1986-10-16 第107回国会 衆議院 日本国有鉄道改革に関する特別委員会公聴会 第1号
これを一線一線調べて、そしてさらに幹線との連絡の関係もありますから、本当に培養線の役割を果たしているのかどうかということまで含めまして一線一線調べていけば、その結果として、この地方交通線は特定地方交通線には指定されなかったけれども、やはりこれはこの中でやっていくわけにはいかぬというところが出てくると思います。その場合にはそれを廃止することを考えればいいのではないか、そのように考えております。
これを一線一線調べて、そしてさらに幹線との連絡の関係もありますから、本当に培養線の役割を果たしているのかどうかということまで含めまして一線一線調べていけば、その結果として、この地方交通線は特定地方交通線には指定されなかったけれども、やはりこれはこの中でやっていくわけにはいかぬというところが出てくると思います。その場合にはそれを廃止することを考えればいいのではないか、そのように考えております。
したがってその差額の八四%を距離に比例して分けるという方法をやっておりましたが、現行ではそれをもうすべて距離でやるということでありますから、培養線の役割をしております地方交通線で一生懸命駅員が団体旅行を募集しましても、その収入の多くは幹線系区に流れてしまって地方交通線の収入がふえない、こういう仕組みになっておりまして、このことが非常に困るわけであります。
第四点は、運賃水準の適正化を行うとともに、適時適切な運賃改定が可能な制度とするということで、運賃水準は幹線及び培養線の収支が均衡する水準を目途とするということ。それから賃率法定制度を改め運用の弾力性を保障する。それから運賃改定が抑制された場合は、それを補償する制度が望まれるということでございます。
以上のような歴史的経緯もありまして、大体におきまして、当初は別といたしまして、その後は私鉄は国鉄の培養線的性格という位置づけがなされておりまして、昔の鉄道省時代には鉄道特別会計ということで、当時は国鉄の経理も非常にゆとりがありました関係もあると思いますが、自分の培養線である私鉄に対する手厚い保護、助成が行われてまいったわけでございます。
閑散線の区間だけをとって計算すると赤字だといいますが、これは国鉄本線の培養線であることは私が申すまでもないことで、専門の方々はたくさんおられるのですから。培養線がなくて東海道線が黒字になるはずはありません。川と同じこまなんです。
私はそういう意味で少なくとも東京というものは国鉄が幾ら赤字を出してもやらなければならぬという考えには首肯できませんし、しかも川にたとえてもわかるように、培養線がなければ、本線だけでは黒字になるわけがありませんよ。培養線がなくて、本線だけでどうして一体黒字になりますか。いろいろな赤字線があるけれども、山奥からずっと集めてきて山陽線になり東海道線になっている。
ところが、それが培養線となって本線が黒字になるということであって、何も山陽線や東海道線がこつ然としてそれ自体で黒字になるはずがない。赤字の培養線から全部人が集まってきて、東京と大阪で乗るから黒字でございます。培養線は全部切ってしまったらこんなものは黒字になりません。あたりまえのことだと私は思うのです。
それといまの四%というのは、それはほんとうの閑散線だけだというが、これもあなたは承知していて、短い時間だからそう言われると思うのですが、それは総合原価主義であるという立場でいうと、培養線というものに対する——これは私鉄との連帯の運輸の関係見たってわかるじゃありませんか。私鉄は二十キロしかない。国鉄は二百キロ運ぶからといっても十対一じゃないのです。
一つのバスというものはなるほど大阪から東京を走っておる高速道路、これはそうですけれども、ほかのところは全部国鉄の培養線じゃないですか。国鉄に、駅まで持ってきて、それで運んでもらう、こういうものじゃないですか。これは私は明らかに付帯事業だと思うのです。そうでないと解釈が違ってくるのですよ。そう思いませんか。
国内線というものは、場合によりまして、国際線の培養線になるわけです。だからそういったものは全然異質のものではないんです。したがって、そういったものを一緒に経営していてもちっともこれは、理論的にも実際的にもおかしくはないし、各国の航空会社を見ましても、やはり国内線も持っておるし国際線も持っておるというのが通例です。
ただ、この中に将来検討していかなければならぬと思いますのは、ある程度これをつなぐことによって一つの培養線になる線もあります。これがつながらないためにできない線もあります。したがって、そういう線については、これはやはりたとえ新線であってもやっていかなければならぬ。ただそうでない線もある。全く枝線といいますかね。
