2010-02-25 第174回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号
戦後は、米軍の進駐後、所沢市では、基地返還運動が本当に多くの市民の皆さんによって行われまして、昭和四十二年には、所沢市基地全面返還運動市民大行進というものが、四千名を超える四千百十五名の参加の方々により行われたり、昭和四十三年には、市内の各界の代表者から成ります所沢市基地対策協議会が設置をされまして、以来、この協議会は昨年まで、昨年十月五日が最後なんですけれども、百二十九回にも及んで、もう本当に市内
戦後は、米軍の進駐後、所沢市では、基地返還運動が本当に多くの市民の皆さんによって行われまして、昭和四十二年には、所沢市基地全面返還運動市民大行進というものが、四千名を超える四千百十五名の参加の方々により行われたり、昭和四十三年には、市内の各界の代表者から成ります所沢市基地対策協議会が設置をされまして、以来、この協議会は昨年まで、昨年十月五日が最後なんですけれども、百二十九回にも及んで、もう本当に市内
その冷たいあしらいに県民の積年の怒りが、もうこれ以上我慢できないと全県民挙げての基地返還運動が起こり、このことがようやく日米両政府が在沖米軍基地の整理縮小を真剣に考えるようになったことからすると、今回の返還合意は一定の前進であると思っております。
ですから、あと三年ですから、その三年間を目途に相当日本政府としては旺盛に基地返還運動を展開する、これは私は政治家として率直に努力するということを申し上げられます。ただ、日米安保条約を持っておりまするたてまえから申し上げて、この基地が簡単に全部なくなってしまうということはちょっと考えられません。率直に私の現在の考え方を申し上げた次第でございます。