1976-05-12 第77回国会 衆議院 法務委員会 第9号
私どもの記録と照合いたしますと、現在の中野刑務所、当時豊多摩刑務所と言われていたのが東京拘置所ではないかと思いますが、そこに収容中、昭和二十年の九月二十六日、腎臓炎のために死亡したということでございます。
私どもの記録と照合いたしますと、現在の中野刑務所、当時豊多摩刑務所と言われていたのが東京拘置所ではないかと思いますが、そこに収容中、昭和二十年の九月二十六日、腎臓炎のために死亡したということでございます。
法務省としても、西武鉄道がすでに取得済みの土地でございましたので、当然そこに建てられるものだと思って契約を締結したところ、御指摘のとおり地域住民の反対がございましたために、約束の工期であるところの四十三年十二月三十一日までには多摩刑務所が建設できなかったわけでございます。 この事実は、この契約の約束をセンターが履行しておりません。事実でございます。
ところが、四十二年の二月の時点では、青梅に小菅刑務所にかわるべき、その当時仮称多摩刑務所と呼んでおったようでございますが、多摩刑務所を四十三年の十二月三十一日までに完成するという約束でございましたが、これが諸般の事情で実施が困難になりました。その後センターの方から、仮称多摩刑務所は栃木県の黒羽地区に移したい、そのための契約更改をお願いしたいという申し入れがございました。
いま御説明をいただいております中で、小菅刑務所を拘置所に改めることによって代替施設が必要となった、仮称多摩刑務所、これは青梅でございますが、ここに設置を予定したのですが、これができくなった。それで栃木県の黒羽の方へ行ってしまった。契約書を見ますと第四条には、ここに多摩刑務所(仮称)をつくるんだということでもって契約が交わされたわけですね。
○水原説明員 東京拘置所の移転につきましては、第五十一回国会におきまして議決されました昭和四十一年度国庫債務負担行為に基づきまして、国有財産の売り払い及び購入契約を締結いたしまして、それを実施してきたところでございますけれども、その契約には多摩刑務所を設置するというのが一項目がございました。
それから、それだけ延びた理由につきましては、東京拘置所が移転を予定をいたしておりました小菅刑務所、その小菅刑務所の移転先でございました青梅の多摩刑務所——仮称で言いますならば多摩刑務所、この多摩刑務所の設置がたいへんおくれまして、ついにそこの設置ができずに黒羽のほうに移ったといういきさつもございまして、そういうわけで土地利用そのものの開始時期がたいへんおくれました。これが第一原因でございます。
それに基づいて契約を締結したわけでございますが、その後地元民の誘致反対がございまして、多摩刑務所から今度は黒羽のほうに移ることになりましたので、その関係における契約変更がございました。
はしょったような言い方になりますので、御理解をそこなうおそれがあることを危惧しておりま.が、先ほど申しますよう に、東京拘置所の建物、土地と、それから六つの行刑施設とのいわば売り払い、取得、現実的な評価で言いますと交換のような契約を結んだわけでございますが、これを結びますにつきましては、東京拘置所の建物、土地を六つの部分に切りまして、そのAの部分からBの部分、Cの部分、かりに名前をつけますと、Aの部分と多摩刑務所
○政府委員(伊藤榮樹君) ただいま申し上げましたように、四十二年二月二十七日付の契約書をもちまして、東京拘置所の建物並びにその敷地の大部分を渡し財産として、また、当時は東京都下青梅市に建設を予定されておりました仮称多摩刑務所及び現在の小菅刑務所のあります地点に建設を予定いたしました新東京拘置所ほか四つの施設、合計六つの行刑施設を取得する契約をしたわけでございます。
しかしながら、その後多摩刑務所につきましては、地元の反対で刑務所の建設が事実上不可能と相なりました。相なってみますと、契約のその部分は履行ができないことが明らかでございますので、変更いたさなければなりません。その部分の契約を変更するにつきましては、やはり金額が張りますので、国会に対しまして国庫債務負担行為をいたしますことの承認を求めなければなりません。
