2012-06-11 第180回国会 衆議院 社会保障と税の一体改革に関する特別委員会 第18号
「この勉強会はもともと関東財務局の千葉財務事務所所長の吉野孝志様が本学の太田三郎先生、齊藤壽彦先生に提案をし、それを本学全体で受け入れることにしたものです。」と内幕を明かしておられます。 地方財務局も使って財務省の側から持ちかけて、確かに合意の上とはいえ、押しかけていってやっていると。向こうの側から、大学の側から、ぜひとも来てもらいたい、一つもないじゃないですか。
「この勉強会はもともと関東財務局の千葉財務事務所所長の吉野孝志様が本学の太田三郎先生、齊藤壽彦先生に提案をし、それを本学全体で受け入れることにしたものです。」と内幕を明かしておられます。 地方財務局も使って財務省の側から持ちかけて、確かに合意の上とはいえ、押しかけていってやっていると。向こうの側から、大学の側から、ぜひとも来てもらいたい、一つもないじゃないですか。
時間もありませんから早速お伺いいたしますが、それというのは、東京都港区赤坂九の四の十伊藤久美なる方から、NTTの前の取締役、データ通信本部長長谷川壽彦氏に対して警視庁の捜査二課に告発した事件、これについて御存じでしょうか。
支出の内訳は、いずれも在職中に死亡された議員の遺族に対する弔慰金でありまして、昭和三十一年度においては森下政一君、昭和三十二年度においては白川一雄君及び中山壽彦君が逝去されましたため、国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律第十二条の規定によりまして、その遺族に対し、歳費一年分の弔慰金を支給いたしたものであります。
○宮田重文君 私は、諸君のお許しを得ましてただいま議長より報告のありました議員中山壽彦君の長逝に対し、つつしんで追悼の辞を捧げたいと存じます。 君は、明治十三年十二月、京都市熊野郡久美浜町手塚格氏の次男に生まれました。後、兵庫県出石郡出石町中山逸斎家に転籍されたのであります。
○議長(松野鶴平君) 議員中山壽彦君は、去る十一月二十六日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。 同君に対しましては、議長は、すでに弔詞を贈呈いたしました。 宮田重文君から発言を求められております。この際発言を許します。宮田重文君。 〔宮田重文君登壇、拍手〕
午後二時十二分散会 —————・————— ○本日の会議に付した案件 一、日程第一 議席の指定 一、故議員中山壽彦君に対する哀悼の辞
○事務総長(河野義克君) 二十八国会の召集日の明日の議事でございますが、ただいままで予定されておりますものといたしましては、まず、議席の指定を行いまして、次に、先ほどもちょっと申し上げました通り、故中山壽彦君に対する哀悼演説がございます。それからその次に、委員長から先ほど言われました本院の予備金支出につき承諾を求める件を上程することになります。ただいま予定されておるのは、以上の通りでございます。
○事務総長(河野義克君) 議員中山壽彦君が去る十一月二十六日逝去されました。議長といたしましては、議院を代表いたしまして、弔詞をすでに霊前に捧呈されたわけでありますが、明日、国会が召集せられるにつきましては、哀悼演説を先例によりすることになるわけであります。
佐野 廣君 寺本 廣作君 石井 桂君 野本 品吉君 秋山俊一郎君 岩沢 忠恭君 上原 正吉君 伊能繁次郎君 石原幹市郎君 左藤 義詮君 鹿島守之助君 小滝 彬君 井野 碩哉君 下條 康麿君 吉野 信次君 郡 祐一君 堀木 鎌三君 中山 壽彦君
高橋進太郎君 古池 信三君 佐野 廣君 寺本 廣作君 石井 桂君 野本 品吉君 岩沢 忠恭君 上原 正吉君 伊能繁次郎君 石原幹市郎君 鹿島守之助君 小滝 彬君 井野 碩哉君 下條 康麿君 吉野 信次君 郡 祐一君 堀木 鎌三君 中山 壽彦君
佐野 廣君 石井 桂君 野本 品吉君 秋山俊一郎君 岩沢 忠恭君 上原 正吉君 伊能繁次郎君 石原幹市郎君 左藤 義詮君 鹿島守之助君 小滝 彬君 井野 碩哉君 下條 康麿君 吉野 信次君 郡 祐一君 津島 壽一君 堀木 鎌三君 中山 壽彦君
委員長 宮田 重文君 理事 手島 栄君 松平 勇雄君 鈴木 強君 長谷部ひろ君 委員 石坂 豊一君 新谷寅三郎君 中山 壽彦君 前田佳都男君 三木 治朗君 光村
昭和三十二年十一月五日(火曜日) 午前十時三十七分開会 ————————————— 委員氏名 委員長 剱木 亨弘君 理事 手島 栄君 理事 松平 勇雄君 理事 鈴木 強君 理事 長谷部ひろ君 石坂 豊一君 新谷寅三郎君 中山 壽彦君
委員長 剱木 亨弘君 理事 手島 栄君 最上 英子君 長谷部廣子君 委員 石坂 豊一君 新谷寅三郎君 中山 壽彦君 宮田 重文君 三木 治朗君 光村 甚助君 山田
委員長 剱木 亨弘君 理事 手島 栄君 最上 英子君 長谷部廣子君 委員 石坂 豊一君 新谷寅三郎君 中山 壽彦君 松平 勇雄君 宮田 重文君 横川 信夫君 三木
委員長 剱木 亨弘君 理事 手島 栄君 鈴木 強君 長谷部ひろ君 委員 新谷寅三郎君 苫米地義三君 中山 壽彦君 三木 治朗君 森中 守義君 山田 節男君 横川
委員長 剱木 亨弘君 理事 手島 栄君 最上 英子君 鈴木 強君 委員 石坂 豊一君 新谷寅三郎君 中山 壽彦君 宮田 重文君 横川 信夫君 三木 治朗君 光村
委員長 剱木 亨弘君 理事 手島 栄君 最上 英子君 鈴木 強君 長谷部ひろ君 委員 石坂 豊一君 新谷寅三郎君 苫米地義三君 中山 壽彦君 宮田 重文君 横川
多数意見者署名 手島 榮 最上 英子 鈴木 強 長谷部ひろ 石坂 豊一 新谷寅三郎 苫米地義三 中山 壽彦 宮田 重文 横川 信夫 光村 甚助 森中 守義 山田 節男 横川 正市 —————————————
委員長 剱木 亨弘君 理事 手島 栄君 最上 英子君 鈴木 強君 長谷部ひろ君 委員 石坂 豊一君 新谷寅三郎君 中山 壽彦君 宮田 重文君 横川 信夫君 三木
昭和三十二年五月十三日(月曜日) 午前十時五十四分開会 ————————————— 委員の異動 四月二十六日委員中山壽彦君、宮田重 文君及び横川正市君辞任につき、その 補欠として苫米地英俊君、木内四郎君 及び松本治一郎君を議長において指名 した。 四月二十七日委員木内四郎君及び苫米 地英俊君辞任につき、その補欠として 宮田重文君及び中山壽彦君を議長にお いて指名した。
去る四月二十六日横川正市君が辞任され、松本治一郎君が、また宮田重文君及び中山壽彦君が辞任され、木内四郎君及び苫米地英俊君が、二十七日木内四郎君、苫米地英俊君が辞任され、宮田重文君、中山壽彦君が、三十日松本治一郎君が辞任され、横川正市君が、五月八日奥むめお君が辞任され、田村文吉君が、それぞれ委員に選任されました。
昭和三十二年五月七日(火曜日) 午後一時三十九分開会 ————————————— 委員の異動 四月二十七日委員宮田重文君、西田信 一君、中山壽彦君及び小柳牧衞君辞任 につき、その補欠として木内四郎君、 岡崎真一君、苫米地英俊君及び小沢久 太郎君を議長において指名した。 五月六日委員高橋進太郎君辞任につ き、その補欠として白川一雄君を議長 において指名した。
四月二十七日付をもって宮田重文君、西田信一君、中山壽彦君、小柳牧衞君が辞任、木内四郎君、岡崎真一君、苫米地英俊君、小沢久太郎君が委員に選任せられ、五月六日付をもって高橋進太郎君が辞任、その補欠として白川一雄君が委員に選任されました。 —————————————
昭和三十二年四月二十六日(金曜日) 午前十時四十六分開会 ————————————— 委員の異動 本日委員小笠原二三男君、木内四郎君 及び苫米地英俊君辞任につき、その補 欠として江田三郎君、宮田重文君及び 中山壽彦君を議長において指名した。 ————————————— 出席者は左の通り。
本日付をもって小笠原二三男君、木内四郎君、苫米地英俊君が辞任され、その補欠として江田三郎君、宮田重文君、中山壽彦君が委員に選任せられました。 —————————————
委員長 剱木 亨弘君 理事 手島 栄君 最上 英子君 鈴木 強君 委員 石坂 豊一君 新谷寅三郎君 中山 壽彦君 松平 勇雄君 横川 信夫君 三木 治朗君 山田
多数意見者署名 手島 栄 最上 英子 鈴木 強 石坂 豊一 新谷寅三郎 中山 壽彦 横川 信夫 三木 治朗 山田 節男 横川 正市 奥 むめお
理事 手島 栄君 最上 英子君 鈴木 強君 長谷部ひろ君 委員 石坂 豊一君 新谷寅三郎君 中山 壽彦君 前田佳都男君 宮田 重文君 横川 信夫君 三木