2021-05-13 第204回国会 参議院 内閣委員会 第18号
これ概要図、世界の地図が書いてあるんですが、未収容が一番多いのはフィリピンで約三十七万柱ということで、私の大伯父もフィリピンのルソンで戦死をして、いまだ遺骨は戻ってきておりません。先日、厚労省で記録を取り寄せたところ、ルソン島のインファンタというところで戦死という記録がありました。つまり、インファンタのどこかに伯父の遺骨があるということになります。
これ概要図、世界の地図が書いてあるんですが、未収容が一番多いのはフィリピンで約三十七万柱ということで、私の大伯父もフィリピンのルソンで戦死をして、いまだ遺骨は戻ってきておりません。先日、厚労省で記録を取り寄せたところ、ルソン島のインファンタというところで戦死という記録がありました。つまり、インファンタのどこかに伯父の遺骨があるということになります。
今思えば、先生が最初に選んだ職が教師であったことと、大伯父様である秋山好古陸軍大将が晩年、郷里松山の北予中学校の校長先生を務められたこととは単なる偶然ではない因縁を感じます。 こうして教育の専門家として御活躍されていた先生に大きな転機が訪れます。民社党の曽祢益衆議院議員が大石先生の資質を見抜き、政治の世界へ挑戦することを勧められたのです。
私はその後調べてみましたら、七通の遺書のうち学校あてと六年生の皆さんへというのとが二通、それからお母さんと大伯父さんあてが一通ずつで二通、そして友達あてが三通、計七通であります。
○中川義雄君 そのとき、少なくとも間違いなく保護者の、その今盛んに言っている大伯父さんの前で読み上げられたわけですから、その内容を知ったはずです。知った上で、校長はどのような見解を持っているんですか。
昨年九月二十三日、保護者というのは、これから保護者と言いますが、これは大伯父さんのことであります。母親はもうその後ほとんど世間に顔を出さなくなってきております、ショックで。九月二十三日、学校へ行ったら、校長先生が、当時仲間の児童が作った、仲間の児童とPTAが作った折りづるをその伯父さんに、大伯父さんに渡したそうです。そうしたら、大伯父さん怒って、こんなものは要らないと。