1963-02-07 第43回国会 衆議院 予算委員会 第8号
なお、昭和二十八年当時、外務省情報文化局長談として数字に触れた資料の発表があったことは、事実でございます。
なお、昭和二十八年当時、外務省情報文化局長談として数字に触れた資料の発表があったことは、事実でございます。
従来は、何か外務省情報文化局長談だけが政府関係の発表の態度表明であったようでありますが、国会において、総理大臣から総括的な、大きいところを一つ御答弁願います。
そこで、昨年の十一月の日ソ共同宣言の審議の際に、私は、もはやその批判を求められる時期であろうと思うから、外務省からそれを示していただきたいと求めたのに対しまして、外務省からは、三十一年の八月二十三日付の外務省情報文化局長談という、交渉経緯についてというものをいただいたのでありまして、これ以外に発表すべきものはない、こういうことであります。
従いまして、外務省といたしましては、インド政府を通じましてて、中共の意向を確かめ、また一方昨日も外務省情報文化局長談を発表いたしまして、中共側の反響がいかなるものであるかということも、実は情報文化局長談をもつてうかがつておるような次第であります。
懸案の問題を解決するその糸口を何に求めようとしておるのか、これをお聞きすることと、それからソ連との関係を徐々に懸案の問題からでも解決して行きたいという際に、今日のある新聞によりますと、あなたの部下である宮崎外務省情報文化局長談として、ソ連は近く引揚げるであろうというようなことが書いてありますが、しかしソ連代表部の問題については、御承知の通り対日理事会でも問題になり、極東委員会でも問題になり、四大国の