1948-11-25 第3回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第8号
○委員長(草葉隆圓君) 只今淺岡委員の御質問に対しましては、昨日も一應御答弁がございましたが、幸い本日外務省管理局引揚渡航課長の高野課長が見えておりますので、今の問題について御答弁を願いたいと思います。
○委員長(草葉隆圓君) 只今淺岡委員の御質問に対しましては、昨日も一應御答弁がございましたが、幸い本日外務省管理局引揚渡航課長の高野課長が見えておりますので、今の問題について御答弁を願いたいと思います。
例えば申されました点につきまして、外務省職員、或いは曾ての鉄道関係の人たち、例えば鉄道関係の人たちが帰つて來ました場合においては元の職場に帰れないのです。曾ての駅長であつたとか、助役であつたとかいうような人が帰つて來て、その職場にそのまま留つて行く、或いは新らしく採用されるというようなことはないのです。
○淺岡信夫君 今矢野委員、紅露委員からのいろいろな質問もございましたが、この問題につきまして、同じ政府職員でありながら、外務省関係の職員と、或いは一般の職員と、或いは未復員者、そうした人たちが内地へ帰つて来た場合における施策というもの、或いは実際の実施されておりまするところが非常に異つておる。外務省の関係の人は非常に厚いのです。
○林國務大臣 今政府委員に伺いましたら、終りの問題は外務省の所管だというふうなお話を伺いますが、なお関連があろうと思いますから、取調べをいたします。 それから金融の問題などにつきましては、先般來私どももこの委員会並びに参議院の方からも始終お話を伺つております。まことに何とかいたしたいと考えて、融資の問題なんか苦慮いたしておりますが、今日までの経過はなかなかむずかしいような経過になつております。
だから九人の方は、大阪にもおるし、こちらの学校や、外務省にも行つておるというような関係でそれを毎日集めることはきわめてたいへんでございます。朝から晩までそういうような事項が起つて参りますから、そういうふうなことをやる必要がないように、ある程度のことはやるが、そのかわり十八條みたいなもので、指示事項で指示を出しましたときは、その次の総会で委員会の承認を得る、こういうふうになつております。
○野田證人 私が交換船でアメリカから帰りまして、海軍省で外務省のニユース・プリンテイング等を飜訳するのに人がいるから、ひまのときに手傳つてくれんかというお話がありまして、運軍省の依頼によつて、イギリス版のニユース等を日本語に飜訳いたしましたが、別に辞令もいただきませず、宣誓もいたしておりませんので、嘱託という役名になりますかどうか知りませんが、いずれにしてもそういう仕事はいたしておりました。
お話のように農林省の問題だけでなく、外務省あるいは大きく言えば内閣の責任において、各方面との折衝を今後続けて行きたいと考えておる次第であります。 それから資材の問題でありますが、漁網綱については幸に最近ふえたようでありますが、金融につきましては逆に見通しが非常に惡いようであります。
私どもはその当時も、これは一農林省の一水産局をもつてこれほどの大きな問題を解決することは困難だから、これはひとつ外務省とも密接な連絡をとつて、外交方面にも御援助を願うようにして、あらゆる方を結集してこういう問題の解決に当つてもらいたいということを、私はこの席上でお願したことがあるのであります。
それからもう一点誤謬ありますから、これも今井局長に質しておきますが、この委員会に御説明なさいました外務省の役人の問題であります。
而も外務省の予算を見ますと、在外邦人処理費というのが二億円ある。それで私は外務委員でしたので追及した。ところがこれは外務省官吏の手当である、又外の台湾や何かの官吏の手当であるという。
○淺岡信夫君 給與局長にお尋ねいたしたいのですが、この外務省の官吏、或いは人達と、それから今までの軍人、軍属、そうした人達の立場において実際與えられた給料が違う、この一点に対して給與局長はどういうふうな見解を持しておられるか、これをお尋ねしたい。
○川合委員 引揚げ促進のことに関する経過に関しましては、倭島外務省局長からるる御説明がありまして、私どももこれを了とするのでありますが、そこで私は政府にお願いしたい点は、私どもはよくその間の事情を了承しておりますので、何ら宣傳に迷わされるようなことはないことはもちろんでありますが、最近は御承知の通りに、ある政党がその政党の勢力のために引揚げ問題を引合いに出しておるというようなわけであります。
それから外務省の松田か松谷という人がおりました。それはよく進駐軍が來るときに通訳をしておりました。それから商工省の今度の問題でひつぱられておる津田君が英語をやられる。私の方は英語が技術面がないとやれない。それでだれでもというわけにはいかない。英語をしやべるだけではまずいので、津田君なんかは説明に関してはよく利用していたのであります。
先ず外務省側からの説明を求めたいと思います。外務政務次官お願いいたします。
○中村(嘉)委員 御趣旨はよくわかりますが、原文は印刷しないでも、外務省に一通あればいい。議員に配付するときにフランス文を配付して英文を配付しないということは、まことに不親切だと思う。これはよくお考えを願いたい。
一体日本でだれがフランス文を読むか、フランス語を読む方は外務省にはいるかもしれませんが、議員ではこれを読む人は非常に少いと思う。そういう非常識なことはやめていただきたい。
尚それに附言しまして、特に今日は外務省の監理局長が出席されているのでありますが、今回外務省は未引揚者の実態調査をする段取りになつたのでありますが、これも先般來説明を聽いておりますと、経費が極めて少いのであります。我々がその実態調査の方法を聞いておりましても、誠にこれでは心許ないのであります。
○岡元義人君 今の問題はできないということを言われましたですが、外務省は当然予算の中にも入つておりまするし、その金が出ておりますから、どこからか掛けられておると思う。併し遺族渡という金もあります。その遺族が本人の名で掛ける。この場合はどうなりますか。その点一つ教えて頂きたい。
○淺岡信夫君 今の天田委員の御質問に対しまして、できないという答弁でありまするから、これに対しまして外務省当局はどういうふうな扱いを今までされたか、或いは今後されるのか、その点を一つはつきり伺つて置きたいと思います。外務省の局長、どなたからでもいいのですが、外務省の政府委員から一つ聞いて置きたいと思います。
厚生省、大藏省、それから外務省、この三つが漸く歩調を合せるだけでも約一年余り掛かつた。レート関係もあり、いろいろ関連した問題があるわけでありまして、非常に複雜です。そうしてその段階を乘り越えまして、いよいよ最後の案が、日本側の歩調が揃つて向うに提案されたわけであります。その間の折衝の経過をもう一度ここで簡單に申上げます。
そうして特別委員会の採択をして貰うということになつておりますから、今の北條君のお話は非常に了解に苦しむ点もありますし、私も数回自分で足を運んで來ておりますので、明日は外務省からも見えますから、私共の折衝もこれは昨年のことではないということも分るのです。一應そのことの経過を聞く、その上で又判断をしなければならない。委員会として当然そういう処置も必要であろうと思いますからどうぞ明日。
○恒吉証人 昭和十三年に大学を出まして、戰時中一年間ほど外務省の仕事で南京に渡り、経済調査の仕事をしました。帰りまして東亞研究所にはいり、主としてアメリカの経済事情の調査をしておりました。持株会社整理委員会にはいりまして仕事を手傳うようになりましたのは二十一年の二月の下旬、当時まだ持株会社整理委員会は正式にできていなかつた、準備時代でありましたが、そのころからはいつたのであります。
それから十四年の二月一日に人民戰線事件に連座しまして大学の講義をやめまして、同年十二月に起訴されまして休職になり、昭和十九年の九月に事件が解決しまして、その後まだやはり大学に帰れませんで、休職になつておりましたが、翌年私は大学をやめまして、それから同年の三月末外務省の嘱託になりましてから……。
二十年の三月末に外務省の嘱託になり、二十年の九月に外務省の調査官になりました。そして二十年の十二月に大学の方に教授として帰り、同時に外務省の事務官に調査官を兼任することになりました。当時ちようど十月、十一月の間、占領政策に基く経済民主化の問題が起りまして、それを主として外務省の方で担当しておりました。その関係から持株整理委員会なるものをつくるデイレクテイヴが十一月の六日に出ました。
○矢野酉雄君 どうも大野先生は柔らかくお答えになるのでどうもそこがはつきりしませんが、この間外務省の吉澤次官に出席して貰つて、外務省としての非常な未帰還者数の調査等についての怠慢のことでですね、歴然たる事実が実はここではつきり分つておる、だからその時各委員から随分要望しましてですね、そうしてすでに本日と昨日の新聞の発表したように外務者の監理局長がその責任者となつて直ちにこの調査を開始した、これは國内関係
またできれば総理大臣にもと考えてお話を進めておつたわけでありますが、総理大臣は外國記者團と今外務省で面会中だそうでありまして、十二時ごろになればここへ出席ができるという話であります。從つて総理大臣がお見えになつてから、政府の立法計画、予算案提出の時期、あるいは議会に対して法案を提出する考え方、そういうことを伺うことにして、もう少しあとまわしにしておきましようか。
海軍は海軍で、直接輔弼の任があり、外務省は外務省、司法省は司法省おのおの独立して、今のような國務大臣でなくして省の大臣で天皇に直属しておりました。それで総理大臣としては何ら天皇に直属している仕事については口が出せなかつた。それで私どももつくづく困つた。
そうして内務省はそのリストに基いて縣ならば縣へそのお考え、立場あるいは処分方を受諾なさつた、そのときに現実の品物を引渡す際にまた軍が立会つてリストを拵えておるものでしようか、但し最初に外務省へ出したものだけでありましようか、その点ちよつとお伺いしたい。
それで外務省とよく打合せて後任を推薦してまいつたのであります。それは市橋さんという方であります。市橋さんを代りの課長に御承認を願いたいというのが第二点。第三点はうちの現におります営繕課の人で古後さん、この方は今主事でおりますが資格その他から見て十分参事の資格がありますのでこれを参事に昇格をさせていただきたい。
○杉山證人 これは長崎に知事としてまいりまして、いろいろ佐世保方面に進駐軍の工事があつて、これは最初政府の方針といたしまして外務省が担当しておつたのでありますが、なかなか工事が捗らぬ、どうかして縣が協力してくれということになりまして、その当時の終連の事務局長さんがそういう事業をやつておられる方々をお呼びになつて、督促されるのに立会うことになつたのでありまするが、何分忙しいので、それでは縣廳に來てやつてもらいたいというようなことから