1972-04-25 第68回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第3号
私はこっちの堀ばたは、いろいろこれは考え方なんですけれども、私個人としては、草というのはなるべく刈らないほうがほんとうは好きなんです。ただ、中の広場の場合の整理をどうするか。これは掃除がきちんと行き届かなければならぬと思います。
私はこっちの堀ばたは、いろいろこれは考え方なんですけれども、私個人としては、草というのはなるべく刈らないほうがほんとうは好きなんです。ただ、中の広場の場合の整理をどうするか。これは掃除がきちんと行き届かなければならぬと思います。
私は将来は、あの堀ばたのぐるりというものの車道というものを、やっぱり地下にすべきものだというふうに思っております。これは一挙にいけないと思いますが、せめて、祝田橋から竹橋あたりに参りますあの線だけでも、これは地下にもぐらしてやるというような計画はないものか、こういうことで、去年も建設省にお願いをしておったわけであります。
いまのところは新しい皇居もおできになったことだし、昔からあそこにお住まいになっていることだし、別にこれで不自由なくいっている、こういうことに落ち着くと思いますけれども、しかし、やはり時世の流れの変化というものは、もうお堀ばたの近くまで押し寄せてきていることも事実です。
そこまで自動車で来てもらって、お堀ばたを馬車でさっと通ってきてもらう。
強うございますが、たとえば帝国ホテルで申しますと、あそこからお堀ばたにかけて非常に重要な通りになっておりますから、売り払いをいたしまして、必ずしも妥当でないような施設をつくられても困りますので、これは売り払い要請が強うございますけれども、政府で貸し付けをいたしましていろいろなチェックができるように配慮をしておる次第でございます。
これも営団の九号線と申しまして、綾瀬から北千住を通りまして、不忍池を通って日比谷のお堀ばたを通りまして小田急の上原に至りまして狛江のほうに小田急に沿って延びていくという線路でございまして、この線に取りつけるような線路を考えておるわけです。
それで、私お堀ばたに呼ばれたわけです。それで、アメリカさんから日本の財政のレクチュアを受けたわけなのです。あの人はリードとかいう人でした。名前は忘れましたが、リードですか。そのときにいわゆる財政民主主義というもののレクチュアを受けたわけです。
たとえば堀ばたとか、一般の地面のかたいところとかですね。そういうような鉄筋量の計算のしかたというのは、この四百メートル全区間についてどういうふうな単位で計算されているのか。そうしないと、いままで三十カ月という長期の工期の中において、一ぺんしか鉄筋の量の状態を見ることができなかった、そういうことを言いますと、相当区間というものが細分化されて設計されていると思うのですよ。
になるかもしれませんけれども、少なくとも三十カ月という長期の工事の中において、私の聞いたところでは、いわゆる構造上の設計ですか、この設計変更というのが一ぺんもなされておらなかった、こういうことを聞いておるわけですが、これは技術的によくわかりませんけれども、少なくとも、長期の工事であれば、やはりいろいろな情勢の変化ということが考えられるのじゃないかと私は思うのですが、たとえば地盤の問題等についても、堀ばたを
○兒玉委員 それから、私がいろいろ聞いたところでは、西松建設が堀ばたを通った関係で、土質が非常に軟弱のために、土どめというんですか、H型のくいをたくさん打ってますね。
制定の経過、ことに刷新委員会の方々が、何度も申し上げたことですけれども、お堀ばたの存在を意図しながらオーケーをもらえる限度というものはこういうものでもあろうかという考え方に立って原案がつくられ、それがいわばそのまま政府案として提案されて、当時の占領下における国会の審議を経て法律になっておる、むろん有効に成立していることを疑いませんけれども、置かれた客観条件というものは、日本人全体が自主的な自由な意思
教育基本法も、制定当時は、教育勅語がなくなってからっぽのままでいいかどうか懸念されるという心配をなすった識者、刷新委員会の方々が、お堀ばたの存在を念頭に置きながら、当時として許される、いわば最小限度のアプルーバルのもらえる範囲内のものは何だろうという考慮のもとに、原案がつくられて、むろん国会の審議を経まして制定された法律であります。
