1998-02-26 第142回国会 衆議院 予算委員会 第14号
そして、そのとき、外務大臣の小渕さん、私、先日長崎の知事選に出馬された西岡さん、そしてもう一人塚田徹さん、二十代で初めて四人当選をいたしました。そして、それ以前にも若い議員はおられましたが、二十代が四人というのは初めてでしたから、それ自体が二世議員の集団というような言われ方もいたしました。そして、恐らく次の選挙では全員落選だろうと、当時報道機関からもやゆされました。
そして、そのとき、外務大臣の小渕さん、私、先日長崎の知事選に出馬された西岡さん、そしてもう一人塚田徹さん、二十代で初めて四人当選をいたしました。そして、それ以前にも若い議員はおられましたが、二十代が四人というのは初めてでしたから、それ自体が二世議員の集団というような言われ方もいたしました。そして、恐らく次の選挙では全員落選だろうと、当時報道機関からもやゆされました。
これは昭和四十年十一月でございまして、たまたま共同登記の名義人は、子供さんの御主人であるところの塚田徹さんという名前になっておるわけであります。 これは、農林大臣になられましたのが四十一年でございますからその前後のことでございますが、いかにもこれは唐突な感じがいたします。
浅井新一郎さん、遠藤貞一さん、大坪健一郎さん、表俊一郎さん、金子勇次郎さん、川島武宜先生、河村芳邦さん、小林幸雄さん、沢田光英さん、沢本守幸さん、杉本一さん、中馬辰猪さん、坪井良一さん、塚田徹さん、徳安實藏さん、中島衛さん、萩原尊禮さん、萩山教厳さん、蓮実進さん、福井順一さん、松崎正躬さん、望月邦夫さん、以上二十二名でございます。
○安田(純)委員 また、この伊大知調書について昭和四十二年夏、松野氏から塚田徹前代議士夫妻と同行してヨーロッパに行かないかと誘われたということも、新聞報道によるとそういうふうになっておるように報道されております。同年の九月二十日の出発前に伊大知氏が海部被告にあいさつに行ったところ、塚田さんに渡してくれと言われて五、六通の書状を預かった。
逢沢 英雄君 天野 光晴君 今井 勇君 越智 伊平君 小島 静馬君 後藤田正晴君 斉藤滋与史君 高鳥 修君 谷 洋一君 谷川 寛三君 津島 雄二君 塚田 徹君 中島 衛君 羽田 孜君 原田昇左右君 堀之内久男君 三塚 博君 森 清君
よって、委員長は、理事に 天野 光晴君 斉藤滋与史君 高鳥 修君 塚田 徹君 池端 清一君 湯山 勇君 鈴切 康雄君 神田 厚君 以上八名の方を指名いたします。 本日は、これにて散会いたします。 午後一時四十七分散会
建設委員会調査 室長 川口 京村君 ————————————— 委員の異動 六月二十五日 辞任 補欠選任 川合 武君 甘利 正君 同日 辞任 補欠選任 甘利 正君 川合 武君 八月八日 辞任 補欠選任 内海 英男君 友納 武人君 谷 洋一君 増田甲子七君 塚田 徹
————————————— 本日の会議に付した案件 建設委員長辞任の件 建設委員長の選挙の件 小委員会設置の件 日本銀行政策委員会委員任命につき同意を求め るの件 請 願 米国国防省収録の第二次世界大戦記録フイル ムを国立国会図書館に買い上げに関する請願 (塚田徹君紹介)(第三二二六号) 視覚障害者の国立国会図書館利用に関する請 願(寺前巖君紹介)(第四三九五号)
米国国防省収録の第二次世界大戦記録フィルムを国立国会図書館に買い上げに関する請願(塚田徹君紹介)(第三二二六号)、視覚障害者の国立国会図書館利用に関する請願(寺前巖君紹介)(第四三九五号)、同(広瀬秀吉君紹介)(第四六五五号)、同(山口鶴男君紹介)(第四七五三号)、同(受田新吉君紹介)(第四八一〇号)、同(大橋敏雄君紹介)(第四八九三号)、同(有馬元治君紹介)(第五〇三三号)、同(中西啓介君紹介)〈
する請願(瀬崎博義君紹介)(第五三一二号) 旧勲章叙賜者の名誉回復に関する請願(中山正 暉君紹介)(第五三一三号) 旧満州航空株式会社従業員を恩給法令の外国特 殊機関職員として指定に関する請願(羽田野忠 文君紹介)(第五三一四号) 救護看護婦の処遇改善に関する請願(三塚博君 紹介)(第五三一五号) 同(藤波孝生君紹介)(第五五〇七号) 同月八日 国旗、国歌の法制化に関する請願(塚田徹君紹
笹山茂太郎君紹介)(第五七〇九 号) 同(左藤恵君紹介)(第五七一〇号) 同外三件(坂田道太君紹介)(第五七一一号) 同外六十五件(櫻内義雄君紹介)(第五七一二号) 同外一件(塩谷一夫君紹介)(第五七一三号) 同外二十件(関谷勝嗣君紹介)(第五七一四号) 同外二件(谷垣專一君紹介)(第五七一五号) 同外一件(谷川寛三君紹介)(第五七一六号) 同(玉沢徳一郎君紹介)(第五七一七号) 同外八件(塚田徹君紹介
昭和五十四年六月六日(水曜日) 午前十時三十九分開議 出席委員 委員長 伏木 和雄君 理事 小沢 一郎君 理事 登坂重次郎君 理事 中山 正暉君 理事 渡辺 栄一君 理事 井上 泉君 理事 中村 茂君 理事 北側 義一君 理事 渡辺 武三君 大坪健一郎君 谷 洋一君 谷川 寛三君 塚田 徹君 中島 衛君
昭和五十四年五月二十四日(木曜日) 午前十時十六分開議 出席委員 委員長 米田 東吾君 理事 天野 光晴君 理事 斉藤滋与史君 理事 高鳥 修君 理事 塚田 徹君 理事 湯山 勇君 理事 鈴切 康雄君 理事 神田 厚君 逢沢 英雄君 越智 伊平君 小島 静馬君 後藤田正晴君 谷 洋一君 谷川 寛三君
○松野証人 その記憶は、松野頼三ではなしに、私が塚田徹に贈与したのではないかと思います。塚田徹名義に私が贈与したと私は記憶があるのです。松野頼三名義でしょうか、塚田徹名義でしょうか。それは恐らくそういうことではないんでしょうか。わずかの面積で、三十坪ぐらいのものです。
逢沢英雄君紹介)(第三四七四号) 同(宇野亨君紹介)(第三四七五号) 同(越智通雄君紹介)(第三四七六号) 同(唐沢俊二郎君紹介)(第三四七七号) 同(倉石忠雄君紹介)(第三四七八号) 同(藏内修治君紹介)(第三四七九号) 同(小宮山重四郎君紹介)(第三四八〇号) 同(齋藤邦吉君紹介)(第三四八一号) 同(竹中修一君紹介)(第三四八二号) 同(中馬辰猪君紹介)(第三四八三号) 同(塚田徹君紹介
正一君 事 務 総 長 大久保 孟君 ————————————— 委員の異動 五月十七日 辞任 補欠選任 甘利 正君 小林 正巳君 同日 辞任 補欠選任 小林 正巳君 加地 和君 同日 辞任 補欠選任 加地 和君 甘利 正君 同月十八日 辞任 補欠選任 塚田 徹
小沢 一郎君 谷川 寛三君 塚田 徹君 中島 衛君 井上 泉君 渡部 行雄君 松本 忠助君 中井 洽君 瀬崎 博義君 川合 武君 二月十四日 井上泉君が委員長の指名で、小委員長に選任さ れた。
昭和五十四年四月二十七日(金曜日) 正午開議 出席委員 委員長 細田 吉藏君 理事 増岡 博之君 理事 松永 光君 理事 丹羽 久章君 理事 塚田 徹君 理事 石井 一君 理事 山口 鶴男君 理事 広瀬 秀吉君 理事 山田 太郎君 理事 西田 八郎君 池田 行彦君 鹿野 道彦君 小泉純一郎君 玉沢徳一郎君
昭和五十四年四月二十六日(木曜日) 午前十時三十分開議 出席委員 委員長 米田 東吾君 理事 天野 光晴君 理事 斉藤滋与史君 理事 高鳥 修君 理事 塚田 徹君 理事 池端 清一君 理事 湯山 勇君 理事 鈴切 康雄君 理事 神田 厚君 逢沢 英雄君 越智 伊平君 小島 静馬君 後藤田正晴君 谷川 寛三君
午前十時三十一分開議 出席委員 委員長 松野 幸泰君 理事 大西 正男君 理事 染谷 誠君 理事 中村 弘海君 理事 中山 利生君 理事 小川 省吾君 理事 佐藤 敬治君 理事 和田 一郎君 理事 西村 章三君 相沢 英之君 石川 要三君 小沢 辰男君 木野 晴夫君 木村武千代君 谷垣 專一君 地崎宇三郎君 塚田 徹
昭和五十四年四月二十四日(火曜日) 午後零時三分開議 出席委員 委員長 細田 吉藏君 理事 増岡 博之君 理事 松永 光君 理事 丹羽 久章君 理事 塚田 徹君 理事 石井 一君 理事 山口 鶴男君 理事 広瀬 秀吉君 理事 山田 太郎君 理事 西田 八郎君 越智 伊平君 鹿野 道彦君 玉沢徳一郎君 中西 啓介君
昭和五十四年四月十七日(火曜日) 午前十時三十八分開議 出席委員 委員長 藏内 修治君 理事 小宮山重四郎君 理事 竹中 修一君 理事 村田敬次郎君 理事 岩垂寿喜男君 理事 上原 康助君 理事 吉田 之久君 逢沢 英雄君 稲垣 実男君 宇野 亨君 越智 通雄君 國場 幸昌君 中馬 辰猪君 塚田 徹君