1994-11-22 第131回国会 衆議院 世界貿易機関設立協定等に関する特別委員会 第5号
それから、十六条の二号のことでございますが、具体的な、大臣が指示する方針というのはどういうことかというお尋ねでございますが、一つは、事業団は、毎年度半期ごとに国内乳製品の需給動向を勘案して売り渡し予定時期、月別の売り渡し数量、種類などにつきまして売り渡し計画を定める。それから、事業団は、売り渡し計画に基づきまして、その保管する指定乳製品などの売り渡しを行う。
それから、十六条の二号のことでございますが、具体的な、大臣が指示する方針というのはどういうことかというお尋ねでございますが、一つは、事業団は、毎年度半期ごとに国内乳製品の需給動向を勘案して売り渡し予定時期、月別の売り渡し数量、種類などにつきまして売り渡し計画を定める。それから、事業団は、売り渡し計画に基づきまして、その保管する指定乳製品などの売り渡しを行う。
計画的に在庫を処理していく、そういうことで、法律上に決められた形で今後放出をするという法律の一部改正案でありますけれども、この計画的な放出ということについて、どの程度の期間を考えておられるのか、あるいは事業年度別の売り渡し計画は、どの程度の数量を考えておられるのか、お伺いいたします。
○受田委員 その買収は、成田空港などと違って比較的早期に着手した結果、土地の買収価格なども比較的低率であったと聞いておるのですが、この筑波学園都市周辺に、新しい土地造成者による高額の土地の売り渡し計画などがあって、筑波学園都市周辺に、土地ブームによる不愉快な現象があることも聞いておるのですが、知事として、誇り得る研究学園都市の成功の前に、その周辺に土地業者の不愉快な現象を排除する努力をされておるかどうか
○小渕委員 そこで、いまの長官の御答弁に関連する問題から内容に入りたいと存じますが、まず第一に、琉球政府としてはできる限り多量の米を売り渡してほしい、こういう御希望があるといま御説明がございましたが、本土政府といたしましては、この売り渡し計画につきまして、当面何年間にどのくらいの数量を売り渡していこうという計画でありますか、まずこの点からお伺いいたします。
ところが、その後、昭和二十九年の十一月になりまして、それらの売り渡しをいたしました土地の一部が水深三メートルほどでたんぼにすることが不可能であるという理由で、売り渡し計画の取り消し申請が地元の木更津農業委員会から県庁に提出をされまして、県庁も調査をいたしました結果、近傍にその水深三メートルの土地を埋め立てるに必要な土の量がないという判定に基づき、当該売り渡し計画の取り消しをいたしたのでございます。
○説明員(和田正明君) 先ほどもちょっと申し上げましたのですが、旧自作農創設特別措置法によります売り渡しは、まず売り渡し計画というものを立てまして、それに基づいて個人個人に売り渡しをするという順序を踏んだわけでございます。
まず申し上げますというと、この売り渡し計画取り消し確認が昭和二十九年の十二月八日になされましたけれども、水深が約三メートルで開田不能と認められることを理由として買収売り渡し計画取り消し確認申請が提出されたということになっております、県の書類では。水深が約三メートルなんという事実はございません。
農業委員会に買収計画書、売り渡し計画書ができておったそうでありますが、これも農林省のほうでできるだけ保存してくれという話をされたら、保管料を出せというようなこともありまして、どうもこれは十年間ぐらいは置いてくれないかというような訓令であるか通牒であるかどうかわかりませんが、当時の農林大臣からのお話で厳正に保管しておるところもあればそのままになっておるところもある。
売り渡し計画では内地で一万四千町歩、北海道で一万五千町歩を予定している。また開拓不要地の売り払いにつきましては、内地が九千二百二十八町歩、北海道が三万二千百三町歩、こういうものを予定しているようでありますが、こういうところは既入植者の転換としての対象にはしないわけですか。——そうすると、個人が買い取って入るというからには、それだけの採算が引き合わなければならぬところだろうと思う。
○石原政府委員 先ほど来申し上げておりますのは、買い入れ数量と売り渡し数量との関係で、どういうようなネットの在庫になるかということでございますから、従いまして買い入れ数量の方が売り渡し数量を上回るかどうか、実効上どうなるかという問題かと思いますので、その点はもうあと百万石、また二百万石ふえたらどういうような売り渡し計画になるか、これは食糧庁の方の計画かと思います。
と同時に国内の農産物の生産が非常によかったので、政府の売り渡し計画が、十万トン余りを買ったので約二万トン弱しか売らないで済んだ。従って九万トンの持ち越しができる、こういうふうなことになったのであります。これは、お手元にグラフで飼料の価格の指数表が配ってあると思いますが、二十八年の凶作のあとを受けて、二十九年は飼料の価格が非常に上って、三十年の初めまで相当高かったのであります。