1978-05-30 第84回国会 衆議院 法務委員会 第25号
いわゆる厚木基地侵入事件というのは、被告人が数名と共謀の上、厚木航空基地に侵入して、建物を爆破すべくダイナマイトに装着した電気雷管にコードを接続しようとした際に警備員に発見されたという事案に関するものでございます。そこで、この被告人が保釈されていて、期日を指定しても向こうで入院してなかなか出てこられないという経過がございまして、裁判所は被告人に対して勾引状を発したわけでございます。
いわゆる厚木基地侵入事件というのは、被告人が数名と共謀の上、厚木航空基地に侵入して、建物を爆破すべくダイナマイトに装着した電気雷管にコードを接続しようとした際に警備員に発見されたという事案に関するものでございます。そこで、この被告人が保釈されていて、期日を指定しても向こうで入院してなかなか出てこられないという経過がございまして、裁判所は被告人に対して勾引状を発したわけでございます。
それは、通常厚木基地侵入事件と呼ばれるものですが、昭和五十一年十二月十四日に判決の言い渡しがあったようであります。 日弁連側の御調査によりますと、最初は五十一年の三月七日が判決の言い渡し期日とされたが、一人の被告人の病状が悪化して、診断書は本態性高血圧症ということで、三月二十四日に指定を変えられたが、やはり出頭できなかった。そして五月三十日に郷里の病院に入院した。
この事件は、厚木基地侵入事件ということで、資料四にも要約してございますが、保釈中の被告人の病気、本態性高血圧症が悪化しまして、医師の診断により出頭不能とされていたため、判決言い渡しが約九ケ月間延びておった事例でございます。ところが、病状が回復しないのに、裁判所は判決言い渡し期日の指定をいたしまして、被告人を勾引し、入院先の岐阜の病院から横浜拘置所に押送してきました。
○正森委員 同じく皆さん方の資料五の七十七ページに厚木基地侵入事件というので、弁護人が退廷をした例について述べられております。これを見ますと、判決の言い渡しの前に、被告が病人だというのを勾引して連れてきて、そこでトラブルがあったということのようですね。資料五の七十八ページ、九ページのあたりに書いてあります。これが事実なのかどうか。事実とすればその経緯を簡潔にここでお話しください。
それから四十四年に非常に多くなり、また四十六年に多くなっておるということでございまして、私どもの調べによりますと、この四十三年の日大工学部放火事件からちょっとさかのぼりますが、ことしの三月十三日の自衛隊の基地侵入事件までの間に検察庁といたしまして火炎びんの使用事犯を受理いたしましたのは合計四十二件でございます。
基地侵入は懲役刑を科せられる犯罪でありますから、いかなる方法を講じてもかような犯罪を防止すべきは警察の責務上当然であります。 もし全学連がガスと水に追い帰された状態を見て、全学連に同情し、警察を行き過ぎと評したものであるとすると、これは大きな間違いであります。学生がかわいそうだという甘い認識に出たとすると、彼らがもはや純真な学徒ではなく、凶悪な暴徒であるという本質を見落としておるのであります。
そういうものが非常に市民に強い刺激を与えたということではないかと思いますけれども、先方があくまでも基地侵入あるいは警察官襲撃の不法な意図を放棄しない限りは、最終的にはわれわれは、ああいう形で終末をつけざるを得ないというふうに考えておりますが、やり方につきましては、この委員会でもるるいろいろ御意見がございましたところを十分にしんしゃくいたしまして、一歩でも二歩でもわれわれも前進をいたしまして、本来の目的
○加瀬完君 私は、先般の原潜デモについての問題で伺いたいのでありますが、百瀬現地警備本部長は、六月三日の夕刊で、「一部学生の基地侵入もあったが、基地司令官は、警備警官の処置が的確であったと言ってくれた。けが人が出たが、故意にやったものではなく、いずれも集団と集団との間に発生したものである。常識的な範囲内におさめたと思う。」
法務大臣としての決意を述べよと言われたのでありますけれども、私は、元来、御承知のとおりに、非常にものをまじめに考えるたちでありまして、そういう基地侵入等もいかぬが、逃げて行くのをば撃つということもないではないか、私は実はそういうふうな感触でこの問題をいろいろ資料を見ておるわけでございまして、それが法律的にどうなるかこうなるかということは、いましばらくお待ちを願いたいと思います。