1988-04-25 第112回国会 参議院 国民生活に関する調査会 第6号
二、日本の人口の変遷史 一九七五年センサス結果で日本の人口は一億一千百九十三万人となったが、明治維新から数年後は約三千五百万人と言われているから、相次ぐ戦争、災害などを経験したにもかかわらず約百年で三倍増を記録したことになる。
二、日本の人口の変遷史 一九七五年センサス結果で日本の人口は一億一千百九十三万人となったが、明治維新から数年後は約三千五百万人と言われているから、相次ぐ戦争、災害などを経験したにもかかわらず約百年で三倍増を記録したことになる。
考えてみますと、日本の税制が始まりましてから、あるときには地租に大部分を求め、あるときには酒に大部分を求め、あるときには所得課税に大部分を求め、いまようやくエネルギーにかなり相当の部分を求めているわけで、税制の大体の変遷史を考えておりますと、そういう感じがいたすのでございます。
実は、こういうふうに申しますのは、これは名古屋税関で例があったわけでありますが、本人がデンマークの国際国民大学に留学をして勉強したい、特に関税行政の変遷史について研究をしたい、こういう気持ちがありまして、本人の希望による勉学の場合には、これまではある程度ゆるやかに扱われていたように聞いておるのですが、この人の場合には結局休職扱いにならなかったのです。
この機会に、文部省は、この給与の変遷史の上に幾つかの問題点を拾い上げられて、その際にどういう世論の動向があり、現実にこの運用にいかなる困難が伴ったかというものをきちっと整理されておらなければいけない。現実は過去から生まれてきておる。時の流れというものを考えていかなければならぬ。
つまり、給与変遷史と恩給法がちょうど並行してきたのでありますが、その中に、ごく最近の給与というものの中には、管理職というものを非常に重視する傾向が起こって、その待遇改善がなされておる。かつての公務員であった管理職の立場にある人々は、それが移行されないかっこうで今日の恩給仮定俸給をきめられておる、こういうことも一方にあるわけです。
○受田委員 これは時代の流れとともに身分の変遷史というのが当然考えられるわけです。これは現時点にその方々は生きている、生存しておいでるのです。生存しておいでる方々がいまの身分と給与との関係において、われわれは著しく低い水準に置かれているということを、別にあまり強くは訴えないけれども、心の中ではやはりわれわれは犠牲になったという気持ちをお持ちであろうと思うのです。
一人は、これは私は一つの考え心があって、一人は官房長から、内務省の変遷史を労働省とか、厚生省とか、建設省とかというもので編さんしたい、それで、それの一番古い建設省関係の造詣のある人、遠藤さんという人を御委嘱した。もう一人は、建設業界の今日の悩みの一つは技能労務者の不足でございます。これに対処してまいります。
それからもう一点、ウイーンの世界教員会議においては、これは私のあとの問題ですが、その前に、私は日教組が自由世界労連に加盟して、幾たびか脱退せよ、脱退せよと言われている中において、私自体も随分反動呼ばわりされて来たのですか、自由世界労連というものに加盟し、荒木委員長も、その当時の荒木さんもロンドンの自由世界労連の会議に参加している、日教組の変遷史というものは、非常に複雑多岐でありますけれども、全体からいつて
日教組ができてから今日までまだ私は日教組の変遷史を読んでおりませんからわかりませんけれども、私の知る限りにおいては、昭和二十四年の一月、共産党があの選挙で三十五人一気に出た時代、別府の公会堂で日教組の大会が行われて、私は終始見ておつたのでありますが、実に乱暴なものであると驚き入つたものであつた。
しかるに今回勇気をもつてこの法律案をお出しになつた吉田さんに、五年間の心境の変遷史も聞きたい、そうしてこれをお出しになる以上総理みずからがここでその所信を述べていただきたい。
とともにその思想変遷史、吉田総理みずからの心境変遷史というものを私は伺いたい。総理みずからが五年前に委員会で御説明になつたのです。担当国務大臣でなくして総理みずからがこれを説明され、委員の質問に答えられたのです。