同時に、バスの路線というものは、これはあくまで培養線であって、その主たる交通機関ではない、大衆輸送機関ではない。ある一定のところまではバスで運んで、そこからはいわゆる電車、地下鉄、こういうものに編成がえをせざるを得ない状況になってくると思うのであります。
したがって、ちょうど過疎対策地帯に向かって中央東線が走っておるものですから、そういう意味におきまして、たまたま首都圏の培養線のようでもあるところの中央東線、同時にまた、国土の平均的開発という大きな使命をも持つべき中央東線の動きというものは、日本の運輸交通状況の縮図の少なくとも一面と見ていいのではないか、こう思うのです。
○井上分科員 総裁、昔から培養線ということばがあったでしょう。赤字が出るところは培養線の考え方じゃないのですか。黒字だけであれば、それは東海道新幹線でいいでしょう。独立採算制にすれば、新幹線であれば大阪から京都までの値段で東京まで来られるのでしょう。そうでしょう。それをあれだけ高い料金を取るのは、やはり培養線という考え方に基づいてやってきておるはずなんです。
それを培養線だということになって終点まで持ってくる、そこで地下鉄に送り込む。そのために、とりあえずの問題は、同一企業であるから、そこのところを何とか方法を考えて運賃値上げを——いつもバスと電車とちぐはぐな値上げをやっているわけですね。だから二枚こしらえなければいけないということになるわけです。
二番目は培養線、三番目には大都市近郊通勤線、四番目が地方交通線、ここまでは何とか国鉄の、国鉄全体の営業係数は、四十一年度は一〇六になっております。これでカバーできる。問題の赤字線は第五番目の地方通勤線、六番目の純ローカル線、これが先日磯崎副総裁が大蔵省からこの赤字を何とかやれと言われまして、六千キロの赤字路線を一応検討する、廃止する、六千キロを廃止すると。
こういうことで、はたして地方道がその機能を十分に発揮でき、しかもまた国道はつくられたけれども、その培養線が十分に完成しない、使命を達成しないというような事態になるのではないかと私どもは憂えるのでございますが、都道府県道並びに市町村道に対して、この点いかがな処置を建設省としてはおとりになるおつもりでございますか、もう一度ひとつお伺いいたしたいと思います。
国道ができましてもその培養線ともいうべき地方道が十分できないと、国道と申しますか、幹線自動車道にいたしましても、十分その機能を発揮することができないと思います。
○蓑輪政府委員 ただいまのお話のように、やはり幹線道路だけやっておってはだめだ、幹線道路をやるには、その培養線になる地方道も一緒にやらなければならない、これはそのとおりだと思います。私もやはり地域の道路というのは、幹線があって、その支線があって、一つの網としてやっていかなければならぬ、こういう意味から言いましても地方道、特に市町村道の整備が今後重大な問題になってくるように考えております。
しかしそのほかの培養線、もとの二級国道あるいは主要地方道あたりが、やはり幹線自動車道を生かす一つの培養線ではなかろうかと思いますが、しかしそういうようなもとの二級国道なり主要地方道の整備が、いまかなりおくれている状態でございます。これを相当整備を急ぐというためには、これこそ無料でやらなければならぬというふうに考えております。
第二点は、日航はこの赤字補てんをすることを前提とするローカル輸送を引き受けた場合には、その路線権というようなことも考えましょうし、さらにはこれが幹線輸送の培養線となるというようなことも考えて、この場合に当然三分の一のものは日航もこれを見てやるべきだというふうに私は考えております。それともう一つは、政府がこのような免許をした行政の責任は、これはのがれるというわけにはまいりません。
また、現在の赤字路線といえども、線区別に計算すれば赤字であっても、それ自体黒字路線の培養線である性格を持っていることを忘れてはならないと思います。民間交通機関といえども、線区別に見れば、赤字路線は相当多数にのぼっております。また、三年後、五年後の黒字を見越して、赤字を覚悟で開発いたしております路線もあるわけであります。
○石田説明員 名古屋臨港鉄道に対する出資、そのほか千葉のほうのあれも出資しておりますが、これは要するに専用線の拡張、それから国鉄の培養線、ここにおいて国鉄はつまり輸送任務というものが遂行できるわけであります。そういう意味においてわれわれは出資をする、こういうことであります。
国鉄のそういった使命を果たさせる培養線として私鉄が認められた。私鉄はその意味において多額の助成金あるいは補助金を交付されて、かろうじて生命を保っていた。こういうことになっておると私は思う。 ところが今日の国鉄は、終戦後公社となり、その性格は全く一変した。そして国鉄といわず都市交通といわず、すべてが特別会計もしくは独立採算制によって企業的な性格をしいられることになった。