半蔵門の中に入ってもわかるとおり、中には例の道灌堀のわきには道路ができておる、あそこのところ堀ばたなんか、ぐっと曲がっているのですから、桜田門あたりに出ることになればとてもそれは違うんだな、実際に。だからおそらく天皇陛下も喜ぶのじゃないかと思うんですよ、ああいう民主的な方ですから。これは一ぺん大臣午餐会でもあったときに進言したらどうですか、いいことですよ。
お堀ばた——宮城の前の馬場先門、和田倉門のあの線から、日比谷方面から昭和通りで囲んだ、大体そういう地域になるわけであります。その地域内におきます現在のバスの輸送力の状況でございます。この状況を見ますというと、この地域に入りますバスの効率はわりに高くございます。
そういうようにだれが考えてももう——あのときに私も何べんも言いましたけれども、全国に放送されて、あのようにラジオ関東のアナウンサーをとっつかまえてぎゅうぎゅういわせ、あるいはずっと遠い堀ばたにいる大学の先生に乱暴をする。その直後に警察はちゃんと見舞に行っておる。こんなだれの目にも明らかなそういうことぐらいは、少なくともこういうことは行き過ぎだという意思表示をされないから、野放図になる。
国会の場においてもいろいろな御議論があったように聞いておりまして、社会党からも当時数項目にわたって相当御意見が開陳されたと承知いたしますが、それも国会の場において違憲を開陳したにとどまるので、お堀ばたにアプルーバルがもらえないがゆえに、せっかく貴重な意見がありながらそれが盛り込み得なかったことも事実であります。
国会の場におきましても、その速記録を克明に調べたわけじゃございませんので、その点は自信はございませんけれども、私も、占領直後の国会で法案等を審議します場合に、お堀ばたに何回も行ったことを思い出しますが、その場合に、政府案を提案する場合でも、事前にGHQの了解をもらわなければ提案ができなかった。
国会に出されましても、審議の途中において、その原案を修正しようという動議が出されようとするならば、動議が出される前に、動議提案者と同道して、当該委員長が、当時ありました外事課の外国語のうまい人と一緒にお堀ばたに参りまして、その修正すべき案とその理由とを英語に翻訳したものを持っていって、そうして担当オフィサーのアプルーヴァルをもらって、初めて休憩前に引き続いて委員会を再開いたしまして、そういうことがまるでなかったかのごとく
特別風致地区として東京にありまするお茶の水のあのお堀ばたを、総理、一度ごらんになってもよくわかると思うのでありますが、満潮時にはどろどろでございまして、メタンガスがぶくぶくと吹き上がってくる、いかがわしい生理的な用具が浮いておるというようなことでございまして、あれが風致地区の中のお堀かと思うような感じを起こすわけでございます。
あの雨でも、もうあのお堀ばたの向こうでは自動車も通れないくらい水がたまっている。下はお堀ですよ。上の道路に水一ぱい。これは何も抜本的でなくてもいいのですが、どっかに欠陥がある。現在は都市がだんだん川が埋められておる。水がはけない。卑近なところからとらえて言っても、建設省の都市計画はよくないと思う。都市計画に相当の力を——これは台風被害を防止するという点から考慮すべき点が多々あると思うのです。
ですから、これほど膨大な堀ばたの草刈りをするのは大へんなことだろうと思うのです。また内部でも、あれだけの広さを、とてもしろうとの、ことにあれは、婦人が多いのじゃないかと思います。しろうとで、英語ではガードといいます。いわゆる草を取るばかりではない、いろいろなそういう警備をするということについては、いずれもしろうとです。
堀ばたの草を刈るとか、皇居内の草を取るとか、そういうことをやっておったのですが、今日においても、やっぱりそういうことが行われているのですか。行われているとすれば、年間一体どのくらいな人数のものが、あそこに奉仕しているのか。
○説明員(丸山佶君) ほかのもの、大きなものは堀ばたにありますところのもの、パレス・ハイツと申しますものでございますが、これは本年内までには返還をする、そのように話し合いをつけてございます。それから、あとなお残っておりますのは、人事院ビル等の裏側にあるリンカーン・センターというものと、チャペル・センター、このようなものが若干残っております。
その後、それの線について折衝を重ね、具体的に打ち合せをして参りました結果が、一昨日、新聞にも現われましたが、最終的に米軍としては日本側に正式に御回答申し上ることができる、その内容は、まずいわゆるパレス・ハイツ、あのお堀ばたのかまぼこ兵舎のもの、あれは本年の十月から十二月の間には明け渡しします、それから赤坂のジェファーソン・ハイツ、これについては今まで検討中の代替物が完成した暁には移転をする、それからその