お届け申し上げました契約内容にございますように、この交換契約は昭和四十一年に国庫債務負担行為をお願いをいたしまして御承認をいただきましたとき現在では、東京拘置所のあと地を売り払いまして、それと交換に合計六つの矯正施設を取得するということになっておりまして、その六つの中の一つに仮称多摩刑務所というのが入っておりました。
ただ、この評価がえの問題をめぐって、先ほど大臣にかわる会計課長の御答弁に、多摩刑務所を黒羽刑務所に変更しなければならない情勢となったと、それが一つの評価に影響を及ぼしたと、かような御発言がありました。しかりとするならば、東京拘置所の売却代金も四十六億七千万円余から五十三億六千万余に評価変更になっておるようでありますが、その理由は何でありますか。
その結果、川越とか、岡山とか、旭川等には着々新しい刑務所ができておるわけでございますが、いまこの小菅刑務所の移転先でございますが、予定いたしました多摩刑務所の建設地につきましては、地元のほうで強い反対運動が起こりまして、反対を押し切ってやる性質のものでもなかったわけで、鋭意地元とも折衝いたしまして問題解決に努力を続けたのでありまするが、昨年八月ごろに至りまして、別途、栃木県の那須郡の黒羽町に、多摩よりもより
以上が法務省所管歳出予算予定経費要求の大要でありますが、このほか、昭和四十一年度一般会計における東京拘置所等施設取得のための国庫債務負担行為のうち、多摩刑務所(仮称)の取得にかかるものについて、同施設にかえて下野刑務所(仮称)施設を取得するための二十二億八千五百八十六万二千円の国庫債務負担行為、並びに松山刑務所その他の施設を処分して新たに松山刑務所、佐世保刑務所及び長崎拘置支所(仮称)の各施設を取得
そして現在の小菅刑務所を仮称多摩刑務所に移すわけでございます。この二つが主力でございますが、そのほかの、なお巣鴨の財源に余裕がございますので、旭川刑務所、岡山刑務所、それから川越少年刑務所、浦和拘置支所、これにつきましては、全部巣鴨の財源という意味でなしに、関係市の部分もございますが、その一部をこの交換によって取得したいということになっておるわけでございます。
そこで矯正局長にお伺いいたしますが、東京拘置所、現在の巣鴨プリズンと、建築交換方式によるものは、私の知る範囲では、小菅刑務所を改造して東京拘置所、岡山刑務所、旭川刑務所の移転、川越少年刑務所並びに浦和拘置所、これは仮称ですが、それに仮称の多摩刑務所であると聞いておりますが、金額的にどのような交換方式になるのか、簡単に教えていただきたいと思います。
○辻政府委員 新しく予定いたしております仮称多摩刑務所の敷地の状況でございますが、この面積は合計で二十二万五百三十二平米でございますが、このところにつきましては、現在この土地は新都市開発センターが所有いたしておるわけでございますが、これはこの刑務所の移転の計画に伴いまして、元西武鉄道株式会社が持っていた土地でございますが、それを譲り受けたいという形になっております。
○鈴切委員 今回の友田地区の新多摩刑務所の建設については、法務省自体が非常に見通しが甘かったんじゃないか。いまあなたのおっしゃったとおり、初めはそうであったけれども現在は非常に地元の反対が強くて、それが実際に進んでいないという観点から見たときに、法務省の観点が甘かったんじゃないかと私は思うのですが、その点いかがですか。
それから巣鴨刑務所が等価交換方式ということによって、そして青梅市の友田地区に新しい、仮称でございますが、多摩刑務所というものをつくるという予定がある。そのことについてすでに資金計画ができちゃっているというんですね。それはあとからお伺いしますが、時間の関係上、一番最初に戻りまして、国有財産局長にお伺いしますが、私はその後調べてみたのです。
○大森創造君 それは私のほうと相当している金額ですから、それはよろしいんですが、それでは新都市開発センターから友田地区に、いわゆる多摩刑務所をつくったりいろいろいたしまして、その新都市開発センターなるものから国が買い入れる購入物件の価格は、私のほうで申し上げますが、四十五億二千八百六十二万七千円で相当しておりますか。
国有財産の中央審議会の答申に基づいて慎重な土地評価、いわゆる巣鴨のプリズンのあと地の評価、それから仮称でございますが、多摩刑務所の土地の評価の問題については相当慎重に事を運んだというふうに理解しますけれども、しかしその後、前回の委員会で問題になりましたことについて、私のほうで実地に調査しました結果、こういうことが一つあります。
そうして今度はその見返りとして青梅の友田地区に建設すべき刑務所と、岡山、浦和、旭川と、その施設を新都市開発センターがつくってやる、さらに東京拘置所を小菅の刑務所に移しますから、小菅の刑務所を青梅のいわゆる多摩刑務所のほうに移すということになると、その修築もしなければならぬ、そういういわゆる等価交換方式をやるということに私は非常にもやもやしたものを感じます。
いわゆる等価交換方式というもので巣鴨の刑務所を移転するというお考えのようでございますけれども、新都市開発センターという民間の会社を通じて、そして巣鴨の拘置所を売却すると、新都市開発センターなるものに売却をする、そのかわり見返りとして、いわゆる青梅の友田地区の場所を、仮称多摩刑務所としてそういう施設をつくって、新都市開発センターがさらに旭川だとか、岡山だとか、浦和だとかという刑務所を新設もしくは修理をして
○大森創造君 それではそいつはしばらくおいて、次に青梅市の友田地区に移りますけれども、これも大蔵省からちょうだいした資料によりますと、「多摩刑務所(仮称)敷地評価内容」として、所在が東京都青梅市大字上長渕字友田、地目が宅地ということになっておりますけれども、現状は宅地はざいませんが、これは農地だとか山林とかというものを宅地扱いにして、見込みの評価なんでございますか。
その後、小菅刑務所、中野刑務所が加えられ、また、豊多摩刑務所は浦和刑務所と名称変更されました。いまの中野刑務所は、これは豊多摩刑務所とかつて戦時中申しておりました。終戦直後にこれを浦和に移転した形で、浦和の施設を使ってそれが豊多摩刑務所ということになったわけでございます。
○勝澤委員 このあと地の評価がきまっていないようでありますけれども、多摩刑務所の新設なり小菅刑務所の改修に要する費用というものは、国庫債務限度額で三十一億八千万円認められているようでありますが、これは評価との関係はどういうことになるのですか。
以上が法務省所管歳出予算予定経費要求の大要でありますが、このほか、東京拘置所、その他の施設を処分することによりまして、新たに東京拘置所、多摩刑務所、これは仮称でございます。川越少年刑務所、これは浦和拘置支所を含んでおります。これも仮称であります。岡山刑務所、旭川刑務所の各施設取得にかかりまする総額五十七億三千五十九万九千円の国庫債務負担行為を要求いたしておるのでございます。
なお、このほか、昭和三十三年二月二十一日の閣議了解に基づく東京拘置所、その他の施設を処分することにより、新たに東京拘置所、多摩刑務所(仮称)、川越少年刑務所(浦和拘置支所(仮称)を含む)、岡山刑務所、旭川刑務所の各施設を取秘するため総額五十七億三千五十九万九千円の国庫債務負担行為を要求しており、これにより刑務所移転対策の促進をはかる所存であります。
なお、このほか、昭和三十三年二月二十一日の閣議了解に基づく東京拘置所その他の施設を処分することにより、新たに東京拘置所、多摩刑務所(仮称)、川越少年刑務所(浦和拘置所支所(仮称)を含む)、「岡山刑務所、旭川刑務所の各施設を取得するため総額五十七億三千五十九万九千円の国庫債務負担行為を要求しており、これにより刑務所移転対策の促進をはかる所存であります。
私は、実は先般私が豊多摩刑務所におった時代に、私を長い間担当していただいた方が——これはいまだから申しますが、私に対して非常にあたたかい処遇をしていただいたわけなんです。別に法を犯してまでではございませんが、何か私が間違いを起こしても怒ることなく、常にあたたかい注意をしてもらった方がある。
まず、法務省設置法の一部を改正する法律案の要旨を申し上げますと、その第一点は、刑務所の新設の点でありまして、東京都中野区にあった豊多摩刑務所の施設が米軍の軍刑務所として使用されてきたのでありますが、昨年九月二十五日、右の使用が解除されて日本政府に返還されましたので、今回この施設に所要の整備を加え、同所に中野刑務所という名称の刑務所を新設しようとするものであります。
第二点は、現在浦和市に所在する豊多摩刑務所を浦和刑務所と改称することであります。 本案は、三月二十二日本委員会に付託され、政府の説明を聞き、五月十一日質疑を終了し、討論もなく、直ちに採決いたしましたところ、全会一致をもって原案の通り可決いたしました。 以上、御報告申し上げます。(拍手)