会ったとか、大内兵衛に会ったとか、あるいは岩淵辰雄に会ったとか、そういった記録が出てくるのですね。  彼らは、私の文章の中に引用もされておりますけれども、日本を変えることは難しいと言うのです、とても難しいと。

進藤榮一

1999-05-13 第145回国会 参議院 文教・科学委員会 第9号

それから、大学自治ということについても、これはもう文部大臣はよくよく御存じ方たちばかりだと思いますが、田中耕太郎末川博我妻栄大内兵衛、宮沢俊義、こういう各先生方大学自治についてという座談会の中で我妻先生が述べられていることですけれども、学長はその大学について、学部長はその学部の運営について、評議会なり教授会なりの決定した大方針にのっとって運営しなければならない、また、学長学部長評議会

林紀子

1998-03-11 第142回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第3号

これも前の御発言と全く同じで、ちょっとこれを見ていただきたいんですけれども、昭和三十七年の大内兵衛さんの社会保障制度審議会池田勇人総理大臣に答申を出しておりまして、「わが国の住宅難は国民全体の問題で」「国の政策が不十分」だと、いろいろ書いてあるわけです。それで、後ろの方の一行目に、「これでは社会保障にはならない。

早川和男

1990-05-30 第118回国会 衆議院 法務委員会 第6号

東大教授大内兵衛先生が、東大安田講堂を糞土と化した特殊部落としてはならないという論文雑誌世界」に書いたことがある。そのときに、大内先生はどういう自己批判をしたかといったら、私は長らく日本学界において社会科学と取り組んできたが、こんな恥ずかしいことはないと自己批判されたのです。それで、雑誌世界」は手の届く範囲内のその雑誌を回収されたわけです。

小森龍邦

1986-03-20 第104回国会 参議院 文教委員会 第2号

そこへ大内兵衛という、我々が大学でもちょっと習った先生が総長として来られまして、その大内さんが私どもにまず言われたのは、大学自身いろんな問題があるときでありまして、一橋の学長をした、参議院にもいた人が、法政大学を見ていると日本大学で何が起こるかわかると言われたぐらいいろんな問題が起こったんですが、そういう中で大内先生が言われたのは、つまり、教授というものは一たび自分が発言したこと、それに対して責任

中村哲

1983-04-18 第98回国会 参議院 決算委員会 第7号

この日米相互防衛援助協定が第十九回国会に承認案件として当時の外務委員会に付託をされましてそして議論をされたのでございますが、そのときの会議録を読んでみますと、当時参考人として出席されました、いまはもうお亡くなりになりましたけれども、東大教授大内兵衛さんが公述人としてこういうふうにおっしゃっています。いまの日米相互防衛援助協定につきましての参考人であります。

峯山昭範

1981-03-31 第94回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

たとえば大内兵衛さんなどの例を見ましても、この方は治安維持法等の容疑で逮捕されて休職扱いにされた。ところが後でまた復職されるわけですけれども、休職期間の半分しか在職年としては計算されていません。そういう点では、あの戦争推進側戦争に反対した側とでは、恩給の扱いが公務員であっても非常に対照的である。矛盾している。つじつまが合わない。これは実際問題としてあるわけであります。

榊利夫

1981-03-19 第94回国会 衆議院 地方行政委員会 第6号

現在の財政状況が国も地方もきわめて厳しい現状にありますことは、いまさら申し上げるまでもないところでありますが、かつて、戦前のことですが、大内兵衛教授雑誌「改造」に「公債九十億、その経済的意義」という表題で論文を書かれたことがあります。そして、このままで行ったら日本は恐るべきインフレになるという警告をされたことがあるわけであります。  

部谷孝之

1980-04-09 第91回国会 衆議院 大蔵委員会 第22号

もう何年であったか忘れましたけれども、かつて大内兵衛教授中央公論だったと思いますが、公債百億という論文を書かれて、このままでいったら日本は恐るべきインフレになるという心配を投げかけられたことがあります。ところが、よく考えてみると、物価の上昇がありますけれども、今度は公債百兆円なんですね。言うまでもありませんけれども、中央が年度末に七十一兆円を超す、地方も二十八兆九千億円になる。

竹本孫一

1975-03-04 第75回国会 衆議院 大蔵委員会 第13号

東京都知事選挙が非常に激しく戦われていた時期でもあったわけですが、この桶谷先生の講義の中で、東京都知事選挙美濃部氏が圧倒的な勝利を占めた、このことは、ちょうど戦前昭和八年のドイツでヒトラーが選挙で圧倒的な勝利を得た、それと同じものだというような言い方をされて、自分美濃部はきらいだ、秦野章が好きだというふうなことを言われてみたり、さらには、その美濃部ということに関係して、何か美濃部という人には大内兵衛

高沢寅男

1974-03-22 第72回国会 衆議院 本会議 第19号

鈴木茂三郎加藤勘十、大内兵衛、美濃部亮吉、これらの人たち、いわゆる人民戦線事件がそれであります。四年間の獄中生活が終わっても、終戦までは、思想犯保護観察法によって政治活動を禁止され、一切の自由を奪われてまいりました。  終戦を迎え、昭和二十年、日本社会党の結党に参加、同二十一年、衆議院議員に当選いたしました。  

赤松勇

1974-03-09 第72回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第5号

よく御存じなのは、大内兵衛先生が「世界」へ、何でしたかね、学生騒動のころに、東大特殊部落であるというような意味のことを書かれて、これも、大内先生さえこうだというので、その雑誌もできるだけ回収するし、そのあと続いて謝罪文を載せられるし、その問題を取り上げて、何回か論文をお出しになりました。これは非常に重大な問題なんです、新聞にこう出るとかテレビに出るとかいうのは。

湯山勇

1973-12-17 第72回国会 衆議院 本会議 第6号

昭和六年、大学卒業にあたり、恩師大内兵衛先生は、財政学に示されたる君の学才を惜しんで、学界に入ることをすすめましたが、君は行政官として財政に取り組もうと、あえて大蔵省に入られました。入省してまもなく、イギリス、フランス駐在を命ぜられた君は、外国の経済事情をつぶさに調査研究し、またロンドン国際経済会議全権委員付として出席する等、大いに国際的視野を広められたのであります。  

佐々木更三

1973-06-22 第71回国会 衆議院 地方行政委員会 第34号

どういう人たちかというと、第一が大内兵衛、東大名誉教授市川房枝、これは昭和四十二年当ですから、参院議員柳田謙十郎哲学者海野晋吉、なくなったですが、弁護士。佐々木更三、当時の社会党委員長佐藤芳夫中立労連議長中野好夫中大教授文芸評論家野上弥生子作家東山千栄子、俳優座。平塚雷鳥婦団連名誉会長堀井利勝総評議長松本清張作家野坂参三。というような名前が書いてあります。

林百郎