2009-12-03 第173回国会 参議院 総務委員会 第8号
ということは、地方から中央へお金を吸い上げる仕組みを固定化してはならないということでございまして、まさに委員がお話しのように、地域経済の活性化に欠かせないための、例えば地域通貨、これまでの郵貯、郵政事業は、委員は富山の、売薬業ですが、やはりお薬をただ売りに来られたんじゃないんですね。お声を掛けてくださって、そして大丈夫ですか、安心を売ってくださっているわけです。
ということは、地方から中央へお金を吸い上げる仕組みを固定化してはならないということでございまして、まさに委員がお話しのように、地域経済の活性化に欠かせないための、例えば地域通貨、これまでの郵貯、郵政事業は、委員は富山の、売薬業ですが、やはりお薬をただ売りに来られたんじゃないんですね。お声を掛けてくださって、そして大丈夫ですか、安心を売ってくださっているわけです。
富山県は昔から教育熱心な土地柄であり、売薬業に見られるように新しいものを取り入れ、積極的に外へ出ていく気風を持っている。富山においては、売薬が大きな産業として成長したことの理由として、第一に、先用後利という消費者のニーズを的確にとらえ、それにこたえていく販売哲学があり、第二に、日本全国で商売できるように、藩から手形を出す等の行政側からの支援があったことである。
その次に、配置売薬業は、いま申されましたように、確かに厚生省のほうでつかんでおりまして、四十一年末で一万八千七百九十二、こういうような数字が配置売薬業者として資料に記載されております。その同一の資料の中に、全国の薬局の数が二万一千八百七十でございますから、配置売薬業者と薬局の数は、全国でたった三千しか違わないのです。これほど配置売薬業者が多いわけでございます。
(拍手) 仲川君は、明治二十八年奈良県大淀町に生まれ、年少にして自立独行の志かたく、高等小学校を卒業せらるるや、直ちに売薬業に従事し、あしたに出、タベに帰る行商のかたわら、商品の包装等にも創意工夫をこらす等、刻苦精励、販路の開拓に努め、大和売薬業の創始者として、その名を全国に広められたのであります。
これは明治の初めから売薬というものが出て参りまして、この売薬業というものは製剤でございますから、こうした面の製薬企業というものが非常に多い、これは中小の非常に小さいものでございます。そうかと申しまして大企業のものでありましても、そうしたバルクを作るというだけではやっていけません。
○松岡松平君 さきにお答えのありました薬事法第二十九条の配置売薬業に関する登録の問題でありますが、今の局長からの御説明は一応なるほどごもつともであります。しかしながら実際行商人は自分の居住しておる所でも登録し、さらに営業区域でも登録しておるというこの煩瑣な取締りを受けておることについて、この際これを厚生省に一本化するということは、必ずしも時代逆行とは言えないと私は思うのであります。
第一号にございます「会社ノ設立ガ不法ノ目的ヲ以テ為サレタルトキ」と申しますのは、会社の目的自体が不法であることを申すのではございませんで、会社の目的は適法であるけれども、不法な目的をなすために適法の目的を仮装して会社が設立されている場合、例えて申しますると、売薬業を営むということを会社設立の目的といたしながら、実は専ら麻薬を販売するというために会社を設立したというふうな場合を考えているのでございます