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35件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1983-03-24 第98回国会 衆議院 内閣委員会 第4号

これはライシャワーさんでしたか、日本政府国会答弁核兵器積載艦の通過も許さないということについては米国の了解と違うということを、亡くなられた大平さんが外相時代に申し入れたという発言も実はあったわけです。これについては口頭了解があった。アメリカ政府にはメモもあるはずだ。これも国会でも議論されましたが、アメリカ側のかつての高官もこういうことを実際言っているのです。公言しているのです。

上原康助

1982-04-01 第96回国会 参議院 外務委員会 第3号

ですから、六十億ドルを向こうが請求する根拠は、一つ安全保障上の理由、つまり日本の安全は韓国防衛努力によって保たれているというようなそういうような主張、これに関しましてはこの前の園田外相時代に、この援助に関してはそういう安全保障防衛の問題とは絡めないということを日本主張いたしまして、それに対して韓国はいろんなことを、非常に感情的なことも言ったようですけれども、この問題はどうなっているのですか、

宇都宮徳馬

1975-05-06 第75回国会 衆議院 本会議 第19号

そして、日米安保条約アメリカ側から廃棄されないようにこいねがったり、これと引きかえに、木村外相時代一度は死んだ一九六九年佐藤ニクソン共同声明でうたいました「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要」の文句を生き返らせ、条約論としては、有事の際の核持ち込みにイエスはあり得るなどと強調し、非核三原則国会決議を無視し、実体的には、朝鮮半島における戦争に三木内閣は片足突っ込んだのではないかと、国民に大

永末英一

1969-05-08 第61回国会 参議院 外務委員会 第10号

○羽生三七君 外相のただいまの御意見で大体わかりましたが、かりにもそんな心配はないだろうとのお話でありましたが、かりにもしそういう軍事同盟的色彩が強くなってきた場合はどうかという、三木外相時代それから椎名外相時代における私の質問——委員会での他の委員もそうでしたが——に対して両大臣は、そのような動きは断じて拒否する、もし日本主張がいれられなけれ、ば脱退してもかまわぬ。

羽生三七

1968-03-12 第58回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

竹本分科員 私は、大臣の御説明もよくわかりますが、しかし、せっかく三木さんがそれだけの構想を持っておられるのだから、三木外相時代に、この太平洋経済圏の問題について、これだけは一歩前進したという何かがほしい。これは三木さんの点数かせぎだけで言うのではなくて、やはり日本の立場からも、あるいはアジアの将来からも、何か一歩前進させたいと思うのです。

竹本孫一

1965-02-25 第48回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第4号

○野原(覺)分科員 現在はこの方法で折衝したいということであれば、つまり、私が言った、従来小坂外務大臣それから大平外相時代池田内閣政府基本原則、少なくとも応訴を取りつけることだ、これに尽きるのだ、こう理解していいわけですか。いやこれに尽きないほかの方法もあるのだ、どうもあなたの答弁ははっきりしないね。いかがですか、これははっきりさせましょう。

野原覺

1958-02-06 第28回国会 衆議院 予算委員会 第1号

昨年、岸外相時代あなたの世界平和に対する見解は、ジュネーヴの雪解けがやや凍結化しつつあるということを指摘して、国際緊張の緩和、冷凍化を唱えられたことがあります。その後、この判断には狂いはないのか。大体衆参両議院における速記録をたんねんに調べてみると、そういう傾向の言辞が多いのでありまするけれども、その後世界情勢は、一つの段階を画しておるわけであります。

川崎秀二

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