2019-11-27 第200回国会 衆議院 国土交通委員会 第5号
上流は大変だと言っていましたが、その下流ですら無堤地区があって整備がされていないということもよく理解をしてもらいたい。 久慈川、那珂川、これは全国でも最低の整備率でありますので、均衡ある投資というものも私は必要なのではないかなというふうに思っているわけであります。 全国では、阿武隈川とか千曲川、有名な河川含めて七十一河川の百四十カ所が決壊したということであります。
上流は大変だと言っていましたが、その下流ですら無堤地区があって整備がされていないということもよく理解をしてもらいたい。 久慈川、那珂川、これは全国でも最低の整備率でありますので、均衡ある投資というものも私は必要なのではないかなというふうに思っているわけであります。 全国では、阿武隈川とか千曲川、有名な河川含めて七十一河川の百四十カ所が決壊したということであります。
河川整備計画でも、昔から水害の常襲地域だと、無堤地区が数多く残って、非常に治水安全度の低い状況だと書かれているぐらいに対策が求められて、しかも住民の皆さんからは、下流の辺りは中州に砂州ができて大変心配だと、こういう声も多数寄せられていたようなところなんですね。 確認をいたしますが、この図でおおむね十年後は山鳥坂ダムが完成すると書かれています。
私の地区は、深川地区のいわゆる納内というところで、石狩川の無堤防地区のところ、無堤地区のところが少し氾濫いたしましたけれども、道東あるいは上川、この辺、十勝あたりは想像を絶するような被害だったというふうに私も記憶しております。 そんな中で、同じ農業者ということで、被害のなかった私たちの地区の農家の方々も非常に被災地の方々を心配しておりました。
これまでも、上下流バランスですとか、あるいは背後地の土地利用、それから浸水被害の状況等を踏まえまして、無堤地区の堤防等の整備を進めてきたところでございますが、現在は、平成二十五年洪水で二十一戸の家屋浸水被害が発生いたしました蔵岡地区の整備を実施しているところでございます。
しかしながら、残念なことに、黒潮町にはまだそういった整備が非常におくれている、あるいは無堤地区、そういった状況にございまして、それらも含めまして、ぜひ活発な御議論をいただき、そういったハードでも守れる命がある、ハードでしか守れない命があるということも御議論いただければと思います。
河川の津波遡上対策につきましては、比較的発生頻度が高く、津波高が低いものの大きな被害をもたらす津波、いわゆるL1でございますけれども、それを施設計画上の津波というふうに設定いたしまして、津波遡上区間におきまして、委員御指摘の無堤地区や堤防が低い地区の堤防断面が確保されていない箇所につきまして、順次堤防のかさ上げ等の対策を実施しているところでございます。
そのときに無堤地区があると、そこから被害が広がる可能性があるんですが、そういうところの対策というのはしっかり考えていただいておりますか。
千曲川の河川改修でございますが、通常の河川改修は、下流部から順次上流に向かって築堤などの事業を進めてきているところでございますが、今後とも、千曲川全体の安全度向上のために、無堤地区の解消とか堤防の強化に鋭意取り組んでまいりたいと思っております。
堤防、無堤地区の後背地がそういう状態でございますので、その辺も考慮しながら将来の絵を詰めていきたいというふうに考えております。
次に、この今回の水害で地元から出された指摘の中では、先ほどの狭窄部の改善の問題、それから無堤地区、これ特に支流が本流に流れ込む近くの辺りのその支流などの無堤地区があって、例えば今回の菱刈町の荒田地区などのように無堤地区から田んぼに流れ込んで県道まで流されてしまうというふうな災害が起きているわけでして、この無堤地区対策というのは今後の河川整備計画の中に取り込まれていくものかどうかということをお尋ねしたいと
○清治政府参考人 今お話のありました地区でございますが、現在、無堤地区の解消で事業を進めている箇所が四カ所ございます。お話のありました加茂第一、それから脇町の第一、それから西村中鳥、それから芝生というこの四カ所で現在事業をしているわけでございます。
中でも今御指摘の宮川、上流では宮川村で大変な土砂害、悲惨な土砂害がございましたし、また、中流部、下流に近いですけれども、伊勢市では、無堤地区で、そこだけで百五十九戸の浸水を見ております。
今お話のありました吉野川の上流につきましても、十三カ所の無堤地区で浸水被害が発生しておりまして、現在、この無堤地区の解消に鋭意取り組んでいるわけでありますが、吉野川の治水対策の最重要課題という認識で、国土交通省も整備を進めているところでございます。
同河川の改修事業において、左岸の堤防は完成しておりますが、右岸はいまだ無堤地区が半分以上残されております。このため、平成十六年九月の台風二十一号等を含めて度々住宅の床上浸水や農地等の冠水など甚大な被害を受けており、無堤地区の早急な築堤工事が待たれるところであります。 次に、八戸港を視察いたしました。
いわゆる国交省河川局が管理するところの一級河川で結構でございますが、無堤地区あるいは原始堤防とかいろんな呼び方ありますけれども、護岸含めて、改良と言うんでしょうか、例えば時間降雨量に対して、河川の断面積にもよりますけれども、時間降雨量に対して、あるいは一日の降雨量に対して、あるいは奥地で雨が降った場合に耐えられる、それは予算をどんどん付けろと言ったって限りある予算ですから、最低限の安全策を講じておるところの
というのも、私が生まれ育ちました池田町、吉野川の上流部でありますけれども、ここからずっと下流の方からいわゆる改修事業、築堤事業が逐次進んではきておりますけれども、残念ながら無堤地区が上流部には相当あるというふうな現状がございます。残念ながら、毎年災害で大変大きな被害をこうむる、ほぼ毎年多少の被害はこうむっております。
それから、河道整備に関しましては、治水上のネックになっている橋梁を二つかけかえなければいけないということと、それから、委員お話がございました下流右岸側の生麦地区の無堤地区の早期解消ということで、遺憾ながらそこに不法占用物件が多数ございますので、その不法占用物件の調査を今鋭意実施しているところでございます。
これらのことを考えますと、約百六十万人に及ぶ流域住民が台風や集中豪雨でも安心していられるように、新総合治水対策、これの強力な推進はもとより、生麦地区というのがありますけれども、そこを初めとする無堤地区の解消というものがさらに必要になってくると思います。
このため、平成元年度から実施されている新総合治水対策の強力な推進はもとより、生麦地区、ここを初めとする無堤地区の解消や多目的遊水事業の完成など、河川整備を強力に進める必要が私もあると思っておりますけれども、この点について建設省のお考えをお聞かせください。
花泉町におきます北上川上流日形地区の築堤工事でございますが、下流千九百七十メーターをハイウオーター堤で概成しておりまして、なお上流千百七十メーターが無堤地区になっておりますので、昭和六十一年度より用地買収に着手しておりまして、早期に工事に着手するよう努力してまいる所存でございます。
今おっしゃいました立ケ花という狭窄部が中野市、豊田村の市町村境にあるわけでございますが、それから下流は無堤の区間が非常に多いわけでございますので、この間に、先年の災害等も契機に大いに無堤地区の築堤を促進しておるところでございます。
また、直轄河川改修事業につきましては、昭和六十三年、平成元年の二カ年間におきまして、五十五億三千万円の改修事業費をもちまして、下流部は重点的に無堤地区であります椿川地区の用地買収並びに六百メートルにわたる築堤工事を実施いたしております。
また、いまだに堤防のない無堤地区が各地に残っております。 この千曲川の直轄改修費について見ますと、昭和五十年代はわずか十四億円台にずっととどまっております。六十年代になりましてようやく十八億円台になったところであります。
現在は上流の方に重点が移っておるわけでございますが、さらにはその間の中流部には無堤地区あるいは小さい堤防の地区が多うございます。これも何とか改修を進めたいということで、先ほど先生の御指摘の土買川周辺その他のところについても、最近では重点的に改修を進めております。 こういうふうなことで順次段階的に安全度を上げていこうということで、鋭意努力をしておるところでございます。
特に、野田堰というせきがございますが、その上流につきましては用地買収ができておりませんでしたのでその用地買収、それから川底掘削というような工事と、それから左岸側が無堤地区でございますのでこれの暫定堤防をつくるというようなことを内容といたします計画をつくりまして現在進めておるところでございます。
そのときに私も地方建設局長として同行いたしまして、その辺の事情はよく存じておるわけでございますが、豊田村の地点は無堤地区でございまして、先ほど申し上げましたように現五カ年計画の中には入っていない地区でございます。
なお、先生の御指摘にございましたように、千曲川上流には無堤地区部分が多数ございますけれども、現在の五カ年に計上されていない部分もございます。しかしながら、六十二年度を初年度といたします治水五カ年計画の中には、治水事業極めて厳しい現状にございますけれども、何らかの形で取り入れるようにしたいという気持ちで検討を進めているところでございます。
対岸には豊田村という地区がありますが、これはほとんど無堤地区。何も集中豪雨でなくても、ちょっとした雨が降ると浸水を始める。まさに住民は不安と背中合わせの生活を余儀なくされている。 そこで、例えば豊田村の地区については、六十年度、六十一年度で調査を済ませて、できれば六十二年度くらいから何とか築堤へ一歩歩を出したい。