1980-11-05 第93回国会 衆議院 法務委員会 第3号
その批判の第一人者は当時の検察庁の大御所と言われた平沼騏一郎、それからいま申し上げました塩野季彦、この派につながる検事なんであります。この検事は一様に激怒した。怒ったんですよ。
その批判の第一人者は当時の検察庁の大御所と言われた平沼騏一郎、それからいま申し上げました塩野季彦、この派につながる検事なんであります。この検事は一様に激怒した。怒ったんですよ。
この事件は昭和十二年十二月十六日、三年間を経て当時の陸軍大将林銑十郎首相のときに、司法相は塩野季彦氏にかわっていたのですが、東京地裁の藤井五一郎さん、これは有名ですね。藤井五一郎裁判長は十六被告全員に無罪を言い渡した。その判決文をつくったのが戦後の最高裁判所の長官をやられた石田和外さん。この最高裁判所の長官をやられた石田和外さんが陪席判事をやっておられた。彼がこの判決文を書いた。
次に法務総裁にお尋ねするが、かつて資本家政府及び政党並びに軍閥政府のもとに、國民の自由と行動を蹂躙するため忠勤をぬきんでたところの思想檢事の一團、檢察権のもとに政界支配を確立せんとしたところの平沼騏一郎、塩野季彦等司法ファツシヨの名をもつて呼ばれる系統、そうした当然檢察制度民主化のために追放せらるべき人たちが、なお今日旧憲法意識をもつて檢察陣営に指導的役割を果していないかどうか。