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19件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2014-01-31 第186回国会 衆議院 予算委員会 第2号

私は、外務大臣のときに、古い、三十年たった外交資料公開するというルールをつくって、今は、聞きますと、外務省では常勤、非常勤を入れて六十六人体制でやっていると。過去三十年以上たったものを順次公開しているんですけれども、四年間で一万四千件、一生懸命やったけれども、それだけしかできなかった。  

岡田克也

2010-04-27 第174回国会 参議院 財政金融委員会 第12号

むしろ、この無利子預金は、当時のアメリカ上院側に残っている外交資料、国防資料関係を調査したところ、これは原典によればウインドフォールと書いておったかと記憶していますが、棚ぼたというんでしょうか、つまり日本側は、当時、一九七二年の五月、沖縄返還に至った際に、それまで当時の沖縄県民沖縄の地で米ドルを使っていたわけですね、通貨は。これが当時一億ドル相当ございました。

古本伸一郎

1999-12-03 第146回国会 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会 第3号

吉川春子君 外交資料館というものがもう一つ国の機関としてあります。この外交資料館の資料は、今回独立行政法人にはなっておりませんで、国が保存することにしております。その重要度において私は違いはないと思うのですが、なぜ一方の外交資料館の資料は国が保管をし、そして国立公文書館にあるよりたくさんの資料法人が管理、保存する、こういうふうに分けた対応をしたのでしょうか、その理由をお伺いします。

吉川春子

1993-03-23 第126回国会 参議院 予算委員会 第7号

本岡昭次君 私も外交資料館に行って全部見てきました。今おっしゃったように、最初の江華条約だけ天皇の親筆と玉璽がありまして、あとは全部ありませんでした。  この憲法十二条の解釈についていろいろ勉強したんですが、ここにはこういう書き方がしてあるんです。「調印に依っては唯条件附に効力が生じ、批准に依ってそれが確定するのである。」

本岡昭次

1990-06-12 第118回国会 参議院 社会労働委員会 第7号

ただ、先ほど作成後長年を経過した文書についての御質問でございますけれども、これにつきまして、現在の政府対応を御説明いたしますと、行政的あるいは歴史的に重要な文書で、作成後三十年たった文書につきましては、国立公文書館、それから外交記録につきましては外交資料館というところで原則として公開する、こういう方針で処理されていると考えております。  

松村雅生

1990-06-12 第118回国会 参議院 社会労働委員会 第7号

防衛庁ですと戦史室とか、外務省では外交資料館、あるいは総理府ですと公文書館なんかありますけれども、なかなかどういうふうに調べていいかわからないというので、大変困ったわけなんです。  そこで、総務庁として、各省庁の全資料を速やかに検索できる機能を早急に整えていただきたいと思うんですけれども、どうでしょうか。

堀利和

1988-04-26 第112回国会 衆議院 内閣委員会 第8号

そういうことから私どもは、外交資料館に参りあるいは公文書館に参り、国立図書館に参りあるいはアメリカ図書館に参りまして、日本人捕虜に対する米英軍の占領当時の記録をいろいろ集めました。そういう中から私どもは、南方から帰った捕虜方々日本政府から補償されておるというところの日本政府文書に突き当たりました。

斎藤六郎

1985-04-19 第102回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査特別委員会安全保障問題小委員会 第2号

これは私ども外交史家の間で、最近ようやく戦争直後の外交資料が解禁されまして、特にアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアあたりを中心に解禁されているのです。日本でも若干解禁されたそれを見てまいりますと、ソ連膨張主義というのは当時も言われていたのですけれども、これはやっぱり幻だったのじゃないか。

進藤榮一

1977-04-21 第80回国会 参議院 外務委員会 第7号

塩出啓典君 今回は、日ソ漁業交渉というものは領土問題が非常に絡んで、それだけ解決困難な微妙な問題になってきているわけでありますが、先般アメリカの一九四九年の外交資料がいままで非公開であったものが公開になりまして、その中で北方領土の問題について、その当時のいろいろ政府記録が発表されておるわけでありますが、この内容についてわが国政府としてはどういう見解を持っておるのか、これを伺っておきます。

塩出啓典

1976-05-27 第77回国会 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第1号

実は外務省といたしましては、戦後三十年を経過しました外交記録の一部を外交資料館を通じまして、近く一般公開するために準備し、整理をいたしております。その中に連合軍司令部関係公文書も相当入っておりますので、その整理がついておるところをよく調べまして、御質問のありましたそういう覚書があるかどうかということを十分調べてみたいと思います。そしてそれが発見できましたならば御提出申し上げたいと存じます。  

山崎敏夫

1965-12-03 第50回国会 参議院 日韓条約等特別委員会 第9号

さらにここにあげますと、幾多そういう暴徒を殺し、あるいは殺虐し、弾圧した外交資料が、日韓ともども数多く出てございますが、あまり長く読み上げますと、皆さんに御迷惑おかけすると思うんです。こういうような事実があった。とういうような事実を考えて、それでも私はあえてこの条約を無効であるとか、そういうことは言いませんが、こういう事実はすべて認められておるわけです。

黒柳明

1959-11-16 第33回国会 衆議院 外務委員会 第8号

藤山国務大臣 森島委員も御承知のように、いろいろな外交資料で出せるものと出せないものとがございます。出せる限りのものはできるだけすみやかに出すように事務当局を督励しましてやって参りたいと思います。今日までそういう事態がありましたことはまことに遺憾でありまして、今後はできるだけすみやかに出せるものは出したいと存じております。

藤山愛一郎

1956-04-10 第24回国会 参議院 内閣委員会 第25号

吉田法晴君 それはまあ外交資料だというお話ですが、お手元にあるかどうかは知りませんが、その前の方には、「極東における、安定および永続的平和を確保するために、日米両国間において一層緊密な協力が行われることが望ましい」云々と、いろんな問題について日本側からこう言うた、あるいはアメリカ国務長官がこう言うたと、こういうことをいろいろ言われた中に、「日本の能力の範囲内において防衛力漸増の政策が継続されるとの

吉田法晴

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