2021-02-19 第204回国会 衆議院 総務委員会 第6号
私もちょっと、自分も反省したんですけれども、ふだん私も地元に帰ると消防団、いろいろ行きます、操法大会の練習なんかも激励に行ったり、夜警ももちろん行きますし。
私もちょっと、自分も反省したんですけれども、ふだん私も地元に帰ると消防団、いろいろ行きます、操法大会の練習なんかも激励に行ったり、夜警ももちろん行きますし。
例えば、小さいことではありますけれども、消防団が行う夜警のパトロールのライトの電池など、また、自家用車を使用してパトロールしているについても、団員がそれぞれ持ち出しをしているということを伺っているところでございます。 日本全国それぞれの地域によって、必要なさまざまな防災対策、要望が多々あることだと想像をいたします。
○森本真治君 年末夜警ということで各議員の皆さんもそれぞれ激励に回られるというふうに思うんですけれども、私も今回はかなり回らせていただいて、詰所にしても、自治体によって、もう立派な詰所があるところと本当に寒い倉庫の中で、たき火をしながら詰められているようなので、格差がすごくあったことを日頃から感じているんですけれども、やっぱりそういうところも含めてしっかりと環境を整えてあげることは、もうずっと立ちっ
年末になると、多分皆さんもそうだと思いますけれども、私も、年末の特別警戒、夜警のときに詰所を回るんですけれども、やはり女性の団員がいると雰囲気は明るいですよね。女性団員さんがいる詰所には、やはりほかの団員も出席率がよくなるというような話も聞いております。
それでも、ここ数年、年末の夜警に激励に回ったりすると耳にするのは、やはり消防団員の確保が難しくなってきているという話であります。 そういう中で、私の地元の碧南市におきまして、来年度から入団促進のための優遇措置を大幅に拡充するということを決めました。まず、団員に市営の遊園地や水族館で使える入園券、遊具券を配付する。また、学生団員には就職活動に使えるように活動認証状を発行します。
今後の方向性を考えたときに、石破大臣からは、きのう、国家というものは夜警国家であればいいというぐらいの役割をやっていくべきだろうというお話をなさっていて、その後に、道州制にするかどうかというのは全国町村会が反対しているわけで、こちらも今ロジカルに話がかみ合ってないという問題があるんだということをおっしゃっていました。
○高市国務大臣 やはり年末の夜警活動なども、三日間連続でほとんど徹夜の状況でやっていただいておりますし、ふだんの訓練も、お仕事をお持ちの方が多いので、夜間などで、大変御家族の御理解が必要だと思っております。
○国務大臣(下村博文君) おっしゃるとおりでありまして、特にこれから二十一世紀、国が果たすべき役割は、それまでは、十九世紀まではどちらかというと夜警国家的な安心、安全、治安というのが国の果たす役割であったと思います。
また、ことしの出初めのときに、地元の消防団長表彰というのがあったのは、夜警をしているときに地域の人に声をかけたりして、それに感動した市民がぜひ何か表彰してくださいということで、仕組みがなかったので、消防団長が英断を下して、消防団長表彰ということをやったんですね。防災とか防火という活動以外でも役割を果たしているところであります。
いわゆる昔の夜警国家論ですね。 そして、小さな政府、これを支持する方たちは必ず、なぜ小さな政府がいいんですかというと、民間は効率的で政府は非効率なんだよという話をよくなさいます。しかし、これも誤解に満ちています。民と官は活動範囲が異なるのです。民は収益の上がる分野で活動し、官は収益が上がらないが国家国民のためになる分野で活動しているのです。
一方で、完全に政府機構を別々にしていくというような、最後に国家は、夜警国家というんでしょうか、それこそ自衛隊の問題であったりとか通貨発行とか、そういう最低限のことだけを国家がやり、あとは全て州政府が持つというようなやり方もあろうかと思います。
○佐々参考人 その御質問にぴったりの答えは、フェルディナント・ラッサールというドイツの政治学者がおりまして、これが夜警国家論という論文を発表して一躍問題になるわけです。 それは、ビスマルクの時代に出てきた社会主義者なんですけれども、国が果たすべき任務は治安、防衛、外交、危機管理だ。
かつての消極国家観、夜警国家観のころに比べて、今福祉国家に移転をして国家の政策領域が拡大したというのはそのとおりでありますけれども、しかしその分、行政権が肥大していると、濫用された場合にはもたらす害悪も多いと。そうであると、私は、衆参のねじれをただただ国政の麻痺だというふうに片付けてしまうのはいかがかなと、そんなふうに考えております。 以上について御意見を承れば幸いでございます。 以上です。
先ほど大西議員からも話がありました、昭和二十八年のころの災害を私もお話を聞きながら思い起こすわけですが、これでは、本当に町も壊滅的な状態になり、そして戸締まりができないものですから、男の人は皆夜警に出て、そしてまた、そのそばを牛や馬が流れてくるというふうな、そんな悲惨な状態を、私は中学生でしたが、経験しております。
とあるんですが、英語では「ウイル ビー ビジラント アゲンスト」となっていまして、これは要するに、夜警が危険なことが起こらないように注意して見守る、そういう意味ですよね。そして、しかも受動形で書いてある、ウイル・ビー。この書き方だと、介入なんかできないんじゃないですか。
夜警国家論からいったら、これ以上言わなくても分かると思いますけれども、全部違ってくるんですよ。そのことに今取っかかろうということがいわゆる地域主権の話。そこまで考えているとはとても思えないというのが私の今の内閣に対する不信の根本にあるということを御理解願いたいと思うわけであります。 そして、そこのところでどういうふうに片山大臣が説明していくのか。
今の財政の議論というのは、どっちかというと夜警国家の時代の単純な健全財政の議論であって、そうじゃなくて、今はもうこんな複雑なわけですから、貨幣あるいは国債が果たしている役割というのは絶対あるはずなので、そこを積極的に位置付けて、本当に七百、八百でいいのか、あるいは千とか千二百が適正規模かもしれませんね、これだけのでっかい経済なわけですから。
ところで、全国各地に消防団がございまして、年末の夜警とかで、機庫を回って激励に歩く。そうすると、時々伺う話として、機庫にテレビがあるわけです。
というのはなぜかといいますと、我々が習った小さな政府論というのは夜警国家、国は外交と防衛と警察しかやらない、そういうのは教科書的な小さな政府。だけれども現実は、政府がかかわっている社会福祉政策というのは、これは小さく縮めることもできないほど大きくなっている。ですから、政府と個人とのかかわり合いでは、もう小さな政府というのは現実にはあり得ない。
年末も、私、地域の消防団の夜警の激励に参りまして、全部で二日間に分けて七、八十カ所回らせていただきましたけれども、皆さん、年末の大変な時期に集まって、地域の皆さんとともに夜警をしてくださっている。本当にボランティア精神にあふれて、本当に自己犠牲の上にこの私たちの安全性が守られているんだなということを私もひしひしと感じたわけであります。
四月ごろからポンプ車操法や査閲の早朝訓練や週末訓練やったり、秋には市の防災訓練の補助をしたり、冬は徹夜で、いわゆる夜警といいまして、火災の一位の原因がこれ放火ですから、そういった意味でも啓蒙活動や監視をする、巡視をするという活動もやっておりますし、通常、町々にある消火栓や水利、これを点検したり、小学校や幼稚園での啓蒙活動や、これ町の花火大会なんかありますと、消防団員は花火の大会に見学することはできませんで