2021-01-28 第204回国会 参議院 財政金融委員会 第1号
コロナに関係のないものが大量に含まれているではないかとの御指摘がありますが、日本の予算制度というのは、御案内のように増分主義というやつでありまして、前年対比でちょこっと増やすあるいはちょこっと減らすというあしき慣行に相変わらず支配されておりますので、危機対応というのは、まあどこの国でもそうですが、次の未来を切り開くということと同時、併せてやらないといけない。
コロナに関係のないものが大量に含まれているではないかとの御指摘がありますが、日本の予算制度というのは、御案内のように増分主義というやつでありまして、前年対比でちょこっと増やすあるいはちょこっと減らすというあしき慣行に相変わらず支配されておりますので、危機対応というのは、まあどこの国でもそうですが、次の未来を切り開くということと同時、併せてやらないといけない。
財務省というのは、御案内のとおり増分主義というやつですよ。前年対比でちょこっと増やすか、そういうパラダイムを持っている役所。したがって、ここに金目の話を取りまとめをさせると、大体各省、短冊方式ですよ。そして、びほう策になってしまう。せっかくの官邸主導が残念ながらまるで生きないということになりゃせぬかという心配をしておりますが、いかがでしょうか。
増分主義でやって、増分が減分になる場合もありますけれども、そういうことが結果として医療崩壊というような事態をもたらしている。ここのところは、将来に向かって日本はどの程度の介護の費用が要るのかということについて、もう少し客観的に考える、どの程度財源が確保できるかという問題はありますけれども、そういう必要があるんじゃないかというふうに私は思います。
これは、先ほどの局長に対する御質問、そして局長の答弁とも絡むのですが、今までの制度というのは、やはり合意、話し合いの積み重ねでありますから、ある一つの変化があって、特別減税を行うといって特別減税があって、それに対する必要な措置をする、今度それがなくなれば、その分さらに必要な変化をするという、予算で増分主義というのがありますけれども、変化分だけを積み重ねていって今日の制度ができている。
それと、今の行政の予算査定の在り方が、どうしても増分主義といいますか減分主義といいますか、根っこから見直せない。これをやはりその根っこにある根雪の部分の無駄遣いというものを見直せないというところはしっかりと何らかの形で、これは憲法上の要請にするかどうかはまだ種々議論があるところだと思いますが、今おっしゃったような一定の財政の大枠のマクロのルールをどこかが作る。
だから、この問題に関してはもう余り申し上げませんが、新しいシステムを全然組み込まず、今までのトレンドで、いわば増分主義で、何%減らした、何%ふやしたという今までのやり方でずっといった場合には、二十年後の教科書に必ず、あのとき日本は、これだけの世界一の借金を残しながら、やり方も変えずに、国会もチェックできずにと、このすさまじい高齢化社会、あるいは負担増、あるいは途上国の追い上げに何でこれだけ苦しまなきゃならぬのかということを
東京で産業革命以来大成功してきた百三十年、あるいは戦後五十年の影を引きずりながら、増分主義で従来に改良を加えてということで果たして日本の将来があるか、そこは本当に脱却をしていかなければいけない、こういう論点から、首都機能移転をぜひ先生方にもさらに一層強力に進めていただきたい、私はそのように思いますし、国民は今まで未成熟社会から成熟社会へ、あるいは貧しい社会からヨーロッパ、アメリカの生活に追いつけ追い
具体的に言えば公共事業関係費でありますが、これまでの公共事業関係費の決まり方はあくまでも増分主義、前年度対比幾らふやすんだと。ようやくここへ来まして財政構造改革ということで、キャップ制ということなんですが、これもあくまでも前年度の数字をどうするかということで、すべて基準は前年度に置かれている。もうこういった時代はそろそろ終えないといけないのではないかと思うんですね。
非常に大事な時期の大改革でありますので、国民が、なるほど、政府はやっているんだ、議会はそれをちゃんと論議しながら進めているんだということがわかるように、具体的にその都度その都度、今お話がありました概算要求をするときの指示そのもの、あるいはかつてシーリングと言っていた要するに要求基準そのものがどうなるかということ、その中で今までのプロジェクトタイプの予算はどういうように扱われておるとか、右肩上がりの増分主義
そして、シーリングというのは、いわゆる増分主義を抑えるという意味がありますが、それにはカットするという意味が余りないのでありまして、私は、予算の編成にしましても、シーリングという考え方よりも、むしろ一度カットを考えてみて、それで必要なら復活するというような考え方に行ったらよろしいなと思います。
そうすると、どうしようもなくなってほかの予算から流用してくるというような事態は、実はこれまでの一律増分主義あるいは一律減分主義と言われているようなそういう予算のあり方、これは中央省庁もそうでしょう、恐らく地方自治体も中央省庁に右倣えとしてそういう形で出てきているという背景があるんじゃないでしょうか。その点はいかがでございますか。
あれから始まったものだから、予算のつくり方は増分主義でいくので横並びでやるとなかなか伸びないと。我々の認識というのは、どこかで一回どんとジャンプしないとなかなかうまくいかないんじゃないかというようなことを今でも考えております。
しかし、それがもう完全に既得権化して、なかなか今度は好況になっても減らせない、増分主義ばかりになる。こういうものも、やはりゼロベースの予算編成ということで検討し直すべきだろう。一定の補助事業については、サンセットで見直すことも必要だ。
なぜならば、今の増分主義的な予算編成の中でそんな四兆三千億の半分から三分の二をどういうぐあいにして引き出すかということを私は聞いているんですから、具体的に厚生省の予算編成の中で、今年度の概算要求の中でもいいですから、どういうぐあいに計算してくるかということを教えてもらいたい。
従来のシーリング方式や増分主義的決定では今日の世界経済の実態や我が国経済の激しい動きに対応し得ないのであります。 また、議院内閣制がその特徴を示し得ないのみならず、立法府の国権の最高機関たる機能を大きく制御していると言わなければなりません。 さらに、歳入の中心となる税制の抜本的改正を求めておきます。
それからもう一点、増分主義といいますか、現状踏襲型というお話がございましたが、結果において増減がこの程度かという御批判はお立場によってあるかと思いますけれども、いずれにしましても、法律に基づく制度によって予算が決まってくるというものが予算全体の中で大半を占めているわけでございますから、そう毎年毎年、ある予算が出たり消えたりするものではないと思います。
しかし、政府の予算案は、かつての高度経済成長時代に補助金等の既得権を温存した増分主義の枠を一歩も出ず、主要経費の構成比は、この十年来、国債費の急上昇を除き、わずか二、三ポイント変化した以外硬直したままです。
しかし、全体として見ますと、省庁別あるいは目的別の配分、これはいわば一律増分主義が続いておりまして、いわば重点がございません。少なくともこの予算を見る限りは、将来の豊かな生活はどのようなものであろうかということのイメージが一向に浮かんでこないのでありまして、この点は極めて残念と思うところでございます。 総理府が昨年五月に実施をいたしました「国民生活に関する世論調査」がございます。
したがって、私は現在の増分主義的予算編成の中でもいいから、政策上のアクセントをつけて、高齢化対策をやるんだ、ゴールドプランを実際にもっと推し進めていくんだと、そういうことで予算をかえるような予算編成はできないか。
これはまさに官僚的な一律減分主義、増分主義の反対でありますが、それによって財政需要を無理やりに抑え込んだ結果であります。 これは後ろ向きの消極的な財政改革であって、健全な財政改革ができるものではありません。他会計へのツケ回し、先送りをやっているだけでありまして、そのツケは現に十兆円にもなろうとしているのであります。また、国債発行の減額においても顕著な改善の跡を見ることはできません。