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22078件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1951-02-19 第10回国会 参議院 水産委員会 第12号

委員長     木下 辰雄君    理事            青山 正一君            千田  正君    委員            秋山俊一郎君            櫻内 義雄君   委員外議員            小林 政夫君   政府委員    外務省政務局長 島津 久大君    外務省條約局長 西村 熊男君    水産庁次長   山本  豊君   事務局側    常任委員会專門

木下辰雄

1951-02-17 第10回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第2号

しかしまだ、必要があるとは思われますけれども、出しておられない省もあるのでありまして、外務省とか経済安定本部なども、やはりそういう必要があるのだろうと思います。自分の省だけでなく、各省が、日本国のいろいろな方面の学者に研究を依頼したり、あるいは補加したりする、そういう費用を出していただきたい。

亀山直人

1951-02-16 第10回国会 衆議院 予算委員会 第15号

しかしながら、同時に国民客観情勢について十分の知識を得るために、外務省として持つておる資料は絶えず発表したい、また発表させる計画をいたしております。今日ただちにダレス氏との会談について白書を出すとか、出さぬとかいうような計画は持つておりませんが、しかしながら、時々刻々の国際情勢の推移については、外務省をしてその研究の結果を発表することに手落ちがないようにさせております。

吉田茂

1951-02-16 第10回国会 衆議院 水産委員会 第10号

前会に御説明申し上げましたように、原油、重油、粗油に対しまして一〇%、それからガソリン、軽油類に対しまして二〇%、潤滑油に対しまして三〇%という税率を、大蔵省を中心といたしまして、経済安定本部農林省通産省外務省、厚生省等関係各部局が集まりまして相談いたしまして、以上申し上げましたような理由によつて相談がまとまりまして、そういうように原案を作成いたした次第でございます。

藤田茂

1951-02-15 第10回国会 参議院 外務委員会 第5号

委員長     櫻内 辰郎君    理事            徳川 頼貞君            曾祢  益君    委員            杉原 荒太君            團  伊能君            伊達源一郎君   国務大臣    内閣総理大臣    外 務 大 臣 吉田  茂君   政府委員    内閣官房長官  岡崎 勝男君    外務政務次官  草葉 隆圓君    外務省政務局長

櫻内辰郎

1951-02-14 第10回国会 衆議院 外務委員会 第4号

従いまして二十六年度の途中におきまして、そういう事態ができて来ると私は思うのでありますが、そうしますと、この外務省予算というものは、根本的に私はかわつて来るのではないかと思います。まず機構の点から考えても、あるいは金の上から考えましても、非常に大きくかわつて来なければならぬ問題と思うのでありますが、まずお伺いしたいのは、外務省機構の問題であります。

北澤直吉

1951-02-13 第10回国会 衆議院 予算委員会 第14号

文部大臣としては、外務省と結んで、各国の図書館、ことにアメリカの末端の図書館にでも、あるがままの日本を理解するような手引きとなる出版物を配付すべきであると思いますが、これに対してどうお考えになられるか。こういうことを抜きにしては化石的な文教政策としか言われないと思いますが、この予算関係はどうなつているかをちよつと伺いたいと思います。     〔委員長退席西村(久)委員長代     理着席

戸叶里子

1951-02-13 第10回国会 衆議院 水産委員会 第9号

第二点は、シヤトル在外事務所長ト部敏男氏からの八日付外務省あての公電によれば、米領アラスカ議会は、漁業條項を含まない対日講和條約は拒否する旨の合衆国上院に要請する議案を、去る六日に可決したと報ぜられておりますが、それについて、水産庁はその内容を入手したかどうか、入手していたら委員会報告せられたい。もし入手せられていないならば、水産庁のこれに対する観測について承つておきたいと思います。

冨永格五郎

1951-02-13 第10回国会 衆議院 水産委員会 第9号

それから次のアメリカ州議会におきまして、漁業條約を含まない講和條約は拒否するという報道は、たしか新聞紙上で私は読んだだけでありまして、これについては外務省方面からも何ら連絡に接しておらないので、内容は少しもわからぬのでありますが、この点につきましても、できるだけ外務省あたりの情報を今後も説けて探りたいと考えております。

家坂孝平

1951-02-12 第10回国会 参議院 予算委員会 第7号

この点は大体そういう方針でやつて来たんですが、外務省或いは大蔵省通産省くらいまではそういう方針でやつて来たのに、農林省に入つてからは何か予算分科会をやつておるような形になり、本日もそういう恰好になつておるので、そうでなくて本来これを計画した意図に沿うような一つ御報告を願うようにしたい。

佐多忠隆

1951-02-10 第10回国会 衆議院 予算委員会 第12号

昨日も、これはあんたの省ではないからとあんたは逃げられるでしようが、外務省の倭島君のごときは、未引揚者三十七万あるいは現在三十一万という國連へ提出した数的根拠について疑問を持つから、資料を出さぬかと言つたが、倭島君は出さないです。どうして出さないかというと、議会でやりましようと言うのです。それと同じであつて、共産党には出されないところのものが非常にある。

横田甚太郎

1951-02-10 第10回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第4号

本日の議題となりますのは、先般皆様の御審議を願いました、曾つて昨年日本から国民の代表ということにして三名のかたがたが、外務省から倭島局長、それから宗教団体からは齋藤惣一郎氏、それから婦人のほうを代表しまして中山マサ氏三名のかたがたが国連に、第七回国会において決議されましたるところの未帰還同胞の引揚促進並びに実態調査等国際連合を通じて行うことを懇請する決議、この決議に基きまして、非公式ではありましたが

千田正

1951-02-10 第10回国会 参議院 本会議 第12号

(「反対の論旨を言え」と呼ぶ者あり)そして三十七万の残留外務省のこの内容は、シベリアが二十三万二千、樺太が七万九千、満洲が六万と、こういう驚くべき内容になつておるのであります。(「驚くよ」と呼ぶ者あり)荒唐無稽な点において驚くべき内容なのであります。然らばその他の地域はどうなつておるかと申しますと、これを私が政府委員に対して直接尋ね要したところ、満洲を除く中国百五十余万、その全部引揚げた

兼岩傳一

1951-02-10 第10回国会 衆議院 本会議 第11号

昨年の十二月十一日、外務省情報部から、ソ連地区からの未帰還者約三十七万のうち、八月三十一日現在に判明したものは三十一万六千三百三十九人であるという発表がありまし、た。当時外務委員会におきまして、自由党の佐々木盛雄君から、この問題についてはいろいろと問題があるから、ぜひこの数字内訳残留地区別内訳、その他納得の行くような発表を願いたいという、まことに、ごもつとも、かつ熱心な御要求がありました。

高田富之

1951-02-09 第10回国会 衆議院 運輸委員会 第3号

たとえば外務省のように人件費だけがおもなところは、非常にパーセンテージが高いのであります。産業奨励費の多いところは、たとえば運輸省にいたしましても、今回国鉄政府から約二十億の貸付をいたします。これは一応運輸省予算を通しよして国鉄に参るわけであります。そうするとただちに運輸省の支出に二十億が加わつてしまうわけであります。

石井昭正

1951-02-09 第10回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号

草葉政府委員 先回の委員会でただいまの御質問がありまして、当時十二月十一日外務省発表で、八月三十一日現在の確定いたしました人員が、三十一万六千三百三十九名ということを御発表申し上げました。その後だんだん国内の各方面につきましての調査が進捗いたしまして、本日は新たにまた約七千六百余名が明瞭になりまして、昨年末におきまして、三十二万三千九百七十三名が明瞭に相なつたのであります。

草葉隆圓

1951-02-09 第10回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号

○小西(英)委員 証券より、むしろ今言つた不動産とか、その他の財産の方が多額に上るので、あの当時引揚げて来た方々が、引揚げの中でわずか千円か二千円しか持つていない金を費してあの報告をしたのでありますから、そういう点から十分にその関係方面に渡つている書類の保管、そういう点について大蔵当局並びに外務省において向うからいただけばいつでもすぐにその報告書ができるように準備を特にお願いいたしまして、私の質問をこれで

小西英雄

1951-02-07 第10回国会 衆議院 地方行政委員会 第7号

出入国管理令の改正が遅れましても、従前から法務府及び外務省等において行つておりました事務を引続き行つておるわけでありまして、この点は別に支障がないと考えております。  それから登録状況でございますが、これもただいま手元に数字を持つておりませんが、朝鮮人登録が約五十五、六万でないか。そのほか中国人が三万くらいその他の外国人は今ちよつと記憶いたしておりません。

大橋